十 不開の間の謎(1)

 秘密の手紙の内容について先生に報告した数分の後、先生と僕は20年来開いていないというドアの前に立っていた。


「――さあ、御林君。このドアをぶち破っちゃってください」


 またもや先生が、さらっとそんなとんでもない注文を僕につけてくる。


「ええ!? いいんですか? そんな勝手なことして皆さんに怒られませんかね?」


 鍵のかかったそのドアを開けることは、それほど難しいことではない。それは今朝、梨花子さんの部屋のドアを体当たりで開けた時に経験済みだ。


 しかし、この家の者達が20年もの間、一度も開こうとしなかったその扉を、そんな簡単に、しかも強引に開けてしまってよいものなのだろうか? それもなんの許可もなく、おまけに部外者の僕らが……。


「きっと大丈夫でしょう。とにかく私はこの中が見たいのです。さあ、御林君!」


 だが、先生はそんな無責任な台詞を平気で吐くと、さらに僕を催促する。


 その〝大丈夫〟という主張には、おそらくなんの根拠もない。この人、一見おとなしい内気な性格のように見えて、じつは意外と我儘だったりするのだ。


 それに経験則上、一度言い出したらなかなか聞かないのはわかっているので、僕もやむなく覚悟を決めることにした。これで、薫君の部屋への不法侵入と合わせて今日だけでも前科二犯だ。


「もう、ちゃんと責任はとってくださいよ……じゃ、行きますよ。せーのっ…」


 少し助走をつけて体当たりを食らわすと、ガシャン! と何かが壊れる音がする。


 想像していた通り、20年来鍵のかかったままだという不開あかずのドアは、その閉ざされた長い歳月をまるっきり無視するかのように、物理的な力によってあっさりと難なく開いた。

 

 ……しかし、その部屋の中は、僕らが想像していたようなものとは少し違っていたのである。


「変ですねえ……」


 先生も同じことを思ったらしく、怪訝な顔をしている。


 床が、やけに綺麗なのだ。


 外はすでに夕暮れ時で、その上、窓にはカーテンが閉まっているため、部屋の中はずいぶんと薄暗い……だが、その薄暗い中でもよくわかるくらい、20年間、誰一人足を踏み入れたことがないはずのその床の上には、埃が堪るどころか塵一つ落ちていなかったのである。


 まるで、昨日今日にも掃除をしたかのような綺麗さだ。


「どういうことでしょう? 今でも誰かが使っているかのような……」


 狐に抓まれたとでもいうような面持ちで、僕らは部屋の中へと入る。


 ただ、調度類に関しては、ここが長年使われていなったことを証明するかのように、となりの事件現場となった部屋同様、ベッドと鏡台、それにクローゼットがあるだけの、極めてシンプルなものである。


 各々の配置は、ちょうどとなりの部屋の配置を逆さにしたような、そんな感じだ。


「おや? これはなんですかね?」


 鏡台の上に置かれた物に気がつくと、先生はそちらの方へ近寄ってゆく。


「……誰ですかね?」


 僕も後に続いて覗き込むと、それは古いセピア色の写真が納められた写真立てであった。


 中の写真には身なりの良い40代くらいの男性と、メイド服を着た若い女性が写っている。格好は主人と使用人という組み合わせだが、それにしてはどこか夫婦の肖像写真のようにも見える。


「男性の方はどうやら花小路幹雄氏のようですね」


 先生の言う通り、確かにその男性の顔には見憶えがあった。現在よりもかなり若々しいが、それは紛れもなくこの館の主の顔である。


「女性の方は……もしかして、柾樹君のお母さん、菊枝さんじゃありませんか?」


 そう言われ、よくよく僕も写真の女性の顔を見つめてみる……言われてみれば、柾樹青年とどことなく顔の作りというか、目鼻立ちというかが似ているような気もする。


「なるほど。菊枝さんが使っていた部屋のおとなりに、幹雄氏と菊枝さんの一緒に写った写真ですか……これは興味深いですねえ。御林君、他にも何かないか探してみましょう」


「え? は、はい!」


 先生に促され、僕も手分けしてその部屋の中を調べ始める。


 先生は何かを察したようだったが、僕にはこの状況が何を意味するものなのかさっぱりわからない。なぜここに、そんな写真があるのだろうか?


