終章 女子高生、歴史を紡ぐ

終章-1 大坂城にて

 家康討ち取られるの報はあっと言う間に拡散し、それが山崎全体に伝わるのには四半刻も要さなかった。




「う……嘘だっ!!」

「やった、やった! 家康は死んだぞ! 我らの勝ちだ!!」


 主君の死を知って愕然とする徳川軍の兵士たちの声と、戦勝を知って喜びに満ち溢れた表情で喜び騒ぐ豊臣軍の声が折り重なるように響き渡った。


 そしてまもなく徳川軍は雪崩を打って逃げ出し、又兵衛ら豊臣軍は力尽きたように座り込んだ。勝ったとは言え、豊臣軍も敵陣の中央で戦い続けていた為疲労がひどかったのである。





「…………」


 その光景を、ただただ口を開けて眺めていたのは立花宗茂である。宗茂も、直江兼続も、真田信之も、今どうしたらいいかわからなかった。


 もし徳川に対して自分たちの無実を証明するつもりならば疲れ果てている後藤軍を惨殺すべきだろうし、徳川を見切るのならば雪崩を打って逃げ出している徳川軍を叩くべきだろう。だがどちらをする気にもなれなかった。


 正直な話、三人とも家康の死と言う状況を望んだわけではない。暴走の原因である長連竜に即刻果断な処分を下さない徳川家に対しての評価を落とす気にはなったものの、家康への信用を失った訳ではなかった。きちんと家康に話せば、わかってくれるのではないかという期待はあった。

 だが、今やその家康はいないのだ。


 他に、自分たちのこの状況を理解してくれる人物が徳川にいるのだろうか。そう考えると、徳川の為に働く気がしてこない。しかし、自分たちの指揮官は家康と不仲であるとは言え家康の六男の忠輝なのだから、その忠輝を裏切るような事もしたくない。

 上杉と立花は外様だが信義に厚い家風であり、真田信之に至っては妻の小松姫が徳川の重臣本多忠勝の娘であると同時に家康の養女でもあるため、徳川家の譜代どころか親族とも呼べる人間である。そんな人間たちに本気で徳川を見捨てる事など出来はしないのだ。


 もしこの時、この事態を招いた責任者である連竜が彼らの近くにいれば、彼を捕まえて忠輝に引き渡し、事情を説明するという道も開けただろう。

 だが、この時連竜は後藤軍の兵士の放った銃弾の流れ弾により、既に三途の川を渡っていた。死人に口なしであり、この世を去った人間を責め立てても何もなりはしない。もっとも、今の三人の頭にはそういう案は思い付かなかったし、連竜が既にこの世の住人でないと言う事実には思い至ってすらいないが。


「…………退くぞ」


 ようやく、三人の中で最年長の兼続が重い口を開いた。もうこうなった以上、他に何もしようがないと言うのだ。宗茂も信之も、黙って兼続に追従するよりなかった。この先どうなるか全くわからない今、これ以上無駄に力を削ぎたくなかったのである。




※※※※※※※※※





「父が死んだ?」


 一方、明後日ようやく京に入れると言う所まで来ていた忠輝が家康の死の報を聞いたのは、すっかり夜が更けた戌の刻(午後八時)だった。


「冗談は止せ、わしがたどりつくまで父が持たないはずがない」

「いえ、それが真田の兵が大御所様の首級を片手にそう言い触らしております」

「影武者だろ?どうせ本物の父はその内京に現れる、ぬか喜びさせておけ」

「しかし、その首級を目の当たりにした徳川の将兵から紛れもない本物であるとの言葉が上がってきております」

「用心深い父の事、兄上(秀忠)さえも気付かないような瓜二つの影武者を用意してあるのだろう? 兵士たちが気付かないのも当たり前だ。仮にその首級が父本人だとしても、その瓜二つの影武者を使えばまだどうにでもなる。父の事だからそこまで考えてあるのだろうな」


 忠輝は家康討死を伝えた兵士の報告に対し、まったく真摯に耳を傾けようとしないで寝転んでいる。


「真面目にお答えください!」

「わしは至って真面目だ。今父に死なれたら徳川がどうなるのか、わしだって恐ろしいのだ。ましてや兵たちにそんな最悪の事実が漏れたら我らは終いだぞ。わかったわかった、事態の重大さを伝えるために、後で父は行方知れずだと兵たちに言い触らしておく。それでよかろう」


 忠輝の言葉が完全に口だけである事は、誰の目から見ても明白だった。口ではこの最悪の事実を公表して将兵の心をぐらつかせる訳には行かないとまともな事を言っているが、忠輝の内心ではそれ見た事かの七文字が渦巻いていた。


(今まで散々こちらの願いを踏みにじってきて、それでもこっちは助けてやったのに、それでも死ぬような脆くて情けない人間だったってわかっているのならば、元から俺に対しあんなに冷たく接しなければよかったんだ、わからずにやってたんならただの馬鹿だし、わかっててやったっていうんなら、まさに罰が当たったんだよ!)


