終章-3 春日局

 家康落命から二週間余りが経った十一月八日。久方振りに大坂城の大広間に豊臣方の大将たちが顔を揃えた。




「首尾は」

「上々でございます、近畿の諸国は我らに従っております」




 秀忠と家康を討ち徳川軍を全面撤退に追い込んだ豊臣家であったが、高台院と秀美がこの難局を乗り切るために惜しげなく資金を使った為、大坂城の金蔵や火薬庫は大分すっきりしてしまった。

 大名である福島や毛利、加藤はともかく、真田や長宗我部、明石と言った牢人たちを大坂城からの手当てで養う事は困難になるだろう。だから彼らに振り分ける領国が必要であったのだ。


 無論、豊臣方の大勝を知って自ら服属して来た小大名が多数いた事も大きかったが、十日余りで豊臣家は近江・大和の全土、及び播磨・山城・伊賀・丹波・但馬の大半を取り戻していた。


 また、四国の山内忠義・蜂須賀至鎮・生駒親正も豊臣家への臣従を確約、九州の島津忠恒・田中忠政も豊臣家への服従を決め、加藤忠広は黒田領への攻撃を始めようとしていると言う話も入っている。

 そして備前では徹底抗戦を主張する当主の池田忠雄と、もはや交戦してもどうにもならないと主張する家臣団の間で亀裂が起きており内部崩壊も時間の問題との事であり、紀州の浅野家も豊臣方についていた長吉を仲介役として御家安泰を願い出ており今はその条件の折り合いをつけている段階であった。


「徳川の動きは」

「越前勢と越後勢以外は今回の戦で立ち直れないほどの打撃を受けました。越後勢はとっとと本国に帰ってしまい、越前勢も静かな物です」










 山崎の戦に参戦した三万の徳川軍の内、無事退却に成功できたのは頼宣を含めわずかに八千ほどであった。失われた二万二千の内討たれた者は四千程度であり、残る兵はほとんどが家康の死を知って逃走するか、投降するかして失われた。


 また、義直軍も福島軍の激しい攻撃を受けて壊乱し、一万五千の手勢の内義直と共に尾張まで逃げ切れたのは三千にすら満たなかった。そしてこの一万二千の損害の内訳も大半が投降か逃走であり、討死と言う形によって失われたものは二千前後であった。


 死者以外の損害を強引に半々に叩き割り、負傷者及び行方不明者、さらに逃亡者を無視したとしても、死者六千を含め二万の兵が失われ、その上秀忠を失った戦いでは二万の死者と一万五千の負傷者、五千の行方不明者を徳川は生み出しており、それを加味すれば徳川は安く見て四万、多く見れば六万近くの直卒の兵を失っている。

 これを数的に補うのはともかく、質を整えるのには莫大な費用と時間を要するだろう。




 忠輝軍と忠直軍はほぼ無傷であったが、忠輝は家康が行方知れずゆえどうにもならぬとか言って近江まで来るときの数倍の速さでとっとと帰ってしまい、忠直軍は筆頭家老を差し出して豊臣家への服従を誓い越前に引き上げていた。

 どうやら今年の越後は雪が少ないらしく、強行軍ではあったが忠輝軍は何とか越後に帰る事ができるであろうという噂も入っていた。上杉・立花・真田信之を含む忠輝に付き従っていた連中もまた然りである。


 その他の大名では前田は既に加賀に帰っており、細川と鍋島は投降、黒田と藤堂は領国へ撤退し、最後まで残っていた徳川譜代の本多忠政も抗戦を諦め本国へ撤退していた。




 さすがに豊臣軍も一連の戦で六千近い死者と一万二千ほどの負傷者を出していたが、ほぼ全滅の憂き目に遭った池田利隆軍や井伊直孝軍などを含む徳川方の軍勢に与えた損害から見れば軽い物であり、この戦は紛れもない豊臣方の完勝であった。




「さて、今後我らはどうすべきか、素直な所を聞かせて欲しい」


 高台院の言葉に、大広間に集った福島正則・長宗我部盛親・明石全登・後藤又兵衛・毛利秀就・加藤嘉明の六名は首を捻ってしまった。正直な話、全登以外の五名にはこれと言った理由があって豊臣家に味方した訳ではなく、豊臣家への忠義を果たす為か武士としての意地を貫くためか、どちらかの理由しかなかった。

 みな徳川家康を倒す事が目標であったはずなのに、それができるとは思っていなかったゆえかその先の事など何も考えていなかったのである。


 全登にしてもキリスト教の禁制を解く事ぐらいしか目的はなく、これでは回答にならない。


「真田殿はどう思われる」


 窮した正則は真田幸村に話を振った。


「彼女が答えを出してくれるでしょう」

「彼女?家康を討ったあの娘か?」

「ええ」




 家康の死の翌々日、秀美は初めて公の場でここにいる六人と顔を合わせた。さすがに服は普通の着物だったが、顔立ちや身体つきはやはり四百年前の人間とは印象を異にしており、家康を討ち取った人間であると言う事を差し引いても強い印象を六人に与えていた。


