第四章-4 悪夢の夜

「葵紋と白旗を掲げた軍勢が向かって来ています!」

「彼奴らが真田だ!真田を滅ぼせ!」


 彦左衛門は必死に采配を振った。

 真田が撒いた流言のせいで自分たちが謀反人に仕立て上げられていると思うと、身を焦がしそうなほどに悔しかった。


「これが真田の策だとすれば、整然と動いてやって来るはずだ! 整然と動いている奴が真田だと、誰か伝えて来い!」


 彦左衛門も五十四歳である。猪突猛進の気は強いが戦の場数も踏んでおり、真田のやり方を見抜いていた。


「明かりを増やすのも忘れるな! そして火を焚け! 我が元に集まるように命ぜよ!」


 彦左衛門は次々と応手を打って行く。これで真田の手を封じ、この戦を勝利に導いてやると言わんばかりに彦左衛門の血は滾っていた。













 しかし、この時混乱から立ち直った秀忠も同じ事を命じていた。


「真田の事だ! この混乱に巻き込まれず正確に我らだけを討ってくるはずだ! とすればこんな状況で整然としている奴らが真田だ! 落ち着いて戦え!」


 そしてこの、冷静な応手が手遅れであったのみならず、かえって傷口を広げ致命傷に至る結果を生むとは、秀忠も彦左衛門も夢にも思わなかったのである。









※※※※※※※※※







「我ら大久保は豊臣家を滅ぼせぬ! 豊臣家を滅ぼすぐらいなら徳川の禄を離れるもやむなし! 征夷大将軍を討つも辞せず!」


 大久保軍を名乗り、葵紋旗を掲げるその部隊は、松明もまともに掲げず暗闇の中を家次軍に向けて突っ込んで来た。


「迎え撃て!整然としている奴が敵だ!」


 彦左衛門はそう叫んだが、その命に従って動いたのは彦左衛門の周囲にいた数百であった。それでもいいとばかりに彦左衛門は軍配を振ったが、彦左衛門の命を受け周辺に集った兵たちが前進した瞬間その兵たちの悲鳴が聞こえて来た。


「もう敵がここまで迫っているのか!?」


 彦左衛門は馬上の人となり前方を見据えたが、暗闇に目を凝らした所意外に敵の数が少ない。真田がどれだけの兵を注ぎ込んでいるかはわからないが、この戦を重要視しているのならば五百や千ではないはずだ。

 だが見た所、せいぜい衝突している敵の数は千に届いていなさそうである。


「どうしたというのだ……! まさか大久保謀反などという戯言を……!」


 皆真田の撒いた虚言を信じ込んでしまっており、大久保である自分の命を受けた軍勢を攻撃しているのか、と言う彦左衛門の読みは的を射ていなかった。








 実はこの時、「整然としている軍勢が真田軍であり敵軍だ」と言う秀忠と彦左衛門の命だけが軍全体に伝わり、混乱の極致に陥っていた兵たちはその言葉だけを頼りに、さまよう様に整然と動いている軍隊を狙い始めていた。


 彦左衛門の命を受けた兵たちは、まさに秀忠と彦左衛門言う所の「整然としている軍勢」だったのである。


 そして一度狂った、いや狂わされた歯車はどこまでも止まることなく狂い続け、誰にも止められない悲惨な状況を作り出して行く。





「上様の軍勢は混乱に陥っているようだ!」


 家康の命を受けた治胤は秀忠軍の状況を一目見るや、秀忠軍に言い表しがたい混乱が起きているのを察した。

 治胤は自ら先頭に立ち、秀忠軍に向け駒を進めていく。東門の方から来た治胤軍が真っ直ぐ北に進み、その後北門に向かうとなれば、当然秀忠軍の東側に出る。


「我らは大御所様の命を受けて来た援軍ぞ! 気合を入れて踏ん張れ!」


 それは治胤にしてみれば当然の言葉であり、混乱に陥っている兵たちに喝を入れるつもりであった。


 しかし、大混乱に陥っている秀忠軍に治胤の言葉をまともに解するなど土台無理な相談であった。徳川軍の新参兵たちはこの混乱に耐えきれず右往左往しており、東門から「整然と隊を組んでやって来た」治胤軍を真田軍だと勘違いし、治胤軍に対し攻撃を始めてしまった。





「何をする!?真田軍ではない、わしは大野治胤だ!」

「うるさい! 真田でなくばまともに動けているわけがない!」

「だから大御所様の命を受け……!」


 そこまで治胤が叫んだ所で、矢が飛んで来て治胤の肩をかすめた。


「貴様などが大御所様の命を受けた?勘違いも大概にしろ!」

「わしは直に命を受けたのだ! 勘違いはお前たちだろうが!」




「大御所様が貴様にやらせるわけなかろう! 三河譜代でも甲州者でもない貴様如きに三千の兵を預けるなど……!!

