第2話 瓶首効果と人種


 7.4万年前、南アジアに定住していたF系統の現生人類は、スマトラ島のトバ火山の巨大噴火に遭遇した。これは現生人類史上最大の噴火であり、現在のパキスタンから、インド、マレー半島スマトラ島に数メートルの火山灰を降り積もらせ、そこに生息する生物を絶滅の危機へと追い込んだ。人類もその過酷な運命のなかに巻き込まれた事は、後年、トバ火山の数百、数千分の一の規模のヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイの街が廃墟と化した事を見れば想像がつく。この巨大噴火は、その後数千年続く日照不足と寒冷化(平均気温が5度低下)の「火山の冬」を招き、南アジアだけでなく、地球規模の気候変動を起こした。多くの生物が絶滅の危機にみまわれ、アフリカ・ユーラシア大陸に数百万人いた現生人類の人口を約1万人程度にまで減少させたといわれている。


 このトバ火山の巨大噴火とその後の「火山の冬」は、長期に渡って南アジア(インド亜大陸)を現生人類の住めない不毛の地にし、その結果、その西と東で生き残った現生人類がそれぞれ独自の進化を始めた。いろいろな特性を持つ人々がいた中で、ある特性をもった幾つかのグループがインド亜大陸の西と東で生き残り、「瓶首効果」*でその特性を持った集団が拡大していった。つまり、「人種」の特性が生まれたことになる。このトバ火山の巨大噴火の直後、まず遺伝子タイプFは、G,H,I,J,Kの遺伝子タイプへ変化し、そのKからL,M,N,O,Pの遺伝子タイプへと変容していく。


 これらの多様化した現生人類は、集団ごとに南アジアから、ヒマラヤ・チベット高原の西と東に分かれる別ルートで北上し、ユーラシア大陸全域に移動を始めた。遺伝子タイプFから派生したG,I,J,Kと、Kから派生したL,P,Rは西に向かい、中東・ヨーロッパに展開する白色人種の祖となった。同様にKから派生したN,Oは東へ向かい、東南アジア、東アジアに展開するモンゴロイド系黄色人種の祖となった。これらの現生人類は、地球全域に拡大し、現在人類の大部分を占める存在となっていく。これとは対照的に、先行していた遺伝子タイプC,D,Fの現生人類は、山岳地方、北シベリア、極東、島嶼部などの辺境の地にわずかに残存する存在となっていく。


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 さらに寒冷化は進み、約7万年前から本格的な厳寒の「ヴュルム氷期」が始まる。これは約18万年前から約13万年前まで続いた「リス氷期」以来、現生人類の遭遇した二度目の氷期だった。北極の氷冠はユーラシア大陸へと拡大し、海水面は130メートル下降した。気温は低下し続け、現在の平均気温より10度近く低い気温となっていった。


 西ユーラシア大陸では、ユーラシア大陸北部に拡散していたネアンデルタール人が、寒冷化で氷河が押し寄せるツンドラステップを避け、ヨーロッパ南部、地中海沿岸、レバント地方へと南下をはじめた。そのネアンデルタール人が残した石器文化をムスティエ文化という。ヨーロッパでネアンデルタール人の洞窟壁画が残されている。


 一方の現生人類も中央アジアが寒冷化し草食獣が減少していく中、南の温暖な地域へ移動し、西はネアンデルタール人の居住するヨーロッパから、東はスンダランド、サフールランド、中国南部を含む東アジア全域へ居住地を拡大してゆく。


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 5.5万年前から ようやく温暖期が始まり西アジアとヨーロッパ間に森と草原が広がり始める。西ユーラシア大陸では、遺伝子タイプIの金髪碧眼のクロマニヨン人を中心とした雑多な現生人類集団(西ユーラシア系統狩猟採集民)が、インド西部、西アジアからヨーロッパに進出し、ヨーロッパ東部・南部にオーリニャック文化と呼ばれる旧石器文化を展開させた。5万年前からはG,I,J,K系統のコーカソイドも南アジアから西アジア、ヨーロッパへ進出してゆく。


 その結果ヨーロッパでは、旧人類のネアンデルタール人と新人類ホモサピエンスが、限られた森と草原で接触し、競合する事になった。その後現生人類は、広い範囲の草原や森を移動、大きな集団で協力して狩りをすることで優勢となり、ヨーロッパ全土で繁栄を続けていく。それに対し、比較的小さな集団で定住するネアンデルタール人は次第に劣勢となっていった。


 一方、東ユーラシア大陸では、約7万年前から中央アジアのツンドラステップで、遺伝子タイプN系統、O系統の狩猟民が豊かな森と草原の中、マンモス、ナウマン象、トナカイ、ヘラジカ、野牛などの獲物を狩って生活していた。


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 4.4万年前から寒冷乾燥期が始まり、ユーラシア大陸北部の森と草原は縮小傾向となり、居住していた多様な狩猟採集民が南下をはじめる。


 西ユーラシア大陸では、4万年前にP系統から派生したR系統のコーカソイド系狩猟民(印欧語族)が、中央ユーラシアのステップ・ツンドラから、野牛やウマの群れを追って草原の残る比較的温暖な地域へと移動し、インドから南ヨーロッパまでの地域に進入していく。


 黒海、地中海、フランス南西部に居住していたネアンデルタール人は、3.9万年前のイタリアの火山噴火で被害を受け更に居住地を減少させていく。この後、2.8~2.4万年前、ネアンデルタール人はイベリア半島南端のジブラルタル沿岸の洞窟での生存を最後に絶滅する。


 東ユーラシア大陸では、中央アジアのツンドラステップで居住していた遺伝子タイプN系統、O系統の狩猟民が、5万年前ごろから、ウマ、シカなどを追って南下し始め、温暖な東アジアや東南アジアへと進出していく。その結果、先住のC系統やD系統の海岸採集民が、南下してきたN系統やO系統の剽悍な狩猟民の侵入を受けることになった。高度な狩りの技術をもつ狩猟民達にとって、狩りの対象が草原をすばやく走り回る草食動物から、海岸地域で定住しているのろまな人間に替わっただけで、たやすいと感じただろう。海岸採集民は狩猟民の容赦ない襲撃にさらされる事になり、一方的に不利な戦いのなか、海岸採集民たちは圧迫され、次第にその居留地を海岸沿いに限定されていく事になる。





「瓶首効果」* 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 集団遺伝学におけるボトルネック効果(ボトルネックこうか)または瓶首効果(へいしゅこうか)とは、生物集団の個体数が激減することにより遺伝的浮動が促進され、さらにその子孫が再び繁殖することにより、遺伝子頻度が元とは異なるが均一性の高い(遺伝的多様性の低い)集団ができることをいう。

 オッペンハイマーは、著書P200に「たまたまケーキが不均一にカットされたようにして生じたものである」と述べている。つまり、ショートケーキで言えば、イチゴが多い部分、クリームが多い部分、ケーキの生地が多い部分に分かれて増えていき、それぞれ、イチゴ、パフェ、カステラとなったという事だろう。

 さらにオッペンハイマーは、著書P224に「わたしたちの肌の色は、過去6万年にわたる祖先の遺伝子の分岐より、この1・2万年のあいだに彼らがどこにいたかを物語っている。」と述べている。つまり、日差しの強い地域に住むと皮膚がんを防ぐために肌の色が濃くなり、日差しの弱い地域に住むとくる病にならないために肌の色が薄くなるという内容の説明をしている。





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