第三章-3 裏切り
「攻撃を開始せよ!」
慶長十九年十月二日、大坂の地に家康のしわがれ声が響いた。
遂に、後に大坂の陣と呼ばれる戦いが始まったのである。
家康の号令と共に、東からは松平忠直、徳川義直率いる三万と家康本隊三万、南東からは前田利常率いる三万、そして南西からは藤堂高虎が指揮を執る三万二千の軍勢が大坂城に攻めかかった。
「来たぞ!太閤殿下の築きし大坂の城の力を見せてやれ!!」
そう叫び返したのは福島正則である。真正面に翻るは葵紋ではなく九曜紋や中白旗であるが、正則にとって敵は家康だけであった。
すっかり徳川寄りになった高虎や忠興、元から縁の薄かった勝茂はともかく、同じ賤ヶ岳七本槍の嘉明や幼いころから仲の良かった長政は何とかなるという思いがあった。
「吉兵衛!孫六(嘉明)!今ならまだ間に合うぞ!豊臣の為に死ね!」
正則は長政と嘉明に呼びかけるように叫ぶ。
だが、正則には長政が又兵衛への憎しみに完全に支配されていると言う現実はわからない。
(何を今さら……!)
元よりいら立ちを募らせていた長政は、正則の言葉を聞いてさらに怒りを濃くしていた。だったら何で又兵衛に手を出したのだと聞いた上で、自分と又兵衛どちらを取るのか迫ってやりたかった。
実は一時、又兵衛は正則からも召し出しを受けていたのだ。当然、奉公構の措置を楯に長政が妨害したため仕官はできなかったが。
「もう遅いわ!進め!」
そう叫び返したのは長政でも嘉明でもなく、南西方面軍の先鋒を務める細川忠興であった。
忠興に豊臣家に対する未練はなかった。家康と同じように、戦乱を長引かせるだけの面倒な存在だと思っている。忠興の進めの声と同時に、九曜紋を掲げた軍勢が大坂城に前進を始めた。当然の如く、城内から迎撃が来た。
しかし、鉄砲玉が飛んでくる音が全然聞こえない。
聞こえるのは矢の羽音ばかりであった。間隙なく飛んでくるためさすがに十数人の兵士が負傷したが、かえって兵士たちの闘志をかきたて、かつ勝ち誇らせるばかりであった。
「落ち着け!貴重な鉄砲を節約しているだけだ!あるいは我々に油断させるのが狙いかもしれんのだぞ!」
忠興はそう兵士たちに呼びかけるが、兵たちの勢いは止まらない。
やがて、細川軍の先手大将が城門に手をかけようとしたその時である。今まで全くなかった銃声が凄まじい音量で轟き、あっと言う間に百余りの命を奪った。
「ほら見ろ!やはり策だったではないか!一旦下がれ!」
忠興の命により将兵が後退すると、入れ替わるかのように城門が開き、桐紋の旗を差した軍勢が細川軍に突っ込んで来た。
「細川殿が危ない!」
細川軍の危機を察した勝茂が細川軍と入れ替わるように前進を開始し、まもなく鍋島軍と大坂城軍による白兵戦が開始された。
「出て来たか!数は」
「およそ五千!」
五千と聞かされた高虎は首を捻った。どうにも中途半端だ。一撃を加えさっと引き上げるにしても、一気に片を付けに行くにしても帯に短したすきに長しである。だが、鍋島軍よりも多いだけに、細川軍が体勢を立て直す前に突破されると危ない。
「我らも飛び出してきた敵軍勢を撃破しに向かう!」
細川軍が立ち直れば、鍋島軍と合わせて一万弱となり、飛び出してきた軍勢のほぼ倍であるが、それを許してくれるとは思えない。
ここが勝負どころとばかりに更に兵を出してくるだろう。その結果忠興や勝茂を失うような事態になれば、正則の首を取らないと割の合わない負け戦となる。ならば、先手を打つしかない。
そこまで高虎が考えていた所で城門から更なる軍勢が飛び出して来た。数はおよそ八千。
「黒地に山道の旗です!」
「福島だ!福島が来たぞ!」
今しかない、高虎は決断するように采配を振った。
「よし、黒田殿を除く全軍勢に告ぐ!福島軍を殲滅し、左衛門大夫の首を取れ!」
茶臼山に控える軍勢も含め、西門への備えである長政の軍勢以外全ての手勢を攻撃に注ぎ込む。そして、何が何でも福島正則の首を取る。