 そうか、わかったぞ! 貴様、このどさくさ紛れに豊臣に対して功を立てるつもりだな! 最初から内通していたのだな!!」

「何だとっ……!」


 治胤がそこまで言った所で治胤の胸に矢が突き刺さり、落馬した治胤はそれきり二度と動かなくなった。



 治胤を射殺したその男は、五十近い古参の精鋭であった。徳川がここまで大きくなったのは一枚岩とも言える団結力が武器であったが、それは同時に閉鎖性の高さも意味していた。関ヶ原の後大量の牢人が西国に発生したのは、取り潰しになった大名の家臣たちを徳川家が召し抱えなかったことにも由来している。

 徳川家には三河譜代、もしくは武田家を滅亡させたときに召し抱えた甲州者でなければ信用できないと言う空気が流れていた。関ヶ原の戦勝で増えた家禄を担ったのは牢人たちではなく、三河譜代や甲州者の次男・三男が建てた新たな家であった。

 それが牢人たちの怨嗟を招き十万もの兵を豊臣方が集められた理由であり、そして新参である治胤に対し堂々とこんな事ができる理由だったのである。




「内通者を潰せ!!」


 新参の兵も古参の兵も治胤を敵と認識し、彼が率いた援軍を内通者と思い込んだ。家康が放った三千の援軍はこの時たちまちにして内通者に転落したのである。




 この間にも、西側から嘉明率いる軍勢が確実に押して来る。混乱の最中にある秀忠軍はまともに迎撃する事も出来ず、迎撃しようとする者がいた所で味方に内通者と間違われて斬られるのが落ちであった。


「落ち着け! 半分まともに戦えていれば凌げるはずだ!」


 秀忠は必死に督戦していたが、実際ほぼ半分の兵は何とか理性を保ち戦っていた。秀忠本隊は四万であり、豊臣軍の北門に控えている軍勢は全体で三万、防衛と奇襲のための兵力を差し引けばせいぜい嘉明軍の兵力は一万数千だろうから半分の二万で十分凌げる計算である。

 しかし、それが現在では最悪の状況を生む結果になっていた。


「偽徳川軍めが!」

「馬鹿! 我らは味方だ!」


 半分の兵が理性を保ち整然とした軍隊行動を取ろうとしていると言う事は、もう半分の兵は収拾がつかないほどに混乱していると言う意味であり、「整然と動いている兵が敵」であるという認識だけが今の彼らの行動原理であった。


 無論、理性を保っている秀忠軍の兵卒は整然と動いていたが、その結果混乱している兵たちの標的にされてしまい、実質徳川軍は真っ二つになってしまったのである。まともに理性を保っている兵が多ければその内この混乱は治まるだろうし、混乱している兵が多ければ諦めもつきそうな物だが、ほぼ同数ではどうにもならない。








 と言うより、この時秀忠軍はずたずたに分断されており、千や二千の塊が多数漂っているという状態になっていた。

 そしてそれらがバラバラに戦い、同士討ちで数を減らし合う有様である。それなら諦めて逃げればいいと思うかもしれないが、逃げるにも小大名並の千や二千と言う数は図体が大き過ぎて邪魔くさく、更に自分たちとほぼ同数の軍勢を避け、あるいは戦いながら逃げるなど相当な指揮能力がなければ無理だった。


 こうなると忠世も利勝も家次も彦左衛門も、そして秀忠も小さな塊一つの長に過ぎなくなっていた。


「なぜだっ……!! なぜ真田の奇襲隊と伊予侍従の軍勢はこうも整然とっ!!」


 秀忠は頭を抱えながらそう叫んだ。両者ともそれほど訓練が行き届いているとは思えない。にも拘わらず、こちらが混乱しているのに向こうは平気で兵を進めてくる。徳川軍に成り済ました真田軍は平気でこちらの陣を駆け回り、嘉明軍は一歩一歩兵を進めてくる。
















 このからくりは単純であり、実は真田軍は徳川の陣内を自由勝手に暴れ回っているのではなく、家次の陣を左右に往復しているだけであった。東へ突撃して川を見たら西側に引き返し、嘉明軍を見たら東に進む、これを繰り返していただけである。

 嘉明軍の方はもっと単純で、太鼓の音で前進・それ以外は徹底してその位置に留まるという規則に従っていただけである。ただし、命令を順守した者にはそれだけで厚賞、破った者には厳罰と言う決まりを徹底させてはいたが。








「これではもうどうあがいても無理だ、北へ逃げるぞ!」


 秀忠はその決断を下さざるを得なかった。

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