第三章-4 徳川の潰し合い
ここで時は少し遡る。
家康の鬨の声が上がり、細川軍が前進を始めたその時、東側でも戦いが始まっていた。東門に待ち受けるは大坂軍総大将、真田幸村。その数は二万五千。
攻撃するは、家康の孫の松平忠直が率いる越前軍一万五千と、九男徳川義直が率いる尾張軍一万五千、そして家康本隊三万。
「かかれ、一番乗りは軍功第一だ!!」
そう強く叫んで兵士を督戦しにかかったのは忠直である。
この時、この戦にかける意気込みが一番強かったのは二代目として家康を越えたい気持ちの強い秀忠であっただろうが、秀忠が戦場にいない現状ではこの忠直が一番意気込みが強かった。
(本来ならばわしが将軍になっているはずだ!)
そういう思いが忠直にはある。父の秀康は家康の次男であり、長男の信康が二十歳で織田信長に殺された以上家康の嫡男であり徳川を継ぐにふさわしいはずであった。
しかし、家康は秀康の弟の秀忠を後継者に指名した。やれ性格がどうだの、側室の子だからどうだの、秀吉の養子であったからどうだの家康は言っていたが、家康は元から秀康の事が気に入っていなかったのである。
その理由を家康に言わせれば、秀康の持つ素晴らしい才覚がむしろ邪魔だからとなる。
家康は豊臣政権の崩壊を目の当たりにし、秀吉と言う一人の人間に依存した政権の脆さを感じた。徳川に崩壊を起こさせないようにするためには、己が才覚を頼みすぎるきらいのある、いや本人にその気がなくとも勝手にその方向に持って行かれてしまう危険のある秀康を後継者にするわけにはいかない、それが家康の判断であった。
だが忠直に家康の考えなどわからない。
(あの秀忠などに戦ができるか!必ず秀頼に幸村、正則の首級を挙げ、秀忠の鼻を明かしてやる!無論、義直などに大きな顔はさせてやらん!)
忠直にしてみれば、家康の後を継ぐはずであった父を差し置いて後継者になった秀忠も気に入らないが、義直も気に入らなかった。
徳川の正統後継者であると思っている自分が未だに松平なのに、叔父とは言え年下の義直・頼宣・頼房の三人が徳川姓を名乗っていると言う事実も忠直の神経を尖らせていた。
松平姓の由来については、家康も確かな事は知らない。在原姓だとも言われているが、それも怪しいほどである。対して徳川は新田氏の末裔である堂々とした源氏の末裔であり、徳川と松平では重みがまるで違った。
お家に対し何の貢献をしたわけでもない年下の叔父三人や、中仙道から関ヶ原に向かう途上二千の兵しか持たない真田昌幸によって三万数千の兵を無為にした秀忠が自分や父を蔑ろにして威張っている、それが忠直には許せなかった。
しかし、家康には忠直の心理が手に取るようにわかっていた。忠直が義直や秀忠に対して激しい敵意を持っている事はお見通しであり、義直と並べるように東門に配置したのも全て家康の策であった。
そうすれば忠直は自分と義直、ひいては秀忠に自分の力を見せつけるために、全力以上の力で大坂城にぶつかってくれるだろう。そして義直はともかく、義直の配下たちも越前家に負けじとばかりの力で大坂城にぶつかってくれるだろう。忠直の激昂も、そこから発する行動も、全て家康の読み通りであった。
「尾張勢などに後れを取るな!尾張勢は何を怯んでいるのだ!我らに大坂を落とす機会をくれてやる気か!」
忠直の一言と共に、板楯を構えながら先鋒の兵たちが前進を開始した。
しかし、ここで予想外の事態が起きた。越前勢が勢いよく突進していく中、尾張勢の動きが予想外に鈍かったのだ。
(二万五千に一万五千でぶつかって行くなど……無謀を通り越しているな)
越前勢が尾張勢をよく思わないように、尾張勢も越前勢をよく思っていなかった。内心ではこのまま忠直が真田に跳ね返されて死にでもしてくれれば、家康もやりやすくなるのではないかと思っていたのだ。