「彼女が帰ってくるまでは待てと……」

「まあそうなるな」


 六人とも、秀美と言う存在を知ってからこの十日の間、高台院の秀美に対する信頼ぶりを肌身で感じ取っていた。高台院が正則の言葉にそう答えた以上、もう秀美が戻って来ない限りこれ以上話は進まないだろう事を感じ取っていた。

 いや、自分に意見があればその意見を押して話を進めただろうが、なかったのである。




※※※※※※※※※




 その時、その秀美は大坂城二の丸の客間にいた。


 着物ではなく、家康の血に染められた四百年後の制服を身に纏って。いつものそれよりずっと着慣れたはずのそれではあったが、今日はやけに重い。


「お越しになりました」

「どうぞお入り下さいと伝えて下さい」


 女中の言葉に上座から答えた秀美は、居住まいを正し客を迎え入れる態勢を整えた。

 まもなく、部屋の襖がわずかな音を立てて開き、そして訪問者がこれまたわずかな足音と共に部屋に入り込んで来た。


「お初にお目にかかります。徳川秀忠が長子徳川家光が乳母、おふくでございます」

「浅川秀美です」










 春日局。本来の歴史ではそう呼ばれるようになる徳川秀忠の後継者、徳川家光の乳母にして大奥二百年の歴史を築き上げた、おふく。


 それが今、秀美の目の前にいた。




 おふくが徳川の使者として大坂城にやって来ると言う報を受けたのは一昨日の事である。一緒にその報を聞いていた正則はこんな状況で乳母を寄越すとは何事だと憤っていたが、歴史を知る自分からしてみれば最も手強い相手が来たという気分であった。


(やっぱり相当手強い相手だわ……)


 秀美はおふくと対面して、改めてそう感じずにいられなくなった。この時代にはありえない制服、しかも家康の血に染まった制服を見て、おふくは眉を大きく上げたもののただそれだけであった。


 並の相手ならば、例え予備知識があったとしてももう少し大きな反応をするだろう。これだけでも、彼女の肝の太さが知れるというものである。



「それで要件とは何ですか」

「こちらの書状をお持ちいたしました」


 秀美はおふくに威圧されまいとばかりに上から目線の物言いで言葉を放った。立場的にはこっちの方が上なのだ、怯む理由などないとばかりであったが、おふくは淡々と答え淡々と秀美に書状を渡した。

 この時代の文字が読めない秀美は女官に翻訳してもらったが、その聞かされた内容にほんのわずかに困惑した。




「徳川は元の関東六国に戻ると?」

「はい、常陸は佐竹家に返し、里見家も安房に戻ってもらいます」

「それで徳川家の当主は誰になるのです?」

「それは無論、秀忠公のご嫡男である家光公です」

「忠輝公、義直公、頼宣公、頼房公と言う四人の家康公の遺児と忠直公はどうなさるのです?」

「徳川の危機に際し重大な懈怠をなした忠輝公を当主にできる訳がございませぬ。上杉家と交代の形で米沢に入れていただけるようにと考えております。義直公、頼宣公、頼房公の御三方は上野にて二から三万石の禄となり、忠直公には改めて豊臣家の養子となっていただけるようにお願いいたします。忠直公は既に筆頭家老の本多様を大坂城にお入れになっていらっしゃるとか。ならば豊臣家も忠直公のお気持ちを疑いはしておりますまい。それでご返答は」


 秀美としてみれば詰問のつもりで畳み掛けていたのだが、そんな質問は予想済みだと言わんばかりにおふくはすらすらと言い返してくる。秀美の心の中に、おふくに対する恐怖心が芽生え始めていた。


 惑った秀美に対し畳み掛けるようにおふくは言葉を浴びせてくる。秀美はここで怯んでは負けだとばかり強く息を飲んで、気合を入れ直した。


「上杉と佐竹を元の領国に戻すと言う事は、関ヶ原の戦いで下した処分を否定すると言う事になりますね」

「そういう事になります」

「関ヶ原の戦いで処分されたのは上杉と佐竹だけではありませんが」

「ですから、石田治部少輔(三成)様の次男の重成公と、八丈島に流刑となった備前中納言(宇喜多秀家)様を、再び元の領国にお戻しいただける様にお願いしたいのです」

「えっ?」




 おふくの言葉の揚げ足を取ってひっくり返してやり、心理的に有利に立ってやろうと思った秀美だったが、おふくの言葉に内心愕然とした。まさか、ここで石田三成と宇喜多秀家の名が出てくるとは思いも寄らなかったのである。



