第二章 女子高生、殺人をする

第二章-1 家康の不安

「なんと……」




 駿府の家康がおねの大坂城への復帰、それに伴う淀殿の事実上の追放を知ったのは八月八日であった。


「それでどうなった?」

「淀殿は大坂城下の寺に安全のためと言う名目で放り出され、大坂城を仕切っていた大野治長は処刑され弟も殺され、大蔵卿局も放逐。

 内通者としていた織田有楽斎、そして常真入道も共に殺されました。そして、高台院は自らの手で真田幸村を大坂城軍の大将に任命しました」


 家康は情報を持って来た正純を下がらせると深刻な顔で考え込んだ。


「一番厄介な相手が出てきおったか……」


 家康にしてみれば気位の高い淀殿は扱いやすく、治長は忠誠心はあるが基本的に料簡の狭い無能な男に過ぎなかった。

 しかし高台院は元々が一農民に過ぎない秀吉の妻であっただけに人の苦労をよくわかっており、また家康の手の内もよくわかっている。また六十六歳と言う年齢と従一位と言う位階を持つ高台院は、朝廷にも莫大な影響力を持っている。

 また真田幸村も軽く見ていたが、その高台院自らが任命したとなるとそういう器量の持ち主であると考えるのが妥当だろう。


 実はこの時、豊臣方軍勢の総大将を任せられる人物はもう一人いた。


 安芸五十万石を擁する福島正則である。


 正則は歴戦の勇将だし、年齢も五十四歳と幸村より七つ上である。


 更に言えば、秀吉の従兄弟なのだ。その正則がいる事を承知で幸村を大将に任命したとなると、高台院の幸村に対する信頼は相当だろう。そして幸村の器量は父と同格、いやそれ以上と見て間違いない。




「誰か!越前の忠直、尾張の義直、そして彦根の井伊と伊勢の藤堂に動くなと伝えよ!」


 ここで功を焦って突撃すれば、必ず真田の餌食になる。そう判断した家康は、大坂に近接する四人の大名に自重を促す使者を送る事とした。




 姫路の池田、和歌山の浅野も大坂に近接する大名であったが、家康は使者を送らなかった。見落としていた訳ではない。

 浅野は高台院の実家で元より当てにはなりにくいからだが、池田については違う。


(わしが幸村ならまずは池田を狙う)


 池田家の領土の西側には福島正則がおり、さらに西には毛利秀元がいる。


 福島は当然豊臣家に味方するだろうし、かつて吉川広家と取り交わした約束を反故にして領国を七割削られた毛利も豊臣方についてもおかしくはない。


 ましてや、幸村にはこれと言った実績がない。ここで功績を挙げねば福島や他の牢人たちに申し訳が立たないと言う事になるだけに、幸村は実績を作るためにもまず池田を狙ってくるだろう。


 要するに西から睨まれている所に、東から豊臣軍がやって来るのだ。


(池田には悪いが自力で何とかしてもらうしかないか)


 高台院と幸村の事だから、もう戦は避けられないと判断して牢人をかき集めて訓練を施すぐらいの事はしてくるだろう。

 一応大坂に近い井伊と藤堂を使えば足を引っ張るぐらいの事はできそうだが、下手をすると足を引っ張る事も出来ないどころか、最悪の場合各個撃破される可能性もある。池田の為に戦力を失い、最後の最後での逆転負けを喫しかねない事態に追い込まれるのはまずいのだ。


「やむをえまい」


 こらえてくれればよし、だが駄目ならば仕方がない。家康は事実上、池田を見捨てたのである。冷酷と言えば冷酷だが、乱世に慣れた男の知恵でもあった。










 だが実はこの時幸村が一番恐れていたのは、越前の松平忠直、近江の井伊直孝、伊勢の藤堂高虎、尾張の徳川義直と言った大坂に近い大名集が家康の指揮で大坂に迫ってくると言う展開だった。


 四名だけでおよそ百六十万石、周辺の小大名をかき集めれば二百万石近くになる。戦時の一万石につき二百五十人換算で行けば、五万人の兵が来ると言う事になる。


 それに駿府城のある駿河と尾張の間である遠江・三河の兵を一万石につき二百五十人換算で加えれば、安く見ても七万は下らない人数がいることになる。


 それに対し、豊臣家が今確実に当てにできる兵力は弱い七手組一万数千だけであり、牢人はともかく農家の次男・三男や市井のあぶれ者と言った新米の足軽連中は、徳川軍の到着が早ければそちらに行ってしまう可能性がある。そうなると大坂方は池田どころではなくなってしまう。




 しかし、幸村は家康がその手を取らないだろうとも読んでいた。家康の判断力が衰えているだろうからと言う考えではなく、家康が高台院をかなり強敵視していると判断したからである。


 もし淀殿が大坂城の主であり大野治長が大坂城を牛耳っていたのならば、家康は積極的に動いたかもしれない。だが高台院のカリスマや真田幸村の知謀は淀殿や治長とは比べ物にならない差があり、その二人の待つ所にうかつに兵を差し向ける訳には行かない、そう判断した家康は軽挙妄動を避けたのである。それが家康のやり方であったし、そうやってこれまでの地位を築いて来たのである。
