越前勢にとって尾張勢は宿敵だが、尾張勢にとって越前勢は単に邪魔なだけ、あるいはどうでもよい存在だったのである。
「越前勢に差を付けられたいのか!?」
「少しだけお待ちください。今板楯を用意しておりますゆえ」
義直はそう叫ぶが、将兵の反応は鈍い。
「ふざけるな!これから突入しようと言う軍勢が何をやっている!」
「そんなにあわてる事など」
「わかった……用意が出来次第すぐ突入しろ!!」
義直の苛立ちも、家老の成瀬正成は軽く流し続ける。ようやく板楯の準備が終わった時には、忠直軍はかなり前に進んでいた。
「準備は整ったか!ならばすぐに進め!」
見れば、越前勢は鉄砲の射程ギリギリの所まで接近していた。まもなく、すさまじい音量の銃声が鳴り響くだろう。
果たして。忠直の軍に対し、大坂城から迎撃の一手が返って来た――――コロンと言う余りにも戦場に似つかわしくない音と共に。
「ん……?」
先鋒の兵士が呆気にとられたように前を見ると、石ころが一つ転がっていた。ふと大坂城の方を見上げれば、城門の上に小さな石を抱えた兵士が数十人立っている。
「ぐふっ」
一人の兵士から思わずそんな声が上がった。そして、その声を皮切りに、忠直軍は爆笑の渦に包まれた。
「だははははは!あいつら石で俺らを倒すつもりらしいぜ!」
「弓矢ならともかく、石ころでだってよ!」
「大坂にはまともな武器がないんだな!」
それにつられるかのように、義直軍でも笑いが起こり始めた。
「大坂軍、恐るるに足らず!!」
「節約したい気持ちだけはわかってやらんでもないが……!」
忠直も思わず笑い始めたが、越前軍の家老・本多富正だけは苦虫を噛み潰した表情になっていた。我々を油断させる策か、と言う意味ではない。
(三方ヶ原の再現か……!)
四十二年前、三河・遠江二ヶ国の支配者に過ぎなかった家康は上洛を企図する甲斐の虎・武田信玄に強引に戦いを挑み、木っ端微塵に打ち砕かれている。
その三方ヶ原の戦いの端緒となったのは、武田の将・小山田信茂部隊の投石だったのだ。
石を投げると聞くと大したことがないようだが、有効距離であれば兵たちの陣笠など容易く砕き、胸に当たれば昏倒させるだけの威力があった。もちろん今回の場合鉄砲ですらまともに届かない距離だから、そういう意味があるわけではない。三方ヶ原と同じようにこの石から徳川の大敗が始まるのだと言う強烈な心理作戦であった。無論、三方ヶ原の戦いをよく知らない若い世代には油断を誘うと言う効果もあったが。
「真田は三方ヶ原の再現をするつもりです!」
「経緯は知っている。だが三方ヶ原とは何もかも条件が違う!どうせいわゆる景気付けに過ぎん!何を恐れる事がある!あのような弱兵、なぎ倒せ!!」
富正と同じように正成も幸村の狙いを見破っていたが義直は耳を貸さず、すっかり真田を嘗め切っていた将兵に釣られるように一気呵成の進撃を命じた。見れば、忠直の兵は大笑いしすぎたせいか一歩も進んでいない。今しかない、とばかりに義直が前進を命じ、越前勢に並んだ所でようやく越前勢も笑うのをやめ前進を開始した、その瞬間であった。
この時を待っていたと言わんばかりに、大坂城より銃弾が放たれた。だが、予想外に銃声が小さい。一瞬なんだそんなものかと忠直と義直は思ったが、それに続くかのように数倍の音量の銃声が轟いた。
義直も忠直も、豊臣方の鉄砲兵の精度が予想以上に高い事を知っている。
だが、この鉄砲兵さえ封じ込めてしまえばそれで勝てると言う思いもある。事実、豊臣軍の足軽はこれまで豊臣軍が打ち破って来た井伊軍・池田軍と比べてもかなり弱い。何とかして白兵戦に持ち込めばこちらの勝ちだ、家康さえもそう思っていた。
「おい、何をやっている!」
「早く進め!さもないと板楯が持たんぞ!」
だがここで、銃弾の雨を降らされた越前勢・尾張勢の足が急に鈍った。