「それは、あなたの思い付きではありませんでしょうね」

「これはこれは……まあ突拍子もない発言故そう考えるのも無理はないでしょうが」

「まさか、家康公の……」



 秀美の言葉に、おふくは黙って頷いた。まさか、こんな最悪の事態まで考慮していたと言うのか。徳川を守る為ならば、上杉や佐竹のみならず石田や宇喜多まで復活させても構わないと言うのか。


(まさか……)


 家康が家光を後継者にしたのは筋目や好みだけの問題ではない、このおふくがやりやすいように形を整えてやろうと言う意図もあったようだ。改めて、家康と言う人間の非凡さを秀美は痛感させられた。



「……確かに、治部少輔様と備前中納言様は豊臣家の忠義の臣。備前中納言様御本人と治部少輔様のご子息が戻ってくれば豊臣の天下は揺るがないでしょう」

「快諾いただけるとはありがたい事です」

「それで、家光様のご婚姻については」


 秀美の了解と取れる言葉におふくは軽く笑みを浮かべながら頭を下げたが、しかし秀美の思わぬ言葉に、今度はおふくが戸惑ってしまった。


「いえ、さすがにまだ十歳でございますゆえ」

「奈阿姫様はいかがでしょうか、無論まだまだお先のお話ではございますが」


 奈阿姫は秀頼の五歳の娘である。この時代ではこんな年齢の婚儀は決して珍しくないにせよ、豊臣と徳川となると訳が違う。さすがのおふくも戸惑いを隠せなかった。


「何をおっしゃりたいのやら……」

「その代わりと言っては何ですが、徳川に六、七歳の姫がいれば国松君の元へお送り頂きたいのですが」





 言いたい事をはぐらかすような秀美の言葉であったが、おふくはここまで言われてはっと気が付いた。


「まさか!? その二組の夫婦から生まれし子を…!?」

「ええ、豊臣と徳川の争いを手っ取り早く終える方法は他にありません」


 おふくは思わず口を抑えた。家光と奈阿姫の子、国松と徳川の姫の子、それぞれを徳川家と豊臣家の跡取りに据えようと言うのか。


「ですが千姫様はまだ十七歳。子胤がないはずなど」

「それならばそれで結構。千姫様のお子は豊臣を継ぐお子となり、国松君のお子は大和大納言家のお代わりとなりましょう」



 豊臣秀吉の弟、羽柴秀長・秀保親子が立てていた大和大納言家は百万石近い禄を有していた大きな存在であり、特に秀長の存在などは豊臣政権を真に支える屋台骨は秀吉でなく秀長であると言われていたほどに重大であった。


 当主の素質の多寡はともかくにせよ大和大納言家が復活したとなれば、世間はいよいよ豊臣家の復活を認めざるを得なくなる。無論、父と祖父を豊臣家に殺された千姫がどれだけ秀頼と折り合えるか疑わしい面はあるが、それ以上に例えどうなっても手段は完璧であると言う印象をおふくに与えたと言う事実は大きかった。


「しかし手っ取り早くとはいささか乱暴な」

「仕方ありません、応仁の乱からもう百四十七年です。もういい加減飽き飽きしていたんでしょう、家康公も?」

「……確かにそうですが」

「それに生まれた子供を養育するのに絶好の存在もできますからね、豊臣家には。

「まさか越前様」

「ええそうです。忠直公は秀頼君の子供にとっては従兄弟、国松君の子供にとっては伯父御。しかも、忠直公は千姫様の従兄弟でもあります。忠直公のお子も新たなる時代を築くその子供たちにとって大切な親族、そして友になるはず」




 仮に国松と徳川の姫が七年後に婚姻して一年後に子どもが生まれたと考えた場合、その子どもの守役として、現在四十七歳の幸村や五十四歳の正則では心許ない。

 二十一歳の木村重成は年齢と忠義心は問題ないのだが、豊臣一筋の人物であるだけに政治的な平衡感覚において疑問があり、これまた難しい。


 一方で忠直は年齢は十九と重成と大差ない上にやや直情的傾向があるが、豊臣家と徳川家両方に触れておりある程度の視野があり、さらに本人も父も政治に運命を振り回されて来ただけに政治感覚も兼ね備えているはずだ。でなければ家康と溝があったとは言え、家康の死を知るや徳川の血脈を守る為筆頭家老を差し出して豊臣と和を乞うような真似はしないだろう。






