六 骨肉の争い(2)

 お昼も近いし、調理場ならば誰かどうかいるかもしれない。ま、いなかったら藤巻執事でも探して頼もう……。


 そう考えて調理場へ行くと、案の定、そこには桜子さんと梨花子さんの姿があった。


 僕はドアの外から二人の姿を見つけ、声をかけようと口を開いたのだったが……次の瞬間、聞こえてきた彼女達の言い争う声に、思わずその場で足を止めることになった。


「柾樹よ! こうなったのもすべてあの柾樹がいけないんだわ!」


 調理場に立つ、山吹色の服に白い割烹着姿の梨花子さんが言う。


「なんてことを言うの! 柾樹さんはあなたのお兄さんなのよ!」


 その言葉に、桃色の衣装に同じく白の割烹着姿の桜子さんも手を止めて言い返す。


「フン! あの人を兄だなんて思ったことは一度としてありませんわ!」


「梨花子! あなたって子はまたそんなことを! わたし達は家族なのよ!」


 突然の修羅場である……また、悪いタイミングの時に来てしまったものだ。


「何が家族よ! 叔父様や叔母様を殺した人間を家族だなんて到底、思えませんわ!」


「殺したって……いくら嫌っているからって、根拠もなしにそんな滅多なこと言うものじゃないわ」


「根拠ならあるわよ!」


 過激な妹の発言に、呆れた桜子さんが諭そうと言葉をかけるのだったが、それに対して梨花子さんははっぱりと自信に満ちた口調でそう答える。


「な……!」


 予期せぬその返事に、桜子さんは思わず口を閉ざす。


 一方、僕はその発言に興味を覚え、物陰に体を移動させると二人に気づかれぬよう聞き耳を立てた。


「わたしやお母様同様、叔父様や叔母様も柾樹のことを嫌っていらしたけど、叔父様達はわたし達以上に本気で柾樹をこの家から追い出そうとしていたわ。居候の自分達の身に危機感を覚えていたのかしらね。いつも柾樹に嫌味を言ったり、嫌がらせをしたりして……それで、叔父様達は恨まれていたのよ。いいえ、そればかりじゃないわ。わたし、偶然聞いちゃったの。叔父様と叔母様が〝こうなったら、もう柾樹を殺るしかない〟って話しているところをね! きっと柾樹は自分が殺される前に、逆に叔父様達のことを始末したに違いないわ!」


 それは先程、彼女の母親である彩華夫人が聞いたという話とも一致する。やはり、茂・咲子夫妻は、柾樹青年の殺害を本気で企てていたらしい……にしても、あちこちで盗み聞きされているとは、なんともマヌケな殺人計画である。


 しかし、僕はすでにこの事実を知っていたのでそんな気楽な感想を持って聞いていたが、きっと今、初めて知ったのであろう桜子さんはその事実に絶句している。


「そんな……た、たとえ叔父様達の話が本当だとしても、柾樹さんはそんな恐ろしいことをするような人じゃないわ。あなただって見ていればわかるでしょう?」


 桜子さんは、なんとか搾り出した声で妹に反論しようとする。


「いいえ、わかりませんわ! わからないといえば、お姉様もよ。どうしてあんな人の肩を持つの? あの人はお父様がお母様を裏切って、別の女に産ませた子なのよ!」


 だが、梨花子さんに姉の言葉はまるで通じない。頭に血が上った妹は、逆に姉をそう問い詰める。


「梨花子! そんな言い方するものじゃないわ。母親は違っても同じお父様の……お父様の血を引く兄妹じゃない。それに、柾樹さんにはなんの罪もない。あの人は純真で優しい、とってもいい人よ。なのに、どうしてみんな、柾樹さんのことを……」


 それでも、桜子さんは柾樹青年のことを必死で庇おうとしている。


 純真で優しい、とってもいい人……かあ。


 柾樹青年を懸命に守ろうとする桜子さんの態度に、僕はこんな時に不謹慎だとは思うのだが、自分の中になぜか嫉妬心ジェラシ―を感じているもう一人の自分がいることを予想外にも気づかされた。


「お母様の子じゃないところが問題なのよ! お母様を苦しめるものはわたしの敵よ! お母様を散々悲しませた女の子供に誰がこの花小路家を継がせるものですか! お母様はお姉様かわたしのどちらかに婿をとって跡継ぎにするつもりだわ。それなのに、お姉様はそのお母様の考えに背くつもりなの?」


 他方、そんな僕の私的感情を他所に、姉妹の言い争いはまだまだ続いている。僕は頭を左右に振ると、再び彼女達の話に集中することにした。


「わ、わたしは別に、そんな跡継ぎだなんて……」


 詰め寄る妹に、歯切れの悪い口調で桜子さんは返す。


「フン。いいわ。お姉様にその気がないのなら、わたしがお母様の考え通り、婿をとってこの花小路の家を継ぐ。花小路家の財産を狙ってのこのことやってきた柾樹なんかにびた一文財産を分けてなんかやるもんですか! それも、自分の親族を平気で殺すような殺人鬼なんかに……ま、財産を狙っていたといえば、叔父様や叔母様もそうだったから、お互い殺し合ってくれたのはそれはそれで良かったのかもしれないですけどね」


