第二章-3 池田家の壊滅
黒地に山道の旗を掲げた兵士たちが揚羽蝶の旗に向かって斬り込んで行くのと同時に、揚羽蝶の旗を掲げていた兵士たちが次々と地に伏して行く。
「何だ何だっ!?」
「ふ、福島だ!福島が来たぞ!!」
「これはどういうことだ!誰か説明せよ!」
本陣の忠雄は説明を求めるが、誰も答える者はいない。忠雄は無論、馬廻りや小姓など付き従っている者たちも経験が乏しく、ましてやこんな大事に遭遇した経験などありはしない。
一人介添え役が付いていればよかったのだが、岡山の首脳陣も豊臣軍を甘く見ていたため、ひとり立ちのため経験を積ませるよい機会だと判断して重臣が誰もいなかったのである。
旗本と言うべき譜代の足軽大将程度はいるが、それらは敵の攻撃に完全に釘付けにされ指揮を執れる状態ではない。小姓や馬廻りはあたふたするばかりで論外である。
「もういい!こんな状態で兄の援護など無理だ!逃げるぞ!」
「しかし………………」
「抵抗してもどうせ同じならしない方がましだ!」
「そうですね、もはや無理です!」
「我らがお守りいたします!」
忠雄は戦場の常識を全く知らなかった。
大将がいなくなれば戦は負けなのである。そうなれば今まで必死に踏ん張っていた兵士たちも戦意を失い、犠牲はうなぎのぼりになる。
この時、まだ本陣に敵は迫っていなかった以上、もう少し位は我慢するのが大将としての責務であった。
だが、忠雄にはそんな事は関係なかったし、恐怖に取り憑かれた小姓や馬廻りの者たちもこれで助かるとばかりに忠雄に追従し始めた。
福島が岡山に迫っていたらどうすると言い出す者はいなかった。それを言い出せば岡山が危ないと言う事になり、自分たちの逃げ場がなくなってしまうのを実感していたからである。
あれだけ混乱していたにもかかわらず馬の用意は予想外に手早く完了し、忠雄を乗せて馬は走り出した。そして忠雄と側近たちは退却の二文字に支配され、もう岡山に向けて足を進める以外の事をしなくなった。
その退却は馬印を隠さず、忠雄の服を誰かに着せて影武者を作る事もせず、と言うより退却する事を全く隠すことなく全軍に見せ付けるなど余りにもお粗末であった。だが彼らはそのお粗末さに気付く事はなかった。敵が彼らを追って来る事はなかったゆえ、彼らはこの判断が正しいと思い込んだからである。
一方で利隆は頭を抱えていた。
「なぜだ……なぜ後ろを取られたのに気が付かなかった…」
播磨と摂津の国境北側には山地があり、回り込む事は十分可能である。だがいくら経験のない忠雄軍が相手とは言え回り込んで動きを抑えるのなら同数は欲しい。いや、その軍に自分たちの後方を付かせるとなると倍ぐらいは必要だろう。倍となると四千である。そんな数の軍勢が動いているのになぜ気が付かなかったのだと利隆は憤懣やる方なかった。
「そうか……これが狙いだったのだな」
実は前線で池田軍と必死に戦っていたのは二千の予備隊を除くと一万四千であり、残る四千の兵は激戦の混乱を利用して秘かに山地の方を回り、忠雄軍への奇襲に向かったのである。そして池田陣営はこの手に誰も気が付かなかった。
二万と一万六千では四千も差があるのにと思うかもしれないが、これだけ数が多いと四千は多少と言う範疇に入ってしまう。そして察知させないために、前面に絶え間なく激しい攻撃を仕掛けていた――――利隆はようやくその事に気が付いたようであった。
だがこの時点では、利隆は福島軍がやって来たと言う伝令の話を信じていない。どうせ真田が勝手に黒地に山道の旗を掲げ混乱させようと図ったのであろうと解釈していた。
「勝手に旗を使うなど、福島がへそを曲げても知らんぞ」
利隆はそう毒付くとにやりと笑った。確かにこの結果大事な初戦の勝利を得る事はできるだろうが、福島の旗を勝手に使った真田に対し福島が不信感を抱くだろう、いくら高台院の仲介があっても両者の仲は悪くなるだろう、そう利隆は読んだのである。
