第五章-2 女子高生、山崎へ行く
「何じゃと!? 家康が去って行く!?」
本多正信の死の翌日の十月十九日の辰の刻(午前八時)、二人の女性が一言一句違わず同じ言葉を叫んだ。
「おっ……おのれ家康…………あくまでわらわを無視するのかっ!!」
その内の一人、淀殿は憤りを露わにしていた。淀殿は家康の到着を知るや自らを旗頭にして大坂城に攻めよと言う書状をしたためて家康に送っていたが、家康は淀殿の書状を全く顧みていなかった。
治胤を重用していたのと比べるとずいぶんな差だが、淀殿を前線に立たせればああだこうだと自分の戦術に口出しするだろうし、戦後の力関係もややこしくなる一方だからである。
「お静かに見守っていてください。必ずや真田幸村めの首級をお見せいたします」
梨の礫であることに苛立った淀殿自ら家康の陣に赴こうとしたこともあったが、家康の部下にそうにべもなく追い返されただけで終わった。
「治胤もおらぬ中、わらわにどうせよと申すのだ!」
「まあまあ、これで望みが断ち切られたわけではございませぬ。只今東方より大軍が参っております。おそらく家康はその軍勢を迎えんとして兵を退いたと」
「そうか……すると合流できたらこの大坂城に戻ってくると言うのじゃな!」
「はい」
「それだけではぬるいわ! その大軍を構成する連中にも書状を送ってやる! 誰がおるのじゃ!?」
「ええっと、家康の六男忠輝を大将に、伊達様、上杉様、立花様、佐竹様など……」
大蔵卿局は知っている限りの大名の名前を挙げた。
「それだけで十分じゃ!わらわが今すぐ書状を書く故金子を用意しておけ!」
「ですが……」
「金子が足らぬと言うのか!」
「先に福島様らに送った書状もどうやら高台院に掴まれており此度も……」
「構わぬ! 一人でも反応すればそれでよい! それから、黒田や藤堂、細川と言った梨の礫であった連中にもじゃ!」
淀殿は怒りを抑え込みながらも、書状を次々と記し始めた。
無論内容は正則らに送った物と同じ、高台院と罪人と言う括りで無理矢理にまとめられた幸村・盛親・全登を糾弾するという強引な代物であった。
※※※※※※※※※
一方もう一人、高台院は真田幸村を目の前にしてその言葉を叫んでいた。
「ええ、前田勢を一日早く先行して退却させ自身はその後に続く形で」
「諦めた訳でもあるまいが」
「ええ、おそらくは東北からの援軍を迎えに行き、しかる後」
「再び来ると申すか」
「いや、それもありましょうがおそらくは」
「そなたか」
高台院の言葉に、幸村は黙って頭を下げた。
「確かに前田勢と家康本隊がいなくなれば向こうは六万、こちらは九万。ですが東北勢が全て来れば十四万です。更に言えばまた大筒の攻撃が始まるでしょう。そうなればこちらは持ちません」
「だからこちらはこの連勝中の好機に乗らなければならないと言う訳か」
「たとえ危険でもです」
家康にはまだ立て直す力が残っている。だが連敗続きである。
豊臣方は連戦連勝ではある。だが兵が徳川軍と比べ余りにも弱い。
勢いは豊臣方にあるが、戦力的には大差で徳川方の方が勝っている。
「満ちたるをもって欠けたるを討つ、それしかありますまい」
「そうか。だが人選はどうする?」
「私が大将となりましょう。この城は福島殿にお任せいただき、明石掃部殿とその手勢を含め三万五千があれば」
「将二人で大丈夫か」
「後藤又兵衛殿の力も借りたいと思います。六万の敵を守るならば福島殿、毛利殿、加藤殿、長宗我部殿の四名だけでも十分すぎるぐらいです」
「家康の部隊はどれだけだ」
「これまでの戦で直属軍三万の内大体千数百が討死し、そこに旧秀忠軍一万が加わり、そして負傷兵数千が大坂に留め置かれたようで、結局の所三万二千前後との事です」
「三万二千か……それなら戦えよう。頼むぞ」
「はっ」
「左衛門佐様……いよいよですね」