これしかないと高虎は決断した。無論、家康から渡されたこの中の一人でも討てば深追いしてはならないと言う書の存在は忘れてはいないが、この期に及んでは仕方がないと割り切っていた。
「申し上げます!!」
「何だ!」
「黒田様の軍勢が動き始めました!」
「何だと!?西門から敵が来たのか!?」
「いえ、こちらに向けて!」
「馬鹿な……!西門の押さえである黒田軍がいなくなったら一大事ではないか…!」
「それがその……最初に飛び出してきた敵軍が予想外に弱く」
そんなと言おうとしたが、高虎には思い当たる節があった。
(池田に浅野か……)
池田長幸の軍勢は半分以上が元々池田利隆に仕えていた人間であり、播磨の戦いで敗れて捕虜になり、長幸軍に強引に組み込まれた。浅野軍は指揮官が高齢の浅野長吉であり、大坂に送り込まれたのも明らかに浅野家を生き残らせるための捨て駒であった。
当然、両者とも士気は上がっていないだろう。そして池田勢と浅野勢を足すとちょうど五千であった。それが楽に撃破できたため、後は福島軍を突破すれば大坂城内へ侵入できるという考えを抱いてしまったのであろう。
「功を焦る奴があるか……!誰か残っていないか」
高虎が慌て気味に周りを見回すと、加藤嘉明の軍勢だけゆっくりと前進し、未だ福島軍と交戦していなかった。
「仕方がない……加藤殿に西門を押さえてもらおう!誰か頼む!」
高虎は矢継ぎ早に指示を飛ばした。黒田の作戦違反を詰っても仕方がない、今は状況に応じて兵を動かすのみだ、そう高虎は割り切っていた。
しかし、実はこの時長政が南門に向かっていたのは、功を焦ったからではなかった。
※※※※※※※※※
福島軍の突出に追従するかのように、下り藤の旗を掲げた兵たちが西門から南門へ駆け付けて来た。旗の数からして、数はおよそ五千。
「南門に援軍だと!?」
「下り藤の旗を掲げた軍勢、およそ五千!」
「下り藤だと!?」
そして、下り藤は後藤家の家紋であった。又兵衛来たるの報を受けた長政の頭に、一挙に血が上った。
「おのれ、一気呵成に叩き潰してくれる!!」
「おやめ下さい!そんな事をすれば西門はがら空きとなり、宮内少輔の軍勢に攻められます!!」
「では放っておけと言うのか!」
「はい、藤堂様や加藤様にお任せいただき」
「わしが出て行かなければあいつはわしの臆病ぶりを喧伝する!そうなればわしの面子は丸潰れだ!いやそれだけでなく我ら全体の士気が萎えてしまうぞ!」
「ですが」
「もういい!!おぬしが行かないのならわし一人でも行くぞ!!」
「わかり申した」
「わかってくれたのならばそれでよい。続け!」
側近であり副将でもある栗山利安は必死に長政をなだめにかかったが、そこまで言われてはもうどうにもならない。渋々、利安が長政の言葉にうなずくとともに長政の言葉と共に、黒田軍六千は南門への突撃を敢行したのである。
当然、これを見逃す正則や盛親ではなかった。黒田軍が突撃を開始するや、西門から豊臣軍が飛び出してきた。
「やっぱり来たか!」
高虎は苦虫を噛み潰した表情になった。
「加藤殿は!」
「それがまだ返答は」
「何をやっている!西門の軍勢を防がないと危ないのに!あるいはわし自らの手でやるしかないのか」
高虎はそういうと自らの傍らにいた渡辺了の顔をちらりと見た。
「勘兵衛!ここには今三千ほどいる。その内二千を与える故西門の敵を防いでくれ!」
今すぐ、自分の手でできる解決策はこれしかなかった。泥縄であるとはわかっていても、他に打つ手はない。高虎は、天に向けて勝利を祈りたくなっていた。
だがまもなく、その祈りを踏みにじるかのような言葉を高虎は聞かされた。
「一大事でございます!!加藤嘉明が寝返りました!!」
高虎の顔が真っ青になった。
「ば、馬鹿な!」
確かに嘉明は豊臣恩顧の将だし、正則とも親しかった。しかし、ここまで来ると言う事は他の四国の大名と違い、豊臣との戦いを割り切っているのではないか、高虎はそう思っていた。
