第三章-2 徳川勢集う

 十月一日、遂に葵の旗が大坂城下に翻った。







「秀頼君をたぶらかし、不要の戦乱を招く真田幸村と福島正則を討つのだ!!」


 家康は年齢に見合わぬ大声を張り上げた。七十二年を生きたその顔には年齢にふさわしい年輪が刻まれ、その年輪が家康の本気たるをなお雄弁に語っていた。




「ふぅ」

「いよいよですな」

「弥八郎、おぬしが来る事もなかったろうに」


 言うべき事を言って陣幕の中に下がった家康は、さすがに疲れたと言った様子で肩を叩いた。

 陣の中には、弥八郎こと本多正信が控えていた。家康にとり最大の盟友であり、師であった。家康より四つ上、七十六歳の正信は家康以上に疲れていたようだが、それを顔に出そうとはしなかった。


「上様はもう十分やって行けます。それより大御所様の方が」

「心配だと言うのか?」

「ええまあ。何せ予想外の事ばかり起きたもので」


 正信をして高台院の復帰・井伊軍の惨敗・福島正則の参陣と予想外の事態、しかも悪い方向のそればかりが起きている。


「しかし今さらですが、上様の到着を待たずに大坂を包囲してよかったのですか?」

「とりあえずこの態勢は作らねばなるまい。さすが真田よ、守りにくい二条と伏見をとっとと放棄するとはな」


 二条城も伏見城も、そして京も攻めやすく守りにくい土地であり、兵力を大坂城に一点集中させた方が良いと言う幸村の判断に誤りはなかった。


「大坂の兵は十万か」

「そう見て間違いないと思います」




 この時、徳川軍は家康の本隊が駿河を領する家康の十男、頼宣の兵を加えて三万。

 尾張を領する家康の九男、義直の軍勢が一万五千。

 家康の二男秀康の子で越前を領する松平忠直が同じく一万五千。

 伊勢の藤堂高虎が五千五百、高虎に付き従う格好になった本多忠政ら伊勢・大和の小大名が七千。加賀の前田利常が三万、そして紀州からやって来た黒田・細川・鍋島・加藤が合わせて二万。

 合計十二万二千五百である。

 大坂城の兵力を十万とすると一応は多いが、常識として互角に近い兵力で城攻めは辛い。

 ましてや家康の場合、信長や秀吉のように奇策を繰り出せる才能はない。


 ただこれは今現在時点での数であり、この間にも秀忠率いる幕府直属軍五万が大坂を目指しており、それだけでなく越後の松平忠輝、仙台の伊達政宗、会津の蒲生忠郷、秋田の佐竹義宣、米沢の上杉景勝など関東や東北の大名が次々と大坂を目指して行軍している。

 この軍勢も今述べた五名だけで五万がおり、さらに南部や津軽、信州の兵も集めるとなると、もう三万ぐらいは上乗せできそうである。

 要するに、徳川の動員兵力は二十五万はあるのだ。

 それに対し、大坂が当てにできそうな増援は出兵要請を拒否した薩摩の島津に筑後の田中と、豊臣家の親族である肥後の加藤忠広ぐらいである。三者を合わせれば三万五千はあるが、大坂からは遠く九州にも防備の軍勢が残されており当てにはならない。

 仮にその三万が加わった所で大坂方は十三万五千、徳川方のおよそ半分に過ぎない。しかし、家康に油断はなかった。




「真田の布陣は徹底した大坂城頼りですな」

「それでそれが最善手だろうな」


 この時大坂城の本丸には八千の親衛隊がいただけであり、幸村は二万五千の兵で東側の守りについていた。

 南西には福島正則に池田長幸軍・浅野長吉軍と合わせて一万八千で構え、西側には長宗我部盛親に後藤又兵衛がつき、南西と同じく一万八千で待機していた。

 南東では毛利秀就が一万五千に増やされた兵力で守りを固め、北側には明石全登が一万六千で守備をしていた。


 一方この時家康本隊、義直軍、忠直軍と言った主力軍は東門に集中しており、南西には藤堂高虎を大将として黒田・加藤・鍋島・細川と言う四国・九州の将と伊勢・大和の小大名たちが集められていた。

