第一章-3 秀美の覚悟
「これが……私?」
秀美は昌幸が描き残した自分の絵を見せられて声を失った。
幸村は無論、昌幸にとっても全く未知の存在であったはずの自分の格好を、正確無比に描写している昌幸の絵に秀美の目は釘付けになってしまった。
「知っているとは思うが、我が父昌幸は三年前この世を去った。不帰の旅人となる前日、その絵を我らに見せてくれた」
「もしかして、私に頼れと?」
「その通りだ」
秀美は昌幸の知謀に感心し驚くと同時に、幸村たちが自分にかけている期待の大きさに納得した。
今も彼女が左手にがっちり持っていた通学カバンの中には、その時調べた事を記したノートを含む様々な資料が入っていた。なお、私用であったにもかかわらず彼女が制服を着て通学カバンを持っていたのに深い意味はない。単に、両者ともお気に入りであっただけである。
そして図書館よりの帰りの道中、秀美は突如巨大な雷に打たれて意識を失い、今の今までずっと大坂の町の裏通りの小屋で寝ていたのである。
「なあ……教えてほしい。私がこのまま大坂城に入ったとしてどうなる?」
「幸村様は勝てません」
「勝てるとすれば、幸村様が全権を握れば……」
「父と同じことを言うのだな」
秀美は一瞬まずい事を言ったかと思ったが、幸村にしてみれば神算鬼謀を持つと言われた父と秀美が同じ考えである事に感心しきりであった。
「あっ、あの……」
「いや、気にすることはない。どうすればよいのか、我々に教えてくれ」
「そうだ、お頼み申す!」
戸惑う秀美に構う事無く幸村は手を合わせて、残る者は土下座して秀美に教えを乞わんとしている。
「急に言われても……そうです、食事はどれぐらい持ちますか?」
「あと二週間ほどは」
「わかりました、考えてみます、少し時間を下さい」
秀美はそう言って幸村と部下たちを追いやり、一人になって胡坐をかいて考え込み始めた。
(どうすれば幸村様を勝たせられるのかなあ……それより、お母さんや友達は私の事探して心配してるのかなあ……いや、今の私は…………)
突然、四百年も前の時代にやってきたのだ。不安を感じるなと言う方が無理である。だがたった今この時代にも真田幸村と言う、四百年先にも名を残す英雄が自らを慕い、頼り、心配してくれる人物として出現した。
もちろん、自分の時代に戻りたくない訳ではない。しかしそんな方法はこの時代に来た理由以上にわからない。なれば、今ここでするべきことをするしかないのではないか。秀美の頭は、すぐその方向に定まった。
大坂の陣の顛末は秀美もよくわかっている。幸村に全権を握らせれば勝てるかもしれないと思っている、だがどうすればよいのか。
(やはり私一人じゃ無理なのかも)
考えた挙句、秀美はその結論を弾き出した。諦めた訳ではない。
「誰かいませんか」
心を定めた秀美がそう呼びかけると、幸村の配下の忍びが一人、ひらりと秀美の傍らに舞い降りて来た。
「すごい……音一つ立てずに……」
「いえそれほどでも……それで」
「考えがまとまりました。幸村様たちを呼んできてください」
「はっ」
忍びはそう言ったきり音も立てず消えたものの、秀美にははっきりとその忍びの目に輝きが灯ったのがわかっていた。
(もう後戻りはできない……これが私の運命なら受け入れるまで)
そして秀美の目にも、力強い輝きが灯ったのである。
まもなく、秀美の元に幸村以下全員が集まって来た。
「秀美、私たちはどうすればよいのだ。教えてくれ」
「皆さんには噂を大坂の町に撒いてもらいます」
「噂?」
「今大坂の町は大変な喧噪の最中にあるはず。噂を広める事は容易いはずです」
「どの様な」
秀美はゆっくりと「噂」の内容を語って聞かせた。そして秀美が言葉を進める度に、幸村たちの顔が強張って行く。
「しかしそれは……」
「時間がありません。私は七手組、すなわち豊臣家直属軍の弱さを知っています。幸村、いえ左衛門佐様を一刻も早く大坂城の総大将とし、付け焼き刃でもよいので幸村様自らの手で鍛えさせなければ勝つなど到底無理です」
秀美の言葉には先程とは違い力強さが込められていた。それを差し引いても今の幸村たちにとって秀美の言葉は値千金の金言であり、それに耳を貸さないなどできない相談だった。
それに幸村ではなく、左衛門佐と言う敬称で呼び直した事も良かった。この時代、名前をそのまま呼ぶのはよほどの身内か敵のみであり、幸村と言う名前に様を付けるというやり方は基本的にありえない。