 ただ、部屋の中に埃が溜まっていないということは、やっぱりこの部屋は不開あかずの間などではなく、誰かが部屋の鍵を隠し持っていて、今でも何かしらの目的で使っているということだ。


 しかも、ご丁寧に掃除までして……。


 誰がそんなことをしているのか? そして、なぜ他の家族達にそれを隠しているのだろうか?


「ここが不開あかずの間でないのだとしたら、おとなりの事件現場から、こちらへ逃げるっていうトリックも可能ですかね?」


「ああ!」


 先生のさらっと口にしてくれたその言葉に、僕もすぐにその可能性に思い至る。


 この部屋に自由に出入りできるのだとすれば、薫君の部屋でしか不可能だと思っていた密室トリックも、彼の部屋とは左右反対なだけで、同じく現場のすぐとなりにあるこの部屋ならば可能かもしれない……つまり、もしそうであるとすれば、薫君以外にもあの犯行を行えた人物がいたことになるのだ。


 ……そう。今でもこの部屋を使っている人物である。


 もっとも、その人物も薫君であるという可能性は充分に残っているのだが……。


 新たな犯人の可能性について考えつつ、僕は若干の興奮を覚えながらカーテンの閉められた窓の方へと近寄ってゆく。そして、カーテンを開けると、さらに20年来開けられたことのない窓(それも、ここが本当に不開の間・・・・だったらの話だが…)も開け、顔を出して周囲の外壁を調べてみた。


 だが、そんな僕らの推理を否定するかのように、先日、僕が落っこちた場所以上に外壁は風化しており、そこを伝ってとなりの部屋まで行くことなど、とてもじゃないができそうになかった。


「先生、どうやらそれは無理のようですよ。多分、一歩も進めずに落ちます」


 一応、それ以外にもベッドの下や床下に抜穴とかあるか調べてみたが、それらしいものはまるでなく、また、他のことに関しても、けっきょくその古い写真以外には何も見つけることはできなかった。


「うーん……何もないですかあ。とすると、薫君の手紙にあったこの部屋の秘密というのは、この、誰かがここを今でも使っているということなんですかねえ?」


「なんでしょうかねえ?」


 唸る先生に、僕もその口調を真似ると首を傾げて相槌を打つ。


「で、少なくとも薫君と桜子さんのお二人はこのことを知っているらしいと。二人はなぜ、それを知り得たのでしょうか? 薫君は何かを見たとかいう話ですが、いったい何を見たのでしょう?」


「さあ?」


 僕に訊かれても、そうとしか答えられない。


 薫君の手紙には、このことを明かすと桜子さんにも迷惑がかかるようなことが書かれていたが、それはどういう意味なのだろう? やっぱり密室トリックのことがあるので、この秘密を知っているとわかれば、いらぬ容疑を桜子さんもかけられると思ったのだろうか?


 ……いや、それ以前に、なぜ桜子さんはこのことを秘密にしているのだろう?


「……先生~! 秋津先生~い!」


 気になって仕方ない桜子さん絡みのその疑問に、僕がますます頭を混乱させていると、どこか遠くから藤巻執事の声が聞こえてくる。


「マズイですね。ここのドアを無断で壊したことがバレてしまいます」


 確かにそれはマズイ……って、さっきは大丈夫だと言っていたではないか! やっぱり無責任で適当な先生であるが、とにかく今はこの不法侵入の事実を隠蔽しなくては!


 いや、今さら誤魔化したところで、どうせすぐにバレるのだろうが、それでも一応、僕らが慌てて不開あかずの間から出てドアを閉めると、それと同時に執事が廊下の角を曲がって現れた。


