十二 密室の真相(3)

 その数分後、僕らは再び、昨日無断で鍵を壊した、あの不開あかずの間ではなかった・・・・・・部屋へと足を踏み入れる。


「――とはいうものの、やはりこれ以上は何も見つかりませんねぇ……」


 しかし、中に入ったはいいものの、がらんとしたその部屋を見渡して先生は途方に暮れている。


 以前にもここは捜索したが、となりの部屋の密室トリックを解くような手がかりは何一つ見つけられなかったのだ。


「御林君、何かよい方法知らないですかねえ? 私はどうしても、この部屋の中にあの密室トリックを解く鍵があるような気がしてならないんですけどねえ……」


 そして、行き詰まった先生は苦し紛れに僕へと振ってくる。


 だが、そんなこと僕が知るはずもなく、そもそも知ってたら、こんな風にもう一度調べになど来てはいない。


「そうですねえ……となりの部屋の鏡台から鏡の世界に入ってその中を移動し、そこの鏡台の鏡からまたこちらの世界に戻った…とか? そう。犯人はプリンセス天功並みのマジシャンだったんですよ」


 先生がいい加減な質問をするので、僕も真面目には受け取らず、いい加減なくだらないジョークを返す。前に先生が言っていたものをこちらも使わせてもらったが、我ながらほんといい加減な答えである。


……しかし。


「鏡? ……ああ、そうか! それですよ! 鏡です! いや、さすが御林君だ!」


 と、先生が突然、感嘆の声を上げたかと思うと、なぜだかまた僕をいたく賛美する。


「えっ? ……それ?」


 また〝それ〟だ。さっきから何がそれで、何があれなんだか、僕にはもう何がなんだかわけがわからない。


 それって、鏡のことか? もしかして先生、いよいよ本気でおかしくなって、今、僕の言った話をそのまま鵜呑みにしちゃったとか? ……いやいや、バカと天才は…とは聞くが、さすがにそこまでには至っていないと思うけど……。


 振り返れば午前中からずっと、僕は一人置いてけぼりである。もうこれ以上、取り残されるのは御免だ。


「それっていったいなんのことなんです? まさか、本気で鏡から出入りしたなんて思ってないですよね?」


 僕は大真面目な口調で先生に改めて尋ねる。


「いや、そうじゃないですよ。バカですねえ」


 しかし、眉をひそめてそう答えられ、僕はまたちょっとこめかみにピキっときたが、これ以上ややこしくしないためにもここは堪えて話の続きを聞く。


「〝鏡〟というのはね、家具の配置のことなんですよ。いいですか? この部屋の家具の配置をよく憶えておいてください。そうしたら、今度はとなりの部屋へ行ってみましょう」


 先生はそう言うと、そそくさとドアを開けて出て行ってしまうので、僕もわけのわからないまま、その後を追ってとなりの部屋へと移動した。


 不開あかずの間のとなり――そこは言うまでもなく、二人の人物が殺された事件現場である。床には今もその被害者の一人、咲子夫人の遺体がシーツをかぶせられた状態で横たわったままだ。


「さあ、今度はこちらの部屋の家具の配置を見て、何か気づくことはありませんか?」


 僕が、その床に置かれた今や人ではない物・・・・・・に目を奪われていると、傍らに立つ先生がクイズでも出すように尋ねる。


「気づくことですか? ううん、気づくこと……気づくこと……ああっ! 鏡!」


 しばし、部屋の中をぐるりと眺め回し、僕もそのことにようやくにして思い至った。


「そうです。こちらとあちらの部屋とでは、家具の配置がまるで鏡にでも映したかのように左右対称なんです」


 ……そうなのだ。前に初めて不開あかずの間に入った時もそのことはなんとなく感じたが、確かに数少ない調度品であるベッド、鏡台、クローゼットの配置が、まるで鏡像のように左右対称なのである。


「まあ、狭い部屋ですんで一つの位置が決まれば、他の二つもおのずとその位置に納まってくるのでしょうけれど、その一つ、クローゼットの位置はおもしろいほどに左右対称になっています。しかも、こちらが向かって左側の壁、むこうが右側の壁にくっ付いていますから、おそらくこの二つは壁を隔てて背中合わせに立っているんじゃないですかね。なんでだと思います?」