決意を伝えに秀美の元へ向かった幸村は、口の中でおっと声を上げた。
「その格好は……三月ぶりだな」
「はい」
秀美は、初めて幸村と出会った時の制服姿になっていた。
「今度の戦いは、文字通りの決戦になるんですよね」
「ああ」
「あの夜、一晩考えたんです。この戦いに勝った後、どうすればいいのかって。負ければ死ぬだけですけど、勝って生き残ったらその後の事を考えなきゃいけない立場になっちゃうって……家康って人は、その事をわかってると思います。そういう人に勝つには、私もそうしなきゃいけないと……」
「…………答えは出たのか?」
「左衛門佐様は?」
「私にはそんなものはない。ただ武士の意地のためだけに戦って来たのだからな。そなたによき答えがあれば、それに追従しよう」
「いいんですか?」
「具足は血に染まるためにある。だがその装束、本当は血で汚してはならない物なのであろう」
「ええまあ……」
「その装束を身に纏うと言う事はその装束を血で汚す覚悟があるのだな。それほどの覚悟があるのならばもはや何も言う事はない」
「左衛門佐様……」
秀美の両目に感動の涙が浮かんでいた。そして秀美は自分でも気が付かない内に、右手を幸村に差し出していた。幸村もそれに応えるように、秀美に右手を差し出した。
「頼むぞ……秀美」
幸村は秀美にも聞こえないほどの小声でそうつぶやき、秀美は両目から涙をこぼし制服のスカートを濡らしていた。
※※※※※※※※※
翌十月二十日、真田幸村・明石全登・後藤又兵衛率いる豊臣軍三万五千は徳川家康軍本隊追撃の為に大坂城を出撃した。
「どこで家康の尻尾をつかめると思いますか?」
「おそらくは……確証はございませぬが」
「断定できずとも結構です」
「山崎」
山崎。その二文字を聞いて全登の顔に緊張が走った。
山崎と言えば豊臣家、ひいては秀吉にとってどこより重みのある地である。
三十二年前、主君・織田信長の仇である明智光秀を山崎で討ち取ってから、秀吉の天下は始まったのである。その地で今の豊臣家を支える真田幸村を討てば、豊臣にとっての栄光の地である山崎を屈辱の地に変えてしまう事ができる。
そうなれば豊臣方にとっての心理的衝撃は凄まじく、一気に自分たちの完全勝利に持って行く事も不可能ではなくなる。
「実際問題、山崎より下がると京になってしまいます。京で戦うのは政治的にも軍事的にも余りにも不利。しかしだからと言って京より下がって我らに京を抑えられれば」
「家康の立場はない」
豊臣家との因縁や京を巻き込むのはまずいという政治情勢を差し引いても、山崎より優れた戦場はこの付近になかった。
「家康の注文に答えてやりましょう」
大軍同士の戦いと言うのは、軍を展開する場所も限られるだけに、だいたいどちらかが想定している場所を、もう一方がそこで良いと了解して選ばれると言う事が多い。かつて秀吉が光秀を討った時は両軍合わせて五万六千であったが、今回は両軍合わせて六万七千であり、なおさら戦場になる場所は限られてくるだろう。家康がここで勝負してやると指定して来た山崎と言う地を、幸村はそこでよいと了解する事にした。
「決戦の地は山崎だ!みな、進め!」
幸村は将兵に向けて檄を飛ばした。
※※※※※※※※※
この時、忠輝はようやく近江に入ったばかりであった。中途で秀忠討ち死にの方が入っていたのにも関わらず、忠輝は全く進軍の速度を上げようとしなかった。
相変わらずの遅滞行軍を続ける忠輝の隣では、忠輝の義父でありこの軍団の副将と言うべき伊達政宗が忠輝と駒を並べ何かを言い聞かせていた。
「無理をして全軍をとは申しません。一部だけでも進軍速度をお上げになり」
「だからやっているであろう。不十分か」
「越後少将(忠輝)様が将軍となるこの好機を」
「うるさい」
「ですからここで真田幸村を討伐すれば大御所様も少将様をお見直しに」
「しずまれ」
