第5話 わの村

 マサという少年が小魚が群れる透明な海中から、息をつめ片手で水をかき、光がきらめく海面へと上がっていく。海面の上に出て大きく息を吐きだし、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。青い海面の向こうに緑の山と白い砂浜が見える。マサはその砂浜に大好きなイミという娘の姿をさがしあてた。マサは長い突き棒を上にあげて、イミに合図を送る。それに気付いたイミも笑顔で手を振った。


 ここは現在「九州」と呼ばれている大きな島の北にある海岸のひとつだ。マサたちのいるわの村は、緑の濃い山々に囲まれ、入り崎と上がり崎の二つの岬の間にある浜辺にある。沖には鯛島と栗島という小さな島が見える。わの村は、親族ごとの十四の集落からなり、各集落には、家族ごとに幾つかの竪穴式住居がある。住居は彫り込んだ穴の上に板を敷き、柱と梁を組んで枝や藁で覆っている。集落の真ん中には、石で囲った火を使う場所がある。


 わ村の男たちは海へ丸木舟で出て、釣りや突き棒で魚を取ったり、山で石槍を投げたり、弓矢や罠でシカ、イノシシ、ウサギ、キジ、カモ等を捕ったりしている。そして女たちは浜辺で貝や海藻をとったり、木の実(クリ、クルミ、ドングリ)や山菜(ワラビ、ゼンマイ)、果実(山ぶどう、木苺)、根菜(ユリ根、山芋)を育て、収穫していた。


 マサという少年は十四歳になっていた。この時代では自分で獣や魚を捕るのに充分な年齢だ。マサは、毎日海に出て、得意な素潜りで突き棒をふるって魚を捕っている。マサの周りには、見えるところだけでも十艘近い丸木舟が浮かび、男たちが素潜りをしている。マサの父親のハサも、どこかで魚を捕っている筈だ。海は広く、魚はすばやく逃げる。魚を突き棒で仕留めるにはかなりの工夫と経験が必要とされている。マサの父親は突き棒の達人といわれている。いつも村で一番多く魚を捕るのはマサの父親だった。マサも父親から突き棒で魚を捕るコツを学んでいた。多い時には一日で十匹以上の魚を突くこともあり、もう一人前だと村人から認められている。


 夕刻になり海に潜っていた男たちは浜辺へと戻っていく。浜辺では女たちが笑顔で出迎える。とった魚は、各集落ごとにまとめられ、村人みんなに公平に配分された。マサはイミの姿を見つけ笑顔を見せ、茅葺の家へ戻っていく。女たちの歌声が響く。


  大漁だよ、大漁だよ、海の女神様ありがとう、たくさんの魚をありがとう


  大漁だよ、大漁だよ、達者な男達ありがとう、今日も無事でありがとう


 集落の真ん中の焚火の周りにはいくつもの甕が並んでいる。女たちが甕のなかから魚や芋や野菜が入った煮物を、各家の器に取り分ける。各家で夕餉が始まる。

大人たちは酒を酌み交わしている。幼い弟や妹たちは、藁を敷いた家の中で、はやくも眠りについていた。マサも心地よい疲れのなかでウトウトとしていた。


 マサの父親のハサは酒を飲みながら、今日はイノシシより大きな魚を捕り逃した。モリは当たったんだが逃げられた。あれは村のみんなに分けられるほど大きかったと残念がる。マサの母親のキリは、「そんな事より、マサも一人前になった。早く結婚させないと」と、マサの好きなイミという娘の話をする。明日にでもイミの家に挨拶に行きたいという。マサはそれを聞いて顔を赤くして喜んだ。外では、大人たちの酒宴が続いている。村の古老がいつもの長い昔話が始まる。


「昔々、わ人たちは遠い西の国にいた。寒い冬が続いてみんな食べ物もなく凍えていた。悪い龍がたびたび現れて竜巻を起こし、海の水が天に吸い上げられ、海は干上がっていった。わ人たちは魚が捕れなくなって困っていた。わ人たちが遠くなった浜辺へと出かけた時、海の女神さまが現われて、わ人たちに、干上がった海を歩いて渡り東の地に向かうように勧めた。」


「わ人たちは海の女神さまの言葉に従い、東へと向かうことになった。長い長い旅が始まった。わ人たちの行く手には、サラルたちが待ち受けていろいろな悪さをして、わ人たちの歩みを止めようとした。わ人たちはそれを何とか追い払い、東の国へ進んでいった。長い旅のおわりにわ人たちがたどり着いた東の国は、果実の多い森が広がり、暖かい海に色とりどりの魚が群れていた。わ人たちは海の女神さまに感謝し、その東の国で暮らし始めた。」


「しかし、長い年月が過ぎ、わ人たちがもとの西の国や長い旅を忘れかけた頃に異変が起こった。突然、西の大きな火山が大爆発を始めた。焼けつく溶岩が麓を埋め尽くし、森は焼け果て、大量の灰が空一面に吹き上がり、太陽は姿を消した。灰は地上に絶え降り積もり、森や草原の獣はいなくなり、海も白く濁り魚はいなくなった。わ人たちは灰に埋もれ、何処に進むことも出来なくなった。しかも山から火を噴く恐ろしい龍が現れ、わ人たちに襲いかかった。わ人たちは濁った海の中に逃げ込むしかなかった。陸に戻れなくなったわ人たちは溺れて海の底へ沈んでいった。」


「深い海の底に沈んでいったわ人たちは、そこで思いがけない世界を見る。深い海の底は青い空の下、暖かい風が吹き、緑の草原に花が咲く楽園だった。そこは海の女神の国だった。海の女神の国の人達は優しくわ人たちを迎え、見た事もないご馳走を出してくれた。助けられたわ人たちは、海の女神の国で幸せに暮らすことになった。あっという間に一年が経ち、わ人たちは、海の上の国に戻って様子が見たいと、海の女神にお願いした。海の女神はこれを許し、すぐにわ人たちを海の上の浜辺に戻してくれたが、その土地はやはり灰に埋もれ住めるところではなかった。わ人達が困っている様子を見て、海の女神は今度は海岸に沿って北へ向かって進み、ずっと北にある大きな湖を囲んだ土地に行って、国をつくるように勧めた。わ人たちは海の女神の言葉通り、東の国を離れ、海岸沿いに北へ向かって旅をはじめた。」


「わ人たちは新しい海岸で貝を拾い魚を捕り、北へ北へと旅を続けた。長い旅の後、海の女神様の言葉通りの土地にたどり着いた。そこは向う岸が見えない程大きな湖を囲む地で、豊かな森にはシカやイノシシが群れる楽園だった。わ人たちはここが旅の目的地の北の国だったことを理解し、その地で幸せに暮らし始めた。それがこのわの村のある国だ。この島はいまでこそ海に囲まれていて、周りの陸地とは海で隔てられているが、昔は西や北の地と続いていて湖の周りをぐるりと囲んでいた、湖では大きなナマズが獲れた。湖のナマズは・・・」


村の古老のいつもの昔話を最後まで聞いている者は少なく、話の終わるころには村のほとんどのものは眠りについていた。

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