 なんとか危機一髪で、部屋を出るところは見られずにすんだようだ。ま、バレるのも時間の問題だろうが……。


「ああ、ここにおいででしたか。そろそろ夕食のお時間です」


 廊下に置かれた背の高い置時計を見ると、確かに針はここの夕食の時刻である6時を指している。藤巻執事はそれを伝えに来てくれたのだ。


「ああ、藤巻さん、いいところに来ました。二、三、お訊きしたいことがあるのですが」


 そんな真面目に自らの仕事をこなす執事に、先生は何食わぬ顔で唐突な質問をぶつける。


「え? は、はあ。私でもお答えできるようなことであれば……」


「まずは、幹雄氏と柾樹君のお母さんである桂木菊枝さんが関係を持っていた時のことなんですが、それについて、やっぱり彩華夫人はそれなりに怒っていたんでしょうね?」


「ええ。そりゃあもう! …あ、いえ、私のような者の口からそのようなことは……」


 一瞬、快活に答えそうになった藤巻執事であるが、自分の立場を思い出したのか急に口籠ってしまう。


「藤巻さん、これは事件の解決にとって大変重要なことなんです。答えるのが花小路家のためでもあり、また、執事としてのあなたの責務だと思いますよ」


「はあ……」


 だが、その取ってつけたような嘘くさい先生の正論が功を奏したのか、執事はぼつぼつと再び語り始めた。


「やはり、奥様にしてみれば、旦那様は裏切った形になるわけでございますから……菊枝様との関係を知った時のお怒りようといったら、それはそれは尋常なものではございませんでした。あれは旦那様の方から言い寄られたのですが、奥様は菊枝様を泥棒猫呼ばわりしたり、時には旦那様の姿が見えなくなると、菊枝様の所にいるのではないかと部屋まで押しかけて行ったりと…ああ、私のような者がついつい余計なことを……」


 以外に藤巻執事、話し出すとけっこう能弁だったりする。


「いや、余計どころか大変参考になります。その押しかけて行った部屋というのは、そこの事件が起きた部屋のことですよね?」


「ええ。その通りです」


「なるほどぉ……では、その当時、幹雄氏の他にどなたか菊枝さんと親しくしていたような人物はいらっしゃいませんでしたか? あ、いや、男女の仲というのではなく人間関係的に」


「はあ。旦那様の他にですか……旦那様と菊枝様はその……いわゆる道ならぬ間柄でしたから、奥様は今言ったようにもちろんのこと、私や他の使用人達も奥様に御遠慮してあまり親しくは……茂様ご夫婦はその頃まだこちらに移ってはおりませんでしたし、お子様達も当時はまだ幼く……ああ、そうそう! そういえば、小さい頃の桜子様は菊枝様とずいぶん仲がよかったように記憶しております。このような山の中の屋敷では、他にお友達もおりませんでしたからね。菊枝様のお部屋へもよく遊びに行かれていたりして」


 最初は困ったような顔で考え込む執事だったが、どうやら語る内にそのことを思い出したらしく、遠い日を懐かしむかのようにしてそう答えた。


「そうですかあ……」


 執事の答えに、先生はうんうんと考え深げに頷いている。


 だが、僕には今の質問の意図がよくわからない。先生はいったい、何を考えているのだろうか?


「ああ、あともう一つ。となりの不開あかずの間なんですが、そこの鍵がなくなったのはいつ頃のことなんですかね? もしかして、菊枝さんがこちらを出て行った頃からってことありませんか?」


 な、何言い出すんだ! そんなこと訊いたら、僕らが鍵を壊したことがバレちゃうじゃないか!?


 と、僕は先生の不用意な質問にどぎまぎしながら、すでに鍵が壊れて不開・・ではなくなっているドアの方を横目に見つめる。


「ええと……ああ、確かにそう言われてみれば、その頃からだったような気も……」


 ……だが、どうにかそちらへは注意を向けなかったらしく、藤巻執事は再び遠い目をすると、朧げながらも先生の推測を裏づけるような言い方をした。


「やはり、思った通りですね……あ、いや、どうもありがとうございました。おかげ様でだんだんとわかってきましたよ」


 その回答にずいぶんと満足したらしく、協力してくれた執事に礼を述べる先生だったが、やはり何がわかってきたのか僕にはさっぱり理解不能だ。


「さ、今日もそろそろ楽しい夕食の時間になります。僕らも食堂に参りましょうか」


 そして、まだまだ多くの疑問を頭に残しながらも、うれしそうにそう告げる先生に促され、僕らは決して楽しくはない・・・・・・夕食へと今日も向かうのだった――。

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