「いや何せ一番年かさなのは少将様ゆえ」
「もう聞き飽きたわ」
忠輝は政宗の言葉に耳を貸そうともしない。
「ですが」
忠輝は全くもうと言わんばかりに大きなため息をつくと、この説明も六度目かと思い返しながら政宗の方を向いた。
「虫がよすぎるのだ……いいか、世間は父がわしを嫌い抜いている事をよく知っている。それを兄が死んだからと言って今さら将軍にするなどと言う優遇措置を取る事ができるか?」
「ですからその為に」
「幸村を倒して状況が変わるのならばとっくに倒しに向かっている。どうせ次は義直か竹千代(家光)だ。おそらくは後者だろう。いいか、もし事が年齢の問題ならば今頃は越前宰相が三代目将軍だ」
忠輝は二十二歳、残っている家康の子供の中では最年長であり、忠直よりも三つ上である。秀忠の次は自分だと考えてもおかしくないはずだが、忠輝にはその気が全くなかった。
無欲だと言うのではなく、諦観の念に満ちていたのである。
この忠輝、生まれた時から全く家康に愛されておらず家臣に養育を丸投げにされるなど、事実上の長男でありながら家督を継げなかった秀康と比べてさえも格段に冷遇されていた。一応領国は与えられているものの、それも弟たちと比べるとかなり遅く、領国そのものも少なかった。
そんな子供を秀忠が死んだ、残った子供の中で一番の年長だからと言ってはいそうですかと後継にする事などという、子供の人格を無視したような事が世間体から言ってもできる訳がない。
「敵は三万五千、味方は三万二千。安心はできませんぞ」
「だからあの連中を陸奥守(伊達政宗)の言葉に従い急行させたのだろう。それで数は上回るだろうし、もう十分であろう」
手柄を立てずに叱られるのは当たり前だが、手柄を立てても認めてくれないであろう父親など、忠輝にとっていない方がましだった。どうせこの戦いが終わり豊臣家が潰れてしまえば自分など用済みで、捨扶持を与えられて冷や飯喰らいの生活になるのだから。
徳川家は、父は自分なしでもうまくやって行けるのだから。とりあえず数では上回らせておきますので、後はご自由にやって下さい。忠輝の顔、いや全身からそんな言葉がはっきりと滲み出ていた。
「ですが八千で足りるでしょうか」
「前田を先行して加賀に帰した事ぐらい知っているだろう? だが父が前田の全軍をすんなり返したと思うか?」
「すると?」
「するとではあるまい……大方、誰か一軍を率いられる大将を援軍として残しておくように命令しておいたのだろう。安く見ても三千ぐらいの兵はその大将に付き従っているはずだ。仮に三千だとすれば、それだけで数は同じとなる。我らが加わる必要もあるまい」
「ですが」
政宗が忠輝を必死に諌めていたのは、忠輝のためと言うより自分の野心である。政宗にしてみれば自分の娘婿である忠輝にここで失脚されては、天下を窺う機会はもう二度と巡って来なくなる。だから、何としてもここで忠輝に手柄を立てさせて次の将軍の座に着かせたかったのだ。
「もうよい」
そんな政宗の野心を知ってか知らずか、忠輝は話を打ち切るように手を振った。そして、また相変わらずの遅滞行軍を続けたのである。
※※※※※※※※※
「一万?」
「はい、その程度かと」
二十二日、幸村ら豊臣軍は山崎にたどりついた。さすがに天王山は家康に抑えられており、そこに家康の本陣たることを示す「厭離穢土欣求浄土」の旗がなびいていた。確かに天王山は小山だが、一万と言うのは少ない。
「すると残りの手勢は平地にいるのだな」
「はい。そして、葵紋だけでなく梅鉢と銭九曜の旗が対岸に靡いております」
前面を見渡せば、葵紋に交じって梅鉢と銭九曜の旗が靡いている。梅鉢は前田家の家紋であり、銭九曜は前田家の重臣長家の家紋である。
「こちらが天王山に集中攻撃をかけんとした所を、平地に構える軍勢に叩かせる、と言うのが家康の作戦か。その為に、老巧の連竜を残したのだろう」