「わかりました」
「十日間でよいのです、よろしくお願いします。それで、誰か書の作成に長けた者はいないでしょうか」
真田忍びの一人が手を上げると、秀美はその者を指差し、左手に持った小さな大学ノートを開いて見せた。
それと同時におおっと歓声が上がった。見慣れない大学ノートに驚いたのではない。
「これでほぼ間違いないはずですが大丈夫ですか」
「ま、間違いございません」
そのノートには徳川家康の花押がはっきりと記されていた。
「この花押を使えば家康の書状と信じるはずです。内容は私が言います。残念ながら、私はこの時代の文字が書けませんので」
「はい……」
秀美の知識に気圧されるように、その真田忍びはうなずいた。
「そして佐助殿」
「はい」
「あなたには私と一緒に行動してもらいます」
「わかりました、でどちらへ?」
秀美がその場所を言うと、幸村たちはまたもや呆気にとられた表情になった。
「まさか……」
「いささか酷なのはわかっていますが、他に術はありません」
「しかし……」
「言い訳は考えてあります。どうか頼みます」
「はっ」
「それでわしは」
「左衛門佐様は大事なお体です、ここにお留まり下さい」
「えっ」
「左衛門佐様の代わりはいないのですから。そう、左衛門佐様の代わりは」
今の秀美の言葉は、幸村たちには文字通りの意味には受け取れなかった。秀美と言う決して年かさではない娘の捻りだす、まるで昌幸が乗り移ったかのような鬼謀がその言葉を言わせているような気になっていたのである。
「残る方々は先に述べた噂を大坂の町に撒いてください。十日間もあれば何とかなるはずです。その間に私が何とかいたします」
「お頼み申します、秀美殿!」
「あなた方も、よろしくお願いいたします!では、みな、頼みます!」
秀美のその言葉と共に真田忍びたちは散り始め、後には幸村と秀美と佐助のみが残された。
「秀美……そこまでせねばならぬのか?」
「残念ですけど……他に何もなければ私も佐助殿と共に動きます」
「わかった……しばらく待たせてもらう。頼むぞ、秀美殿」
幸村がそこまで言うと、秀美はゆっくりと立ち上がり、佐助と共に走り出して行った。
※※※※※※※※※
「いよいよか……」
「向こうから名目をくれたのです。もはや躊躇いの必要はありますまい」
一方その頃、駿府では家康が本多正純に対し喜色の込められた表情を浮かべていた。正純もまた、悪魔のような笑みを家康に返した。
「且元を追い出し七手組を鍛えるなど、考えられる中で最悪手ではないか」
「まあそれが大御所様の読みであり、我が手でございますが」
家康の笑みが濁り、正純もそれに応えるように一段と嫌らしい笑みを浮かべた。
「言いたい奴は何とでも言うがいい。わしももうさすがに先が見えた。応仁の乱から今年で何年だ?」
「えーと、百四十七年でございます」
「もういい加減、戦いの歴史に幕を下ろさねばならぬ。どんなに恨まれようともな」
家康は既に覚悟を決めていた。狸親父、簒奪者、謀略家。どんな事を言われても構いはしない。自分が生きている間に戦いの世に終止符を打たねば死ねないのだ。
「ではそれがしが、戦の必要もないのに七手組に訓練をさせるとは何事だ、徳川に対し戦を仕掛け世を乱すつもりか、とでも書状を作り淀殿を挑発します」
「そして茶々(淀殿)はさらに頭に血を上らせ激怒する、それを名目に……か」
「はい。では失礼いたします」
そう言って腰を浮かそうとした正純を、家康が軽く手を振って呼び止めた。
「まだ何か」
「そう言えば、真田が大坂城に入ったと言う報告はないか」
「ああ、忍びから九度山を抜け出したと言う報告はありましたが、そちらの方はまだ」
「そうか。わしとて九度山を抜け出したのは知っている。だが安房守に大坂城に入られ、指揮を執られでもしたら面倒だ」
「その点はご心配なく。安房守めは三年前に彼岸へ旅立っており、九度山を抜け出したのは安房守の小倅との事で」
「何、そうか。では案ずるには値せぬな、はははは。では書状を頼むぞ」
昌幸の死を知り、家康は少し安堵したようであった。
――――この油断が危機を生む事は周知の事実、である……。
そしてこの時大坂城で何が起きているか、家康は知る由もなかった。
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