「え? い、いや、なんでと言われても……」


 また唐突に尋ねられるが、訊かれても、当然、僕にはそんなことわからない。


「それはですね、私の考えが正しければこの中はきっと……」


 だが、先生は僕の答えなどはなから期待していない様子で、そう言いながらクローゼットの扉を開けると、中に頭ごと突っ込んで何かガタゴトとやり始める……。


「……やっぱりですね。御林君! ここを思いっきり押してみてください!」


 そして、わずかの間の後、やや興奮気味のそんな声がクローゼットの中から聞こえてきた。


「ここ?」


「ここです。この背板の右端を思いっきり向う側へ押すんです」


「ええ? こうですか……」


 その指示に、先生と入れ代わりにクローゼットへ体を突っ込むと、言われたとおり力任せにそこを押してみる。


「……あれ? ……え? 隠し扉!?」


 すると、多少の重さは感じるものの背板は押すがままに向う側へとめり込んでゆき、そのままくるりと板の中心線を軸に回転するではないか! しかも、それによってできた隙間の奥には、さらに扉のようなものも見える。


「さ、その扉も向うへ押してみるのです」


「……え? あ、はい! よっと……ああっ!」


 先生の言葉に従い、その扉も押し開けてみた僕は、その瞬間、思わず大きな声を狭いクローゼットの中に響かせてしまった。


 なぜならば、ゆうに人が一人通り抜けられるくらいの大きな長方形の穴が、僕の前にぽっかりとその口を現したからである!


 その穴からは、となりの不開あかずの間の内部がすっかり丸見えである……いや、正確に言えばそれは穴というより、背中合わせにくっ付いた二つのクローゼットの背板を90°回転させ、さらに向こう側のクローゼットの扉も開いた状態のものである。


「そうか。犯人はこれを使って……」


「ええ。こちらで犯行を行った後、ここを通って不開あかずの間へと移動し、そちらのドアから廊下へ出ると鍵をかけて平然と現場を立ち去ったのでしょう。これで、密室の一丁できあがりというわけです。やられました。まさかこんなところに抜穴があったとは……あのワイヤートリックの跡はおそらく犯人がこの抜け穴から目を逸らすために、わざと後からつけておいたものでしょうね」


「え? そうだったんですか?」


 さらっと付け加えたその説明に、僕はまた驚かされる。


 ……そうだったのか。僕はまんまと犯人の罠にはまってしまったというわけだ。僕がワイヤーの跡を発見した時、先生が〝前に見た時には気づかなかった…〟と言っていたのは、本当に前の日にはそんな傷がなかったからなのである。それなのに僕は……。


 先生よりも先にトリックの証拠を見つけたと思い込んでいた僕は、強烈な恥ずかしさと自己嫌悪の気持ちに襲われる。


「ということはですね。もう気づいていることと思いますが、つまり真犯人は不開あかずの間の鍵を持っていて、今でもこの部屋を使っている人物ということになりますね」


「でも、その人物っていったい……」


 だが、自分の過信と失態にひどく落ち込みつつも、好奇心の方が勝って僕は先生に尋ねる。


「これはまだ私の推測の域を出ないのですが……おそらく…いや、十中八九、あの人に間違いないでしょうね」


「え!? じゃ、じゃあ、先生はもう真犯人の正体がわかってるんですか!?」


 尋ねはしたものの、予想していなかったその驚くべき答えに、僕は今日一番というほどに目を大きく見開く。


 ……誰だ? 誰なんだ? 不開あかずの間の鍵を持っていて、4人もの人間を殺害した本当の犯人というのは!?


「ヒントはですね、あの薫君の残した遺書です」


「遺書?」


 いつもはすぐに答えてくれない先生が、今回に限って、すんなりそんな真犯人に繋がる重要な手がかりを僕に教えてくれる。


「私の考えが正しければ、あの温室に残されていた薫君の遺書を、御林君も以前にどこかで見ているはずです」


 以前にも僕があの遺書を見ている? ……いや、そういわれても、ぜんぜんそんな憶えはない。だいたい薫君の書いたもの自体、見たのなんかあの時一度きり…


「…!?」


 僕は、先生の言わんとしていることを理解した……そして、その瞬間、真犯人が誰であるのかにも気づいてしまったのである。


「まさか、そんな……」


 僕は、信じられないその結論に、全身から血の気が失せていくのを感じる……。


「証拠はまだ掴めていませんが、これまでにわかったことを総合するにそうとしか考えられません。御林君、信じられない気持ちはよくわかりますが、それが真実なんですよ」


 どこか淋しげな表情を浮かべる先生が、僕の心の内を見透かしているかのように、そう、嗜める。


「そんな、そんなことって……」


 だが、僕はそのあまりのショックに、遠退く意識をなんとか保って、呆然とその場に立ち尽くすことが精一杯だった。


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