 両者の中間の南東には前田利常軍が控えている。要するにこの時、全登の役目はほぼ遊軍であり、基本的に真田の予備隊であった。




「なあ弥八郎、おぬしが真田ならどうする?」

「それは……大御所様の死を待ちます」

「だろうな」


 他の者が言えば激怒されそうなセリフも、家康は軽く聞き流す。これが家康と正信の仲の深さであり、家康をここまで押し上げて来た理由の一つであったが、それが同時に武断派家臣との溝を作ってもいた。


「だがわしが死なずとも待つ価値はある。何せもう十月だからな」

「寒くなりますからな」


 旧暦十月は冬である。いくら大坂が西国の摂津と言えど、これから長陣となると寒さは堪えられなくなる。そうなると城の中に籠れる大坂方が有利になりそうだ、ましてや雪でも降るとなると尚更である。


「そこでだ。わしは明日攻撃を開始させる」

「もうですか」

「今豊臣を持たせているのは幸村と正則だ。だが彼らを討つのは少し難しい。とすれば成すべきは一つ。彼らの手駒を一枚一枚剥ぎ取って行くのだ」

「なるほど」


 そう言いながら家康は手元から懐紙を取り出して見せた。

 見た所大坂方の大将の名前が十数個並んでいるが、幸村や正則の名前がないどころか又兵衛や盛親、全登の名前もない。

 薄田兼相、塙団右衛門、仙石秀範、御宿政友など先の五名と比べると実力はともかく実績や格は一枚から二枚落ちる連中ばかりである。


「この中の一人でも討ち取ればその日の戦は勝利とし、絶対に深追いしない。それを繰り返せば奴らは確実に消耗して行く。こちらも多少の犠牲はあるだろうが、それを補う兵力がこちらにはある、だが向こうにはない」

「なるほど、消耗戦ですか」

「多少良心は痛むが仕方あるまい。乱世を磨り潰すためだ」


 家康の顔が自責の念と覚悟が入り混じった表情に変わった。確かにこの方法ならば勝利は確実に一歩一歩近づくだろうが、敵だけでなく味方の犠牲も馬鹿にならないだろう。それを考えると胸が苦しくなったのである。




※※※※※※※※※




 その頃、大坂城の南、茶臼山では南西方面軍の大将である藤堂高虎が黒田・鍋島・細川・加藤の四将と共に軍議を催していた。


「これが大御所様の作戦を記した書だ」


 高虎は懐から四通の書を取り出し、四人に配った。


「これは一体」

「敵将の名だな。薄田と言えば山城で井伊兵部を倒した軍勢の一角を担った男だ」

「その通りだ。大御所様は無理をせず、彼らの内一人でも倒せばその日の戦いは勝利とし、それ以上の深追いはしないようにとのことだが、率直な意見を聞かせてくれないか」


 高虎の言葉に、嘉明が手を上げた。


「大坂の将の名と藤堂殿は申されましたが、真田左衛門佐や明石掃部頭、宮内少輔の名前がないが」

「大坂城に籠られた今、彼らをいきなり討つのは難しいだろう。とすれば彼らの頼りとする戦力を一枚一枚剥ぎ取って行った方がよい、それが作戦なのだろう」

「なるほど……将を討たんと欲すればまず馬を射よか」

「待たれよ!」


 嘉明のその言葉に、顔色を変えた男が一人いた。


「黒田殿、何か?」

「真田や明石、長宗我部の名前がないのはわかる!福島や毛利がないのもわかる!しかし、なぜここに後藤基次の名前がないのだ!」

「それは……大御所様が又兵衛を真田や明石と同格の難敵であると認識した結果であろう」

「何だとっ!池田勢を打ち砕いた長宗我部、井伊勢を倒した明石、両名に策を与えた真田に対し、後藤が何をしたとおっしゃられるのだ!」


 長政の剣幕に、紀州への船上で長政の怒りをまともに受けている勝茂と忠興は苦笑を浮かべた。内心、またかと言う気分になったのである。だが嘉明は平然と正論を返し、そして長政はまた激高した。