しかしこれも実は幸村の策であった。最初に利隆の元にたどり着いた伝令は実は真田軍の兵であり、池田兵に成り済まして陣に飛び込んで来たのだ。
その際、「福島軍が迫って参りました」とだけ言っていた。どこから来たかは言っていなかった。
忠雄が無茶な撤退に走ったのは、単に戦の常識に疎かっただけではない。自分が紛れもなく福島軍を見たと言うのに、それを無下に追い払った利隆に腹を立てていたと言うのもあったのである。
ただその使者を無下に追い払ったと言う報告は、成り済ましの真田兵から受けた物であったが。
この時点では利隆は豊臣軍の奇襲に気付いていなかったため、福島軍が西から来ていると忠雄が言っていると思い込みそんなはずはないと無下に却下したのであり、実際には福島の旗を掲げた軍勢は山地を回り込んで北から来ていたのである。
「残念だがこれまでだ!全軍撤退するぞ!」
利隆は撤退を敢行した。ひた押しにされている中での撤退であるため損害は免れないが、全滅さえ阻止すれば何とかなるだろう。
利隆の顔にはまだ余裕があった。相手の勝利をできるだけ小さくするのだ、そうすれば真田と福島の仲違いによる損害の方が大きくなるだろう、利隆はその自分の読みに自信を持っていた――――後方をついて来た将の、その声を聞くまでは。
「見つけたぞ池田利隆、福島兵部少輔がその首を頂く!」
「えっ……!?」
今の今まで保っていた余裕がその一声で崩れ去った。
福島兵部少輔こと福島正鎮は福島正則の弟の子であり、福島の旗を使う資格のある人物である。正則とどの程度親密かはわからないにせよ、高台院が与えたとなれば正則が文句を言うとは考えられない。
さらに、正鎮の隣には正鎮の従兄弟である福島正守がいた。無論、彼にも福島の旗を掲げる権利がある。紛れもなく、挑みかかって来たのは「福島軍」なのである。
「福島でもなんでも突破すればよい!」
さすがに利隆は冷静であったが、配下の将兵はそうは行かない。押され気味であった所に長い戦いで疲れがたまり、その上退却戦と言う困難な状況で「福島軍」が「後方」から到来したのだからたまった物ではない。
「ふ、福島軍だー!」
「すると備前はもう……」
「もう駄目だー!」
兵たちは一斉に壊乱を始めた。そこに前方から功名を求める豊臣軍が疲れ知らずで突っ込み、後ろから正鎮、正守が正則譲りの武勇で突っ込んで来る。
戦闘能力を失った池田軍一万が、意気上がる豊臣軍二万に挟み撃ちにされ、磨り潰されて行く。
「福島の旗を見ただけでこれか、情けない!」
自身もそれで衝撃を受けた事を棚上げし、利隆は兵たちを詰った。それでこの状況がどうなるものでもない。
「姫路へ帰るのだ!姫路へ戻れば何とかなる!」
利隆は必死に声を張り上げるが、どうにもならない。
利隆は三十歳の働き盛りであるが関ヶ原の時には十六歳の若年であり、当然戦に深くは関わっておらずそれ以来戦がないため事実上初陣と大差がなく、そういう意味では忠雄と変わらなかった。
確かに、「福島正則率いる軍勢」が動いたと言う報告はない。だが利隆、そして十年以上戦場から離れていた池田軍の兵士たちに、この最悪の状況でそこまで判断できるほどの冷静さを持った兵士はいない。
いや、仮にいたとしても他の混乱した兵士に、「福島軍」であって「福島正則の軍勢」ではないから姫路まで逃げ切れば何とかなると言う事実を届かせられるはずがない。まさに、最悪の事態がそこにあった。
将たちは次々と功名を求める豊臣軍牢人の手にかかり、兵たちは武器を捨てて逃走する者、もう駄目だとばかり豊臣軍に投降する者、やけくそになって突撃して討死する者が続出し、池田軍は完全に崩壊した。
「くそっ……!」
やがて、利隆は数人の豊臣軍兵士に囲まれた。利隆は必死に槍を振るい豊臣軍を薙ぎ払うが、大将首を求め後から後から兵たちはやって来る。気が付けば、利隆の周りに味方は誰もいなくなっていた。