長家の当主、長連竜は六十九歳。本来なら戦場に出る年齢ではないが、嫡子が早世したため一度譲り渡した家督の座に復帰して大坂に出て来ていたのだ。年相応の貫録を持つ歴戦の古豪である。
「ではあの大軍を率いるは実質」
「そういうことになります」
旗の数から察するに、連竜率いる前田軍は大体四千ぐらい。天王山の家康の数を一万と断定すれば麓に構えるは前田軍を合わせて二万六千と言う所か。だがその内二万二千、すなわち主力である徳川軍にはこの時意外に将がいなかった。
大将は家康の子供である頼宣を据えればいいが、まだ十二歳で指揮が取れる訳がない。家康はとりあえず近江に領国を持ちながら井伊軍に徴集されず残っていて大坂城に向かう際に自らの部隊に編入した永井直勝を頼宣に付けたものの、いくら小牧・長久手の頃から戦い続けた歴戦の勇士と言えど七千石の禄しかない直勝に二万を越える軍勢の指揮を執れるだろうか。
そこで、家康は百万石を越え大軍を指揮する事ができる前田家から、歴戦の将であり主君に代わって大将を務めるに相応しい、鎌倉時代より続く由緒ある家柄を持つ連竜に白羽の矢を立てたのである。
「早く攻めねばなりますまい。もたもたしていると忠輝が来ます」
「その心配はまだない。忠輝はようやっと近江に入ったばかりだ」
「えっ……ですがさすがにある程度の数は先行させているかと」
幸村に対し驚きの表情を向けたのは木村重成であった。重成は当初より長宗我部盛親の元に配属されていたのだが、此度幸村が家康との決戦に乗り出すと聞き、幸村に直々に志願して先鋒大将の任を与えられたのである。
「だろうな。だが慌てる必要もあるまい。とりあえず今日は戦は仕掛けぬ」
「何故です!?」
「戦以外にもやる事はある。陣を組んだり、情報を聞いたりしてからでも遅くはない」
幸村はそういうと、重成の方を顧みることなく陣を組むように指示を始めた。言われてみれば確かに陣を組まずに戦いを始めるなど無謀なのだが、それにしても幸村の物言いは悠長だった。
「……まあ、あのお方だからな」
重成も、結局はそう言うしかなかった。この頃になると、幸村に対して豊臣軍全体が無条件の信頼を置き始めるようになっていた。幸村のやる事だから間違いはないだろう、大坂の人間たちにはそんな空気が流れ始めていたのである。
※※※※※※※※※
「動く気配はなしか……警戒は怠るな」
一方の家康は天王山から豊臣軍の兵の動きを眺めていた。
「真田幸村め……将たちの信頼まで勝ち取りわしに戦いを挑むか…」
家康にも、諸将の幸村に対する信頼の厚さがわかっていた。
「あれだけの大軍、そして明石や後藤と言う一角の将たちに言う事を聞かせる。それはいくら戦術が巧みでも無理だ。敵ながら見事な物よ。だがわしは負けん」
見た所、先陣に豊臣譜代、中軍が幸村、後方に明石軍が控えており、その三部隊が一本の槍のようにこの天王山を睨んでいた。見た所、先鋒七千、中軍一万三千、後方一万で合わせて三万。
そして、その更に後方に後藤又兵衛が五千の兵で待機していた。又兵衛に頼宣らを任せ、その間に自分を討つつもりだろう。
(……わしが幸村でもそうする)
確かに勢いはあるが、そのまま前のめりの状態で勝てるほど容易い相手ではない。だとすれば、一日休憩を取らせて体を休ませつつ覚悟を叩き込み、それから決戦に臨む。これが今現在幸村が取り得る最高の方法だろう。
「来るなら来い……受けて立ってやろう!」
秀吉が光秀を討った時は六月、夏の後半であったが、今は十月後半、初冬である。三十二年前の戦の時は青かったであろう木々は紅葉し、紅い葉を散らしている木も少なくなかった。それがいずれの運命を暗示しているのか。この時、誰にもわからなかった。
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