 茂・咲子夫妻が花小路家の財産を狙っていたという話も、彩華婦人が話していたのと同様である……しかし、この梨花子さんというのもまた、歳のわりにはなんとも恐ろしいことを平気で言う娘だ……って、たぶん僕と同じくらいの年齢なんだろうけど。


「また、あなたはそんなひどいことを……柾樹さんは犯人なんかじゃないわ!」


「いいえ! 犯人はぜったい柾樹に決まってるわ! ……あ、でももう一人、可能性がある人物がいましたわね」


 だが、そう断言しようとした梨花子さんは、ふと思い出したかのようにそう呟いた。


「もう一人?」


 突然変わった妹の主張に、桜子さんがキョトンとした顔で訊き返す。


「ええ。薫さんってこともありえるわね」


「薫さんが!? まさか、そんな……」


 えっ? 薫君!? ……となると、実の両親を殺したことになるぞ? ほんとに「まさか、そんな」である……でも、なんで?


 驚きの声を上げる桜子さん同様、僕もその話には陰ながらこっそり驚いている。


「薫さんと叔父様・叔母様の親子関係がなんとなくギクシャクしていたのはお姉様もご存知ですわよね? わたし、ずっとなんでなんだろうなと思っていたんですけれど、以前、叔父様がふと洩らしたことがありましたの……〝あいつに本木の家を継がせるのは不本意だ〟って。どうやらあの家族はあの家族で、裏ではいろいろとあるみたいですからね。そこら辺がもとで薫さんが…ってこともあるのかなって思ったのよ」


 これはまた耳よりな新情報である。そうか。親子間の不和は柾樹青年を取り巻く花小路家だけのものではなく、本木家の方にもあったのか……しっかし、どこからどこまでもドロドロとした家族関係だな。


 物陰で話を盗み聞きしながら、僕はこの家にいるのがだんだんと恐ろしくなってきていた。


「とにかく! 柾樹が犯人でもそうじゃなくても、わたしはあの人がお母様やわたし達からこの家の財産を奪うのを絶対許しませんからね! 叔父様達じゃないけど、どんな手段を使ってもあいつをこの家から追い出してやるわ! お姉様がどんなに反対したって無駄よ! フン! なんだか気分が悪くなりましたわ。お姉様、お食事の仕度、後はよろしくお願い致しますわね」


「梨花子!」


 そう言い捨てると梨花子さんは昼食の用意を途中で投げ出し、姉の制止するのも聞かずに調理場から早足で出てこようとする。


 いきなり彼女がこちらへ向って歩いて来るので、僕は慌てて近くにあった人の身の丈程もある大きな古伊万里の壷の後へ隠れると、どうにかしてその場をやり過ごした。


 ……こいつは思いがけず、とんでもない話を聞いてしまったな……早く先生に報告しなくては。


 そして、桜子さんに気づかれぬよう細心の注意を払いながらその場を離れると、僕は先生の待つ応接間へと全速力で駆け戻った――。


 応接間に戻ると、「私はお茶が飲みたいです」と言って駄々を捏ねる先生をどうにか宥めすかし、盗み聞いてしまった話を息急く暇もなく彼に伝える。


「やっぱり先にお茶を飲みたいんですけど、なるほど。薫君とご両親が……そんな話もありましたか」


 初めのうちは不満そうにしていた先生も、話が進むにつれて興味を持ち始めたみたいである。


「となると、現在、動機の面で一番疑わしいのは柾樹君と薫君の二人ということですね……そういえば、あの二人の部屋は奇しくもあの部屋のおとなりでしたね」


「ええ。確か昨日、そう言っていたかと」


 そうなのだ。あの事件現場である部屋の右どなりは薫君、さらにそのとなりが柾樹青年の使っている部屋なのである。


 つまり、薫君にいたっては二度に渡って両親が自分の部屋のとなりで死んでいたことになるのだ。なんとも残酷な状況である……。


 しかし、そんな僕のセンチメンタルな感想に比して、先生は僕とはまた違ったことを思い浮かべていたようだ。


「でしたら梯子を使わずとも、あの部屋の窓から出てワイヤートリックで鍵をかけた後、壁伝いに自分の部屋まで帰るなんてことも可能ですかねえ?」


「えっ!? 壁伝いですか? じゃ、じゃあやっぱり、犯人はあの二人のどちらか……」


 僕がさっき外に行って調べたところ、問題の部屋の下の地面には梯子を立てたような痕跡は何も見当らなかった……あの部屋は二階にあるので、例えワイヤートリックで外から鍵をかけて密室を作れたとしても、窓から抜け出した後、梯子も使わずにどうやって犯人はそこから逃げたのか? そのことが大いに問題であったが、もしも壁伝いに自分の部屋まで逃げられるのだとしたら、その問題も難なく解消される。


「まあ、現実にできるかどうかは検証してみなければわかりませんけどね。とりあえず、お昼を食べたら実験してみましょう」


 というようなことで、僕らはその密室トリックの仮説が可能かどうか、実際にやってみることになったのである。

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