豊臣勢の射撃は確かに数が多かったが、防備もしっかりしていただけに人的損害は少なく板楯の隙間を抜けて飛んで来た弾は数十個しかなく、ほとんどは板楯に弾痕を刻んだだけであった。
と言っても、次に一斉射撃を喰らえば板楯が壊れてしまう危険性は高かった。そうなれば身を守る物はなくなる。
「鉄砲の餌食になりたくないのなら進め!犠牲が出たならば埋めろ!」
義直は必死にそう叫ぶが、一旦鈍った足はなかなか速くならない。そして、再び容赦のない銃弾の雨が叩き付けられて来た。
ビシッビシッと言う板楯に銃弾が叩き付けられる音と共に、ベキャッと言う音が聞こえ出した。言うまでもなく、板楯が破壊された音である。
「臆病者め……銃弾を見ただけでこれか!」
忠直は自分の兵の情けなさに怒りに震えていたが、そこに思わぬ報告が飛んで来た。
「正確ではありませんが、どうやら我が軍・尾張軍の三番手・四番手の兵にあわせて百名余りの犠牲者が出た模様」
「板楯を破られた挙句その体たらくか!」
「いえそれが最初の射撃で」
「お前は何を言っているのだ!」
忠直には相手の言っている事が理解できなかった。こちらは確かに鉄砲の射程ギリギリの所まで近付いて来ていたが、あくまでギリギリであり、先鋒の兵以外には弾は届かないはずだ。
それで先鋒の兵に犠牲が出たのならばわかるが、三番手・四番手と言う弾の届かないはずの、板楯にも守られているはずの兵たちが最初の射撃でやられるなど考えられなかった。
「どうした?」
「やられた……思い込みが邪魔をした……」
「どういうことだ?」
「銃は長尺に作れば射程は伸ばせます……」
だが富正の言葉に、忠直ははっとした表情に変わった。鉄砲は銃身を長く作れば射程距離は長くなる、その分重くなり取扱いに不自由する。徳川方には鉄砲の射程距離は野戦で使われる大きさの物程度だと言う思い込みがあった。
だが豊臣方は長尺の鉄砲を使い、板楯の後ろに控えていた三番手・四番手の兵を狙ったのだ。その結果、ありえないはずの場所から犠牲が出たため、兵士たちに動揺が生じたのである。
※※※※※※※※※
秀美は、元より徳川軍の戦闘能力を高く見ていた。白兵戦に持ち込まれれば、五対一で互角ぐらいの戦力差はあると考えていた。刀や槍でダメなら、鉄砲しか道は残っていない。そう考えた秀美は、急ピッチで徹底的に鉄砲の訓練を行わせ、鉄砲の専門兵を作らせたのだ。
その結果、池田や井伊と言った正規軍を相手にしても同等以上の力を持つ鉄砲隊が完成した。その鉄砲隊は鉄砲の扱い以外何もできない兵士であったが、秀美はそれで十分だと割り切っていた。どうせ急ごしらえで兵を鍛えねばならないのだから、要害である大坂城を生かして戦うしか道はないのだから、槍や刀より鉄砲の方が有効だと考えたのである。
この秀美の提案は幸村の作戦として実行され、同時に防衛用として長尺の鉄砲が生産された。徴募された者の中には秀美のように生まれつきとしか思えない射撃のセンスを持った者や、大きな鉄砲を抱えても扱いに難渋しない力の強い者もおり、そういう者に長尺の鉄砲を持たせたのである。
当然かなりの金銀が必要だったが、高台院が軍事費と言う名目で大坂城に眠っていた金銀を使う事を許したため、秀美の意図はすんなり通った。この時、大坂方の正則以下ほとんどの者たちは最高権力者の秀頼の後見人として高台院が君臨し、高台院が幸村を最高司令官に任命したと思っているが、実際は秀美と幸村によって大坂城の中核に戻る事ができた高台院は両名には頭が上がらないと言う力関係であり、さらに幸村は偉大な父が遺してくれたと考えている秀美の言う事を素直に聞き入れていると言うのが現状であった。
だからこそ、嘉明寝返りの策にせよ鉄砲隊拡充にせよ、秀美の提案はあっさりと受け入れられ、実行に移されたのである。
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