第三章 女子高生、大坂城に構える

第三章-1 将兵集結

「井伊兵部がやられただと!?」

「真田の鉄砲隊によりあえなく討ち死に、近江の軍はほぼ全滅との事……」




 九月一日、駿府城の家康は正純のもたらした報告に、噛んだ爪を畳に吐き出した。


「わしとしたことが……少しもたもたしすぎていたか」

「どうなさいますか」

「もはや躊躇いは要らぬ……大坂を潰す!!」


 家康はゆっくりと立ち上がった。その顔には、揺るがしがたい決意がにじみ出ていた。


「江戸の上様の兵も命さえあればすぐ出撃可能です」

「それだけでは足りるまい……奥州や北陸、いや四国や九州からも兵を出させろ。浮かれている大坂の連中に思い知らせてやるのだ」




 家康は中国地方についてはもう諦めていた。池田利隆が死んだ今、福島や毛利が本気を入れて豊臣に与すれば、忠雄ではどうにもならないからだ。

 現に、この時池田家は高台院から出されていた条件、すなわち長幸に兵を率いさせて豊臣方に与させ忠雄は鳥取を攻撃すると言う方針に傾いていた。


「見ておれ真田め、貴様を倒しこの国から戦乱を屠ってやる!非難したくば勝手にしろ!!」


 家康の顔が悪鬼の形相に変わり、それを真正面から見た正純は思わず後ずさった。








 なおこの時秀美の危惧に反し、直孝殺しの下手人が秀美であると言う報告は家康に届かなかった。見ていた人間がいなかった訳ではないが、何せあの時はひどい混乱状態であり、銃声もあちこちで咆哮していたため誰が撃った弾が直孝を仕留めたのかわからなかったのだ。


 そしてそれは豊臣軍も同じであったのである。




※※※※※※※※※




「福島正則、只今参上仕りました」

「それでいかほどの兵を連れて参ったのじゃ」

「はっ、一万二千でございます」

「そうかありがたい。大坂を頼むぞ」


 十日、福島正則が大坂城に姿を現した。

 高台院直々の言葉に、正則は五十四にもなって目を潤ませていた。


「ははっ、それがし犬馬の労を厭いませぬ」

「口上はよい。左衛門佐殿と共にしっかり励んでくれ」


 正則は高台院の言葉に、改めて高台院の真田幸村に対する信頼の厚さを感じた。

 その五日後、毛利秀就が五千を、池田長幸が千五百を率いて大坂城に駆け付けて来た。長幸軍には播磨での戦いで捕虜となった池田軍兵士が加えられ、四千となった。


「毛利は五千か……もう千人ぐらい寄越すと思ったのだが」

「仕方ありません。九州が敵になっているゆえ」

「まったく、鍋島はともかく細川も黒田も加藤も太閤殿下のご恩を何だと思っている!」


 毛利の五千と言う数に対し不満をこぼした正則を幸村がたしなめた。

 正則は豊臣軍の二連勝と自分が大坂城に入った事により西国の大名が次々と大坂方になびくのを期待していたようだが、現実はそうならなかった。




 九州では薩摩の島津忠恒と筑後の田中忠政が家康の出兵要請を拒否したものの、肥前の鍋島勝茂、小倉の細川忠興、筑前の黒田長政は家康の出兵要請に応じた。


 四国でも讃岐の生駒一正、阿波の蜂須賀至鎮、土佐の山内忠義が福島軍に対する警戒と言う名目で日和見に入ったものの、伊予の加藤嘉明は出兵してきた。




「浅野も浅野だ……高台院様の親族にもかかわらず」


 和船は待ち受ける港がなければ上陸はできない。豊臣方についた毛利と福島によって中国地方をほぼ丸々抑えられている状況では瀬戸内海の港には上がれない、となると西からやって来た船は紀州から上陸をするのが一番早い。

 紀州の浅野長晟は既に、四家の軍勢を迎え入れる準備を整えていた。


「数はどれだけなのか、おうかがいしたいが」

「鍋島が三千、細川が七千、黒田が六千、加藤が四千との事」

「細川が一番多いのか?黒田ではないのか?」

「両天秤ではないでしょうか」


 正則は幸村の言葉に苦々しい表情で頷いた。

 細川も黒田も南がどう転ぶかわからない豊後、さらに南には出兵要請を拒否してきた島津・田中とそもそも出兵要請のなかった加藤忠広がおり本国を空けにくいと言う状況は同じであるし、石高で言えば黒田が五十二万石、細川が四十万石なのに、兵が多かったのは細川であった。

 実は細川忠興の次男長岡興秋は、この時既に大坂城に入っていた。忠興にしてみれば、例え小倉が危機に陥っても大坂を潰せば徳川が助けてくれる、万が一徳川が負けても興秋が何とかしてくれる、だから自分は全力で向かって行ってもいいだろうという判断である。


 両天秤と言えば浅野もそうなのだ。正則が大坂城に入城した翌日に、浅野長吉が千の兵を引き連れて大坂城に参陣してきた。明らかに豊臣方が勝った時のための保険である。


「忌々しい!浅野を攻撃して港を押さえてしまえないか」

「福島殿もご覧になったでしょう、豊臣軍の有様を」


 確かに、この二連勝と自分たちの参陣で大坂城に兵は増えた。だが、豊臣の水軍が増えた訳ではない。兵については福島や毛利の水軍を使えばよいが、船があまりにも貧相で、とても軍船と呼べる体の物は存在しない。正則も、これなら大きな商船の一隻でもあった方がまだましだと呆れたほどである。


