道標の星
島石浩司
第1話 出アフリカ
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約18万年前から続く「リス氷期」は、現在の平均気温より10度近く低い極寒の世界だった。極地を中心とした高緯度地域は数千メートルの高さの巨大な氷河で覆われ、ユーラシア大陸の大部分は、寒冷化と降水量の減少によって、ステップツンドラと砂漠で占められていた。その頃、ヨーロッパ南部に残存する針葉樹林の森では、40万年以上前から旧ホモサピエンスの傍系であるネアンデルタール人が居住していた。彼らは頑丈な骨格と太い手足を持ち、火を使いこなし、槍を持ち、氷原でトナカイやマンモスなどの大型獣を狩って暮らす最強の人類だった。一方、比較的温暖な東南アジアの熱帯雨林では、100万年以上前から原人であるホモエレクトスが居住し、森の中で果実や小動物を捕食して暮らしていた。そして、アフリカの草原では、寒冷化で獲物となる動物の数も限られた厳しい環境の中、剥片石器で作った槍をもつホモヘルメイ(旧ホモサピエンス)が、シカやウシの原種を追って暮らしていた。
その「リス氷期」の極寒の中の17万年前、アフリカで、ホモヘルメイから派生した現生人類(ホモサピエンス)が誕生する。ホモヘルメイが乾燥した草原の水辺に近い一定の場所で獣を狩っていたのに対し、誕生当時少数であったホモサピエンスは、細身の身体で俊