「お前ももう疲れただろ、どこかの天幕に入って早く寝ろ」

「ですが」

「もうわしの心は変わらんぞ、例え目の前で貴様が腹を切ってもな」


 この忠輝の最後通告と言うべき言葉に、兵士は怒る気力すら湧かなかった。一瞬忠輝を斬ってやろうかとも思ったが、そんな事をすれば徳川は完全なる破滅である。結局、使者は忠輝の言葉に従い、近くの天幕に入って疲れ果てた体を横にするしかなかった。




※※※※※※※※※




「敵襲だと!?」


 家康が浅川秀美に討ち取られてから半日が経過した、慶長十九年十月二十四日の寅の刻(午前四時)。

 大坂城を包囲していた徳川義直の陣に激震が走った。


 と言っても、家康死すの報が届いたからではない。家康が大坂城から離れた後東側に移動していた義直軍目掛けて、いきなり大坂城から軍勢が飛び出して牙を剥いて来たからである。


「迎撃せよ!」


 成瀬正成は慌ててそう命じたものの、戦果の上がらない連戦による疲労と士気の低下はどうにも覆いがたく、将兵たちの反応は鈍い。


 一方で大坂城から飛び出してきた福島正則軍の勢いは激しく、まるで初冬の寅の刻の薄闇を木っ端微塵に叩き壊しそうなほどの凄まじさであった。


「落ち着け、敵はどうせ少数だ!」


 正成は兵たちに必死に言い聞かせた。こちらの不意を突いて来て一撃を加えるのが目的だろうから、あまり大軍を出すとかえって逆効果であろう、だから少数でありそれほど重大な打撃を与えに来ている訳ではない、正成はそう思っていたし、そう思いたかった。

 だが、現実はその正成のささやかな願望を見事なほどに踏みにじった。




「正成、敵は全軍ではないのか!?」

「いやそんなはずは」




 義直の指摘を受けて改めて正成が朝闇に目を凝らすと、正成が考えていた三千や四千ではない、六千、いや一万を軽く越える軍勢が東門からこちらに向かって来ている。仮に福島軍全軍だとすれば一万二千、義直軍一万五千よりは少ないが十分な大軍であり、しかも不意を打たれているので数の差はあってなきが如きである。

 こうしている間にも、福島軍は混乱を来たし無抵抗に近くなっている義直軍を蹂躙せんとしている。


「藤堂だ! 藤堂に横っ腹を突かせろ!」


 義直は南門の大将である高虎に援軍を乞うた。もし福島軍が全軍で我らに挑みかかっているとすれば、福島軍の脇はがら空きのはずだ。藤堂軍にその脇を突かせれば、福島軍を押し止められるか、あるいは逆に打ち砕く事もできるかもしれない。

 それまで耐えれば大丈夫のはずだ、義直は必死にそう願った。そして義直が高虎に援軍を乞う使者を送ってからまもなく福島軍は義直軍に衝突し、義直軍を引き裂くが如き勢いで暴れ回った。


(何かあるぞ……)


 この時、義直も正成も何か妙な違和感を覚えていた。福島軍はなぜ全力で向かって来るのだろうか。

 一撃を加えるだけなら全力でぶつかる必要はない。豊臣軍が追い詰められているのならばともかく連戦連勝中の今、別に今日で決着をつける必要などどこにもないのにだ。




 まさか。


「大変です!! 大御所様がっ……!」


 義直が頭に浮かんでしまった嫌な予感を頭を振って打ち消そうとしたまさにその時、ボロボロに傷付いた一人の兵士が義直の天幕に駆け込んで来た。


「死んだのかっ!?」

「まさかそんな!」


 義直が思わず叫んだ言葉を正成は慌てて否定しにかかったが、その兵士の顔にはっきりとその通りと言う言葉が書いてあった。







「そんなっ……!!」


 正成はがっくりと腰を落としてへたり込み、義直は両手で頭を抱えた。

 そしてちょうどその時、福島軍の兵士たちが家康は死んだと合唱を始めた。


「もう無理だ……逃げるぞ……」

「しかし……」

「しかしも何もない! 逃げる以外に方法があるのか!!」


 確かに、もう逃げる以外取る道はない。


 だが、実はこの時家康の悲報により強い衝撃を受けていたのは、義直より正成であった。今の正成は例えてみれば魂の抜け殻であり、そんな正成にまともな返答を期待する方が無理だったのである。


「正成!!」

「では……殿はお任せを…………」


 正成は全く覇気のない声で義直の叱責に答えたが、体は相変わらずへたり込んだままであった。




「正成!痛いか!」

「……何ですか…………」


 義直は正成を気付けのつもりで殴ったが、それでも正成の目は虚ろなままで、殴られた箇所を抑えようともしていない。


「死ぬなよ!わかったな!!」

「はっ………………」


 義直はもうこれ以上付き合えないとばかり天幕を飛び出し、逃走を開始した。後に残されたのは生きる屍のようになってうずくまっている正成と、家康の死を伝えた所で体力と気力を使い果たし、文字通り精根尽き果てた一人の兵士だけだった。


 前線で指揮を執るべき大将がこれでは他の将兵は推して知るべしである。家康の後を追おう、豊臣軍の兵士を一人でも道連れにしてやろう、あるいは他の兵を落とすために時間を稼いでやろうなどと言う殊勝な兵士たちはほとんどおらず、ほとんどの兵士たちはただ己の命を守る為の行動、要するに逃走と豊臣軍への投降を始めた。


 雑兵だけでなく、重職の人間すら平気で逃走か投降に走っているのだから、軍勢の形などあったものではない。それに対して戦果は取り放題とばかりに目を血走らせている福島軍の兵士たちが迫っているのだから、もはやそこにあったのは戦争などではなく、ただの殺戮であった。

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