「いやそれは……」

「泉州殿(藤堂高虎)もおかしいと思わないのか!後藤が豊臣軍に加わってから、真田や長宗我部や明石のように功績を立てたか?立てていないであろう?」

「そんな事をおっしゃられましても、又兵衛はおっしゃる通り未だこれと言った功績はなく、実際又兵衛は宮内少輔の副官に過ぎません」

「だからそんな男がなぜ真田や長宗我部、福島と同格なのだ!?」

「東側は我らの主力の居る所、真田でなければ辛いでしょう。南西の我らや南東の前田も主力ほどではないものの確固とした大名の軍勢、本人が功績を挙げたとしても牢人の明石や長宗我部の手勢では心許ない、と言う訳で福島と毛利を配置したのです」

「こちらの質問に答えろ!」

「大坂方としてはここで一叩きしておかねば敵は増え、苦しくなる一方。ですから戦況次第では打って出て来る可能性があるのです。しかし東側は数が倍の上主力、南東側も数が倍、となると我々南西の一角が危ないのです」

「長宗我部ですか」


 嘉明は長政の怒りをわざと顧みないかのように高虎の言葉に割り込んだ。


「その通り。我らが南門の攻撃に集中しすぎると、その隙をついて長宗我部が西門から割り込んで来る可能性がある」

「そんな事はわかっている!」

「しかし、わかっていても何としても向こうは勝利が欲しいはず。とすれば相当な将の、相当な数の軍勢を送り出してくるはず」

「要するにその軍勢を率いる役目、あるいは宮内少輔自ら出た場合、残った軍勢の指揮官として又兵衛が必要だと」

「泉州殿、その軍勢の抑えの役目を私にやらせていただきたい!その程度の事は泉州殿の指揮権の範囲内であろう!」


 嘉明の口から自分の質問に対しての実質上の答えが出た所で、長政はつかみかかるように高虎に顔を近づけた。


「ではお願いいたす。そして、細川殿、鍋島殿、某、本多殿、加藤殿の順で大坂に攻撃をかけ、黒田殿は他の小大名の方々と共に予備隊として茶臼山で待機していただきたい」

「お待ちください!なぜ茶臼山で待機なのです?」

「来なければ来ないでいいからです。ですがその場合、小大名の方々だけでは予備隊としては少し不安。かと言って我らの中で最強の本多殿の軍勢なしでは心もとなく」


 本多殿とは伊勢で十二万石を取っている本多忠政の事である。忠政の父はあの本多忠勝であるから、当然その兵は強兵だろう。それは長政も認めていた。だが、それでも長政は納得しなかった。


「先ほど討って出て来るに違いないと言ったのはどなただ!茶臼山などで間に合うか!あらかじめ兵を備えておかねば危ないだろうに!」

「違いないとは言っていない、可能性があると……わかり申した、本多殿には茶臼山にて構えていただき、黒田殿に西側の守りをお願いいたす」


 長政の剣幕に、高虎は遂に折れた。高虎もこういう時の下手な妥協はまずいのはわかっていたが、それでもうなずかざるを得なかった。


 結局、黒田勢六千は本隊の西側に構え、細川・鍋島・藤堂・加藤の四将、二万の軍勢が大坂城攻撃に当たり、その五名以外の小大名たちを本多忠政が率いて茶臼山にて予備隊として待機する事になった。




 嘉明が深くため息を吐くと同時に、勝茂も忠興も追従するかのようにため息を漏らした。


 そして勝茂と忠興が視界から消えると同時に、嘉明は大坂城を眺めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る