「ぜ、全軍撤退だ!!それしかない!!」
高虎はそう叫んだ。確かにもはやそれしか道はなかった。
※※※※※※※※※
嘉明は当初から、寝返りを企図して大坂に来た訳ではない。ただし、豊臣と戦うと割り切っていた訳でもない。あえて言えば、日和見のためである。
もし、豊臣家が自分の力を託す価値のある家であるならば、もう一度豊臣のために戦うのも悪くないと思っていた。
実は嘉明にも、長政と又兵衛と同じ関係の人間がいた。塙団右衛門である。
だが、井伊軍討滅戦のあらましを嘉明はよく知っており、団右衛門の暴走を予期しその上で井伊軍を完全に打ち砕いた幸村に、敵意を抱くと言うより敬意を払い始めたのである。
一方で、長政は又兵衛に対しての敵意をむき出しにし続け、はばかることなくまき散らしていた。高虎ならば何とかしてくれるだろうと言う期待もあったが、高虎も長政の怒りに押される形で妥協してしまった。
そして、又兵衛の旗を見せられた長政の暴走ぶりに、ついに嘉明は決断を下したのである。
※※※※※※※※※
「進め進め!」
嘉明の裏切りは、大坂方がいささか押され気味であった南門での戦況を、いっぺんに大坂方に傾けた。特に先鋒であった細川軍と、最初に大坂方の攻撃を受け止めた鍋島軍の犠牲は増大した。
「我こそは木村重成!徳川方に将はおらぬか!」
更に、その脇を突くように西門から送り出された軍勢の大将、木村重成が大声を上げて迫ってくる。よく見れば、その後ろには盛親本人が兵を疲れさせない着実な速度で一歩一歩前進してきていた。木村軍は二千だが、盛親の率いている兵は六千はありそうだ。これに本格的な攻撃をされたら一大事である。
「本多殿に援護を頼んでくれ!」
高虎はまだあまり戦っていない本多忠政の軍勢を木村軍への防御に回させた。
「真田め……福島を通じ加藤に誘いの手をかけていたのか……!くそっ、どうして見抜けなかったのだ!」
高虎はうめく様につぶやいた。とりあえず茶臼山へ逃げ込めば何とかなるだろうが、完全なる負け戦である。初戦からこれでは、先が思いやられると言う物である。当然、この勝利は大坂方を元気づけるだろう。次回からはやりにくくなる一方である。
※※※※※※※※※
秀美は、大坂城に入った当初より加藤嘉明を狙っていた。
福島正則と親交があり、将としても優秀で味方となれば頼れる男だと踏んでいた。井伊軍殲滅作戦に団右衛門を投入したのは秀美の助言であり、嘉明をにらんでの策だったのである。
そして秀美の思惑通り、団右衛門をうまく御した「真田幸村」は、嘉明の心をつかんだ。井伊軍討滅作戦の経緯を嘉明がよく知っていたのも実は秀美の策であり、真田忍びの一人を使って嘉明に吹き込んでいたのである。作り上げた嘘ならばれたかもしれないが、真実であるだけに信憑性があり、そして嘉明も実際に信じた。
一方で、正則と嘉明以上に親交があった長政には、秀美は何の手も打たなかった。
「あの人、又兵衛さん……いや又兵衛様と張り合う事しか考えてないから……」
秀美は長政を当初から見限っていた。仮に又兵衛が団右衛門と同じ経緯で功を上げたとしても、長政が又兵衛を見る目は変わらないだろうと思っていた。団右衛門が猪突猛進の男である事をわかって見切った嘉明と、又兵衛の知勇兼備の才を認めているが憎んでいる長政では訳が違ったのである。
結局、この南門の戦で加藤軍四千が豊臣方に寝返り、細川軍は死者千、負傷者千二百という大損害を負った。他、鍋島軍は死者三百負傷者五百、藤堂軍・黒田軍も各々五百以上の死傷者を生み、他の小大名も合わせると死者は二千、負傷者は三千となり、都合九千の軍勢が失われたのである。
豊臣軍も池田・浅野軍中心に犠牲があったものの、死者五百、負傷者千二百、しかもその大半が戦力としては当てになりにくかった池田・浅野軍であったため、実質的には豊臣方の大勝であった。
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