そして、利隆の胴に四方八方から槍が突き出された。
「逃げ……ねば……ひめ…………じ……にっ………………」
利隆はその言葉を最後に、短い生涯に幕を下ろした。そして池田利隆を討ち取ったぞと言う声が響き渡ると同時に、辛うじて抵抗を続けていた部隊も全く戦意を失ってしまい、豊臣軍に投降した。
この戦いの結果、池田利隆軍一万の内およそ半数の五千が討死、二千五百が投降、残る二千五百の内五百程度の兵は行方不明になり、姫路城に帰還できたのはわずか二千、無傷の兵となると五百にも満たなかった。
また、忠雄軍二千も忠雄こそ無事であったものの死者二百、負傷者四百という大損害を受けた。一方で、豊臣軍二万の損害は死者八百、負傷者千二百に過ぎず、池田方の大敗であり、豊臣方の圧勝であった。
※※※※※※※※※
「何だと……!?」
池田軍惨敗の報は豊臣方が喧伝した事もあり、二十四日には駿府に伝わっていた。
「武蔵守(利隆)は討ち死に、一万の手勢の内半数が討たれ、無事に姫路に帰りつけたのは五分の一ほど、残りは全て豊臣方に投降……」
「忠雄はどうした!」
「本人は無事でしたが無傷で帰還したのは七割との事」
「真田めっ……」
家康は正純の報告に拳を震わせていた。覚悟していなかった訳ではないが、この敗戦がもたらす悪影響を考えると苛立ってしょうがないのである。
「敵大将は真田幸村、副将に長宗我部盛親、さらに福島正則が参戦していたとの事」
「たわけ。福島と福島正則は違う。そう言えば思い出した、正則の甥がいたわ。そやつに福島の旗を掲げさせれば事情の分からん奴は福島正則の軍だと思い込む。それで池田勢の心を叩き折ったのだ」
「しかしこれで福島は確実に、毛利も高い可能性で敵となりますぞ」
「わかりきった事だ。それより次の手を打たねば」
「次の手とは」
「池田に圧勝し、大将としての威は示した。だが今わしに攻めかかられれば危ない事はよくわかっているはずだ」
「すると……」
「京だ。京を押さえれば勅令を振りかざす事ができる。井伊兵部に京を押さえるように命じよ」
高台院を大坂城に導いて豊臣家内部を押さえ、池田を打ち砕いて将としての名声を確立しても、今の状態では徳川直率軍とまともに戦える力はない。
ならば京の帝を押さえ、勅命をもって一年ほど停戦させる。その間に兵を鍛え上げ、また高台院の威と政治によって福島や毛利だけでなく肥後の加藤忠広など味方を増やし、あるいは家康の死を待つと言う方法もあるのだ。
京に近い彦根の井伊兵部こと井伊直孝に京を押さえさせねばならない。家康はそう判断した。
「恐れながら、兵力は大丈夫でございますか」
「大丈夫だ。真田ぐらいしか敵に将はおらん。真田は当分播磨から動けまい」
「長宗我部については」
「あれは元々大名だ。真田の策に従い付いて行く事ぐらいならばできる力がある。だがそんな人物が残っていると思うか?せいぜい重臣程度で、五千を超えるような数を率いた経験のある人物などおるまい」
「なるほど」
正純はそう相槌を打って叩頭して家康の面前を下がったものの、どうにも腑に落ちない物を感じていた。
(先ほどの私の勘は正しかったのか?)
正純からしてみれば家康が衰えて来ているとは思えない。が、どこか後手後手に回っていると言う気がしてならないのだ。元々が短気なのを承知の上で慎重に振る舞っている人間であるから、単なる慎重派とは格が違っていた。
だが、それでも関ヶ原の時のように好機と見れば素早く動く機敏さをも持ち合わせていたはずである。
(人間一大事の時は……か)
正純も四十九歳である。いくら人心に疎いとは言え、いざと言う事態に置かれた人間は習い性に従いがちな事ぐらいはわかっている。
家康がこの事態に際し、消極的な手に出たのもいつもの事だと思うことにしたのである。
だがその間にも、豊臣方は動いていた。
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