 大坂にいる大軍を使って陸戦で紀州を抑えられるならそれでいいが、敵が制海権を持っている土地で戦うのは不利だし、紀州自体が山国で守りやすく攻めにくい土地であり、地理的にも僻地である。紀州にこだわって、大坂の守りを薄くしては元も子もないのだ。


「となるとやはりこの大坂城に頼るしかないか……」

「太閤殿下が築き上げた、この要塞にですな」

「伏見と二条は駄目か」

「駄目ですね。あの城は守るには全く向きません。いくら井伊軍大敗と言う結果があったとしてもあれが現実です」


 伏見城と二条城は井伊直孝討死の報を聞くや一日で開城してしまった。

 直孝の死を知って城内が絶望に包まれた事が大きな原因であるが、それを差し引いても両城は守りに弱かった。幸村が両城に差し向けた兵は三千ほどで、決して強兵ではなかったのにである。





「吉兵衛(長政)……まさかこんな事になるとはな。俺とお前の仲だったはずのお前となぜ戦わねばならんのか……」


 豊臣家を守る為に若き時からの親友である長政と戦わねばならない目前の運命に、正則は思わず天を仰いで溜め息をついた。その正則の頭に、石田三成の名前はなかった。




※※※※※※※※※




「全く……あ奴はどこまでわしを不愉快にさせ続けるのだ。わしは父ではない。わかりきっていることだろうにそれを……」

「まあまあ……」

「お静かに!」


 その黒田長政は正則の苦悩を察しようともすることなく、紀州への船上でいら立ちを募らせていた。そのいら立ちぶりに、同乗していた勝茂は黙って長政の顔を見つめるしかなかった。

 そして忠興は長政をなだめようとしたが、それがかえって長政を怒らせた。


「真田めは小大名の流人のくせにわしの命令を踏みにじった!このままでは黒田の面目は丸潰れだ!」

「恐れながら、招き入れたのは秀頼君と高台院であって真田では」

「静かにしてください!」


 勝茂の恐る恐るの言葉にも、長政はなお激高を深めるだけであった。


「又兵衛の首級を上げねば、わしは気が済まんのだ!いつもいつも父上なら父上ならとわしを蔑ろにしおってからに……」」


 長政は怒りに震わせた拳を船室の床に叩き付けた。その音の大きさに、忠興も勝茂も思わず怯んでしまったほどである。


 長政は父である如水こと黒田官兵衛に凄まじい劣等感を抱いていた。


「太閤の目」、「秀吉に天下を取らせた男」、「二兵衛の片割れ」、「太閤に警戒された人たらし」、どの呼び名をとっても一流のそれである。長政にしてみれば、父に寵愛されいつも父と比較して物を言ってくる又兵衛こと後藤基次が不愉快でならなかったのである。


 だからこそ父の死後まもなく又兵衛を家から追放し、どこにも仕官できなくなる「奉公構」の処分にしてやったのにもかかわらず、幸村は自らの手で京にいた又兵衛を招へいし、大将の一人として配属したのである。

 挙句まだこれと言った豊臣軍での実績がないにもかかわらず、播磨の戦で大将を務め池田軍を打ち砕いた長宗我部盛親、山城での戦いで井伊軍殲滅に大きく貢献した明石全登の二人と同格として。


 これまでの経験からすれば妥当な格付けであったし長宗我部・明石の両名や正則も納得したが、長政にとっては不愉快極まりなかった。




 また、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでもないだろうが、長政は最近父如水にも怒りを覚え始めている。


 関ヶ原の戦いにてせっかく自らの手で小早川秀秋を寝返らせ東軍の勝利に貢献したのに、父から返ってきた言葉は


「なぜ握手の最中に空いている手で家康を刺さなかったのか」

 だった。


 長政にしてみれば父を隠居に追い込んだ石田三成を成敗して親の仇を取ったつもりだったのに、頭から冷や水をかけられた格好である。




 さらに晩年、如水は乱心とも言える暴虐ぶりを家臣たちに対して発揮した。


 諌めた長政に対し、如水は

「こうすればわしから人心が離れてお前に行き、わしの死後統治がやりやすくなるだろう」

 と言い放ったのである。


 その時はありがたい配慮だと思ったが、今になってみると俺は最後の最後まで面倒を見てやらなければならない不肖の息子なのかと腹が立ってくる。

 彼にとって父に愛された又兵衛を討つ事は、父を越える事でもあったのだ。







「共に又兵衛、いや秀頼君をそそのかす真田や福島の首を取りましょうぞ、鍋島殿、細川殿!」

「うむ…………」


 勝茂と忠興はつとめて平静を装いながら頭を下げた。両名とも自分の父が優秀な人物でありそう世間に思われている事はよく知っているが、だからと言ってここまで父やその寵臣に対し感情を込める事はない。長政の執着ぶりにやれやれという気分になってしまったのである。

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