「それは……忠直公を豊臣家の養子としていただけると言う事で」

「言っておきますが、今のは全て私の勝手な意見です。すなわち、秀頼君や高台院様は知りません、と言うより私とあなたしか知りません」

「わかりました、あなたの言葉を信じましょう」


 実際そうなのである。秀頼と高台院と幸村と正則の内一人でも首を横に振れば、秀美のこの意見は通らないだろう。

 だが、おふくは今の秀美の実力を見切っていた。


「言っておきますが、通るとは限りませんよ」

「大御所様があなたにお力をお貸し下さいます、厚く御礼を申すべきですね。その面妖な服を着ながら大御所様や上様をあの世へ送ったのでしょう」


 おふくはここでようやく秀美の制服に触れた。秀美がこの格好で現れたのはおふくを威圧するためだったのだが、おふくが全く怯む様子がなかったためか秀美はおふくに触れられるまで自分が制服姿であった事を忘れていた。


「そういうことになります」

「上様もあなたが……」

「ええ。隠しても仕方ありませんから」

「私は大御所様と上様を信じております」


 秀美に返り血を浴びせた家康と秀忠を私は信じているというおふくの言葉は、秀美に力を与えているのは家康と秀忠であり、その二人が秀美に与えた力により秀頼や高台院を納得させ、幸村や正則他多くの者の反対をねじ伏せるほどであると言う意味を言外に含んでいた。



「それはそれは……」

「あなたが、忠義心や意地だけで大御所様を討ったのではなくてほっとしております」

「もし私がそういう人間だったらどうしましたか?」

「あなたには同じ事を言って、家光様には十年待てば徳川の世が舞い戻ってくると申し上げていたでしょう。ですが、あなたがいる限り徳川の天下は夢でしょうね」

「天下、ですか………………」


 秀美の天下という言葉の言い方に、おふくがぴくりと反応した。


「父が招いたような天下ですからね……今の天下は。ご存じなのでしょう?我が父の名を」

「ええ……斉藤内蔵助殿ですね」




 斉藤内蔵助利三。本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀の重臣であり、おふくの父である。当然と言うべきか、明智光秀を討った秀吉によって処刑された。そしてそれからわずか八年後、秀吉は天下を統一した。

 ある意味では、豊臣家の天下を築いたのは光秀であり、利三なのである。




「我が父が明智様を止めておれば、今頃は織田の天下のはず。そう考えると天下とは何なのでしょうかね」

「天下を治めるのは難しい事です。取る方が簡単です。申し上げにくき事ながら、その点において太閤殿下は成功できなかったと言わざるを得ません」

「大御所様は決して太閤殿下への逆心で物事を進めたのではありません。これだけは徳川の人間として譲れない主張です」


 秀美には天下は誰か個人の物、どこか一家の物と言う考えは毛頭ない。それほど強大な権力を持っている訳でもない最高権力者がころころ変わる民主主義国家の中で十六年も生きていれば、頭では理解できても感覚として理解し認めるのは難しい話である。


 正直な話、秀美が豊臣家の側に立っているのは、たまたま幸村に助けられたから、幸村に頼りとされたから、それだけの理由であった。




「わかっています。ところで、あなたの権限は……」

「大御所様の威光が未だ消えていない事、あなたはご存じのはずでは?」

「無論です」

「ならばそういう事です」




 おふくもまた、自分と同じように徳川家の、ひいては日の本の運命を双肩に預けてこの場に臨んでいるのだろう。年齢は三十五歳と秀美の倍以上だし、三歳で大罪人として父親を殺されるなど、骨の髄までこの戦乱の世に揉まれ、染まっていた。

 一方で秀美とて悩みがないわけではなかったが、おふくとは比べ物にもならないほど小さい物だろう。そんな何から何まで対照的な二人の女性が、余りにも大きい物を背負いながらここにいるのだ。それが彼女たちにとって過剰な負担であるか否か、本人たちすらわからない。


「信じています、おふく殿」

「あなたと会えた事、生涯の誇りとなりましょう」


 おふくは先程とは違う笑みを浮かべていた。先程はうまく話が進んでいると言わんばかりの笑みであったが、今度は秀美と言う人物の器量を認め、家康を討った人物がこれほどの器量の持ち主だと言うのならばという満足の笑みであった。


「それではこれより、高台院様たちが待つ大広間に、あなたとの会談の首尾を報告しに行って来ますので、しばらくお待ちくださいませ」


 秀美はゆっくりと立ち上がると、おふくを残して部屋を出た。そして血染めの制服を脱いで着物に着替え、大広間へ足を運んだ。




(これから、私は時代と戦わなければならないのね……でも、どんな敵よりも戦いがいがあるじゃない!秀忠と家康を倒した私はその二人、いや全ての人の為にも最後まで戦い抜くしかない、そうよね、家康…………)




 三ヶ月もの間真田幸村、高台院らと共にひたすらその首を求めて追い続け、ついに討ち取ったその男は、自らを討ち取った少女に勇気を与える存在になっていた。


「浅川秀美でございます」










 そして今まさに、一人の女子高生が大坂城の広間に持ち込んでくる奇策が歴史をさらに変えようと、いや新たなる歴史を紡ごうとしていた………………。

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大坂の女子高生 @wizard-T

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