「兄二人は殺され、奥方様は城から放り出され……」


 十四日、淀殿と共に大坂城を放逐された大野治胤は駿府城の家康の元を訪れていた。


「それでわしにどうして欲しいのだ」


 家康は鷹揚な表情を作りながら自らの目の前に伏している治胤に言葉を求めた。


「全て真田幸村めのたくらみにございます!どうか、幸村めに罰をお与えください!」

「おぬしは豊臣家をどうしたいのだ?」

「それは無論、お守りいただきたいと……」

「だが大坂城の事をよく知るおぬしをわしは戦場に連れて行くぞ?そうなれば幸村だけでなく秀頼君とも槍を合わせる可能性がある。その覚悟があるか?」

「その際は国松君及び奈阿姫様をよろしくお頼みいたします」

「おぬしの覚悟、よくわかったわ。下がってよい」


 家康の鷹揚な言葉に、治胤は感激の表情を作って下がって行った。



「これでは豊臣家を滅ぼすのは無理か……まあ似たような物だが。ったく真田め、高台院を担ぎ出してまでわしの天下に立ち塞がるか……」


 家康は少し溜め息をついた。治胤にこんな約束をした手前、秀頼の子である国松と奈阿が正当化できない死に方をした場合、徳川が不信を買う可能性があるのだ。

 もっとも、この戦に負ければ秀頼・高台院・真田幸村・福島正則を失う豊臣家に、どっちみち明日はない。坊主にしようかとも思ったが、国松を貴族の一員にでも祀り上げ武家としての実権を奪ってしまえばそれでいいと家康は考え始めた。

 奈阿についてもどこかの貴族の嫁にしてしまえばいいと思っている。そうすれば治胤との約束を反故にしたわけではないし、豊臣家が徳川の天下を脅かす存在でなくす事もできる。もちろん秀頼や幸村の抵抗に巻き込まれて死んだならばそれまでである。




 だがこの時、治胤は秀美の事を家康に告げなかった。治胤は浅川秀美と言う名前は知らなかったにせよ、幸村と高台院を大坂城に呼び込み淀殿を放逐した張本人である秀美の存在を家康が知ると知らないとでは大きな差があった。




 この時、治胤を駿府城に向かわせたのは言うまでもなく淀殿である。


 淀殿は無論秀美の存在を知っている。だが、治胤も大蔵卿局も、淀殿に言われるまで秀美の存在を知らなかったし、治胤も大蔵卿局も淀殿自身もいきなり面妖な娘が現れて云々と言う自分たちの言い分がどこまで正当化できるか自信がなかった。


 もちろん淀殿は秀美に対し憤りを煮えたぎらせていたが、ふと落ち着いてみると秀美と言う存在を他の人間に認識させるのが難しい事を認めねばならなかった。そのため、秀美については半ば諦めていたのである。







 ※※※※※※※※※







「おっ、重い……」

「無理をするな。そなたにこういう事を期待している訳ではないのだぞ」


 その秀美は、大坂城の片隅で慣れない着物に身を包みながらよろけていた。


「でもっ……せっかくこれから戦いが始まるって言うんだから……!」


 秀美は右手でがっちりと火縄銃を握って、いや抱えていた。

 一度お城でのイベントで撃った事があるのだが、それと比べてかなり重い。

 あれはやっぱりレプリカにすぎなかったんだと、秀美は否応なしに実感させられていた。




「今更止める気もないが……」

「わかりましたっ……くっ……」


 秀美は幸村の傍らで、必死に火縄銃を構え、引き鉄を引いた。小気味いい音を立てながら、弾は一間(約一一〇m)先の的を迷いなく撃ち抜いた。




「あーっ、惜しい!」

「惜しいって……そなたは本当にこれが二度目なのか?」


 弾は的の中央からわずかに左にずれたものの、これが二度目の射撃経験だとすれば十二分の出来であった。


「でも……実戦では動く敵を討ち抜かなければいけないんでしょ?こんなんじゃ…」

「いやそれぐらいの腕ならば大丈夫……だと言えるがその前に一つ聞きたい事がある」

「何ですか、左衛門佐様」





 秀美は幸村の方に向き直り、少し怯んだ。幸村の顔が真剣と言うより深刻そうだったからである。


「そなたの時代、戦はなくなっているのか?」

「はい、まあ一応」


 国際情勢を考えると一概に「はい」とも言えないにせよ、基本的に日本国内に戦争は存在していないと秀美は認識していた。


「そなたの話を聞いての私の認識が正しければ、そなたの時代では敵を討つ事は責められこそすれ褒められる事ではあるまい」

「はい」

「それがなぜだ?なぜそこまで積極的に?」


 幸村の問いに、秀美は一拍置いて口を開き始めた。




「考えてみたんです。もし私がこの時代に来ず、左衛門佐様や高台院様を大っぴらに巻き込む事がなければ、家康の勝ちでこの戦いは終わり、乱世も終わっていたと。ですが私がこうしてここに来たことにより、戦はより激しくなり、犠牲者はきっと増えこそすれ減る事はないだろうなと」

「それでどう考えた」

「だったら私は、もう既に多くの人を殺してしまっているのかもしれません。現に有楽斎とか信雄とか、ああいう人たちも本当はもう少し長生きしていたはずですから」


 二人とも、秀美が来なければ大坂の陣を乗り切り生き延びていたはずの人物である。


「もうどこまでも行くしかないと考えたんです。私に、もう後戻りなんか許されていないと思っているんです。だったら…」

「そうか」


 幸村は秀美の言葉に、強くうなずいた。毒食わば皿までと言えば言葉は悪いが、実際秀美はそんな心境なのだろう。


「ですから私、もう怯むのをやめる事にしたんです。左衛門佐様、実戦の相手は動く的などではない、動く人間を相手にせねばならない。その時、惨たらしく死んでいく兵を見てそなたは耐えられるのかとおっしゃりたいのですね。大丈夫です、耐えます、耐えてみせます」

「敵はそなたの命を奪わんとするぞ」

「わかっています、それはこちらも同じですし」

「何と勇ましい……だが本当に危なくなったら逃げよ、これは命令だ」

「はい」




 秀美は抱えていた火縄銃を地面に下ろし、城の中へ入って行った。




 そして幸村は、秀美に何かを告げて大坂城を後にした。

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