八 第三の密室(2)

 それから10分ほど後、梨花子さんの遺体の周りには、それを取り囲む家族の姿があった。


 父の幹雄氏は蒼白な表情で、まるで幽霊の如くその場に立ち尽くしている。


 母の彩華夫人は遺体を見るや絶叫し、しばらく嗚咽した後にその場で倒れ、今は亡き娘のベッドの上で桜子さんに介抱されながら横になっている。


 その桜子さんはというと、虚ろな瞳で妹の無残な姿を見つめ、柾樹青年、薫君、藤巻執事も、ただただ悲壮な表情を浮かべて呆然とそこに居るばかりである。


 それは、多少の違いこそあれ昨日の朝見たばかりの風景でもあった。


 そんな家族達の姿に居た堪れなくなり、窓の方に目をやると外も相変わらず深い霧に覆われたままだ。


「霧はまだ晴れていませんね……電話もまだ通じないようですし、ということは、今度も私達で初動捜査をしておいた方がいいようです」


 僕と同様に、先生も一寸先をも見通せぬ白い世界へと視線を向けながら言った。


 そういえばそうなのだ。昨日の朝、藤巻執事が警察へ電話しようとして以来、今に至るまでこの屋敷の電話は不通のままなのである。


 しかし、藤巻執事と一緒に電話線をくまなく調べてみたが、どこも切れてはいないし、別段、これといった異常も見つからなかった。原因は今もって不明だが、どうやら犯人が電話線を切ったというような類のものではないらしい。


 ちなみにここもうちと同様、どこまでもそういう趣味なのかレトロな黒電話であったが、そちらの故障というわけでもなさそうだ。


 一方、そんな骨董品とは対照的な僕のスマホも、電波状況は変わらず圏外のままである。


「そうですね……このまま放っておくわけにもいきませんし……」


 僕は、そのまま放置された梨花子さんの遺体を見つめながら先生にそう答える。


 やはり、そうするのが得策だろう……なぜならば、これからも被害者が出る可能性が充分にあるからだ。一刻も早く犯人を見つけ出さなくては……。


 こうして僕達は、昨日に引き続き再び警察の真似事をすることとなったのである。


「では、申し訳ないですが皆さん、今回もこの部屋からご退室願えますかね。また後で各々ご事情をお伺いしたいと思います。あ、藤巻さん。お手数ですがまたカメラもよろしくお願いします」


 先生の言葉に、遺族達はだらだらと生気のない動きでこの部屋を出てゆく……ショックのあまり一人では歩けそうもない彩華夫人は、昨日の薫君の時と同じく、桜子さんが抱きかかえて外へと連れ出して行った。


 ただ前回と違い、今回は柾樹青年と藤巻執事にも退出してもらったので、後に残るのは僕と先生、それにもう人ではなく、動くことのないただのと化した梨花子さんだけだ。


「死亡推定時刻は昨夜の9時~10時ってとこですかね。遺体に外傷はないようですが、またしても密室での毒死……こうなると、さすがにもう自殺とは思えませんね」


 早々と梨花子さんの遺体を調べ始めていた先生が、彼女の見開かれた瞳を覗き込みながら呟く。


 先程、家族達が来る前にも僕らは少し部屋の中を調べてみたのだが、予想していた通り、窓にもしっかりと鍵がかかっており、一つしかないドアの鍵も机の引き出しの中にしまわれていた。


 プライバシーの問題上、個人で使用している部屋の鍵は執事の仕事部屋にもないので、外からドアを開錠できるのはその鍵だけということになる。


 つまり、部屋こそ違え茂・咲子夫妻の時と同様、今回も現場は密室だったわけである。


 密室での毒死となれば、普通、自殺と考えるのが妥当なのだろうが、少なくとも咲子夫人の場合の密室がトリックで作り出されたものであり、他殺である可能性が極めて高い以上、梨花子さんにしても何らかの方法を使った密室殺人と見る方がむしろ賢明であろう。


 ちなみに自殺であることを決定づける遺書のようなものも、今のところは見つかっていない。


「アーモンド臭……やはり青酸性の毒物ですか。まあ、これまでのことを考えれば、同じく青酸カリでしょうね。どうやら、この水差しの中に入れられていたとみて間違いなさそうです」


 梨花子さんの遺体の傍に転がっていたコップや、ベッド脇のテーブルの上に置かれた水差しに鼻を近づけ、微かに薫るその臭いから先生はそう判断を下した。


 その香りがコップからだけしたのなら、青酸カリは水差しではなく、コップの方に盛られていたことになるが、水差し内の水自体からもその臭いがしたのだろう。


「となると、やはり梨花子さんが自分の意思で青酸をあおったとは考えにくい。この遺体の倒れ方からしても、夜中に目が覚めて、喉が渇いたので水差しの水を飲んだらそのまま……ってとこでしょうね」


「じゃ、じゃあ、誰かがそれを見越して、密かに水差しの中に青酸カリを!? でも、いつ? どうやって?」


 梨花子さんにも負けず劣らず血の気の失せた顔で、僕は先生に尋ねる。


「まず一つの方法としては、梨花子さんの就寝後、誰かがこの部屋に忍び込んで水差しに青酸カリを入れていったってことが考えられますが、ドアの鍵が室内にある以上、施錠されたドアから侵入することはまず不可能……そこで問題になってくるのは本当にこの部屋が密室だったかどうかです……御林君、あの部屋・・・・のようなことがないか窓を調べてみてもらえますか?」


「あ、はい」


 返事をすると、僕は先生の指示に従ってこの部屋唯一の窓を調べ始めた。


 この部屋の窓も、ドアを入って正面に設けられたものが一つしかない……〝あの部屋のようなこと〟というのは、茂・咲子夫妻が死んでいた部屋と同じように、この部屋の鍵のかかった窓にもワイヤートリックの跡が残っていないかどうか? ということである。


 もしもその跡が残っていたならば、ここでも密室だったという事実は崩れ去るのだ。


 窓の鍵を開け、さらに窓を開いて注意深く窓枠を隅々まで見回す……だが、無数の風化による傷跡は見つかったものの、昨日のようなワイヤーで擦れた跡を見出すことはできなかった。


「先生、残念ながらワイヤーの跡はありませんね」


「そうですかぁ……こっちのドアにもやはりないですね。じゃあ、まずないとは思いますが、抜け穴とか、この部屋に何か仕掛けがないかも調べてみましょう」


 僕が窓を調べてる間に、先生も僕らが壊して入ったドアの方を調べていたようであるが、やはりドアにもトリックの跡は見つからなかったらしい。


 それからまた手分けをして、ベッドの下だの、鏡台の裏だのも一応調べてはみたが、当然、そのような仕掛けがあるはずもなかった。


「そうなると、本当に完全なる密室だったってことですかねえ……ということは、彼女が寝た後に青酸を入れるのは不可能だったってことになりますね……」


「あ、あの、もしほんとに密室だったとしたら、他に青酸カリを入れるチャンスって、いつあったんでしょうか?」


 ぶつぶつ言いながら考え込む先生に、焦れったくなった僕は堪らず声をかける。


「そうですねえ……これがトリックでないとすれば、この部屋が密室となったのはなんてことはない。おそらく、藤巻さんが水差しを届けた後、梨花子さんが寝る前にご自身で鍵をかけたからでしょう。かなり眠そうにしてましたから、たぶん藤巻さんが帰ったすぐ後ですね。そして、そのまま水を飲むまで眠っていたのだとすれば、青酸カリを水差しに入れるチャンスがあったのは、水差しが用意された時点から梨花子さんが寝るまでのごくわずかな時間ということになります。でも、そうなってくると、毒を盛ることのできた人間もかなり絞られてきますね。あの時、家族の多くは私達と一緒に食堂でお茶を飲んでいたんですから」


「ああ! そういえば……」


 僕は、昨日の夕食後のことを思い出す……あの時、眠いと言って梨花子sんが出て行った後、僕らを含む多くの者は食堂に残っていたのだ。だとすると……。


「考えられる人間は三人。一人は簡単で、藤巻さんが入れた」


「まさか! 藤巻さんがそんなことするなんて……だって、動機がないですよ」


 とても信じられなかったが、言った本人も本気でそうは思っていないらしい。


「ええ。私もそう思います。でも、この部屋に水差しを届けたのは藤巻さんです。毒を盛るチャンスは誰よりもありますからね。何か私達の知らない動機があるのかもしれませんし、一応は疑ってかかった方がいい。そして、もう一人は梨花子さんとほぼ同時に、やはり眠いと言って出て行った薫君です」


「ああっ!」


 その人物の名前に、僕は思わず声を上げた。


 そうだ! あの時、執事の他に部屋を出て行ったのは薫君一人しかいない。しかも、彼の部屋もここと同じ二階である。彼ならば、執事が帰ったすぐ後で梨花子さんの部屋を訪れ、隙を見て水差しに青酸カリを入れることができたかもしれない!


「あと、もう一人。昨日、私達が窓の外に見かけたあの〝人影〟の人物という可能性もありますね。例えば、あれはロミオとジュリエットのように梨花子さんと道ならぬ恋に落ちた男で、実らぬ恋に思い余って心中をはかったとか」


「ロミオとジュリエットって……」


 僕は、その現実味のない先生の例えに渋い顔を作って呟いた。


 まあ、それは冗談としても、そうか。そうした外部犯の犯行ってこともあり得るのだ。


「これも梨花子さんが死亡間際までずっと眠っていて、その間、誰もこの部屋を訪れていなかったらの話ですけどね。その辺のことも踏まえて、皆さんの事情聴取をすることといたしましょう」


「先生、カメラをお持ちしました。遅くなって申し訳ありません。彩華奥様のお加減がよろしくなかったりもしましたもので……」


 ちょうどそこへ、そんな言い訳をしつつ藤巻執事がカメラを持って戻って来た。


「ああ、大変な時にすみません。ありがとうございます」


 昨日の朝はよもやもう一度使うことになろうとは思いもしなかったその古めかしいカメラを受け取り、その二眼レフカメラで丹念に現場の記録写真を撮り終えると、僕らはやはり昨日と同様、残された家族達からの事情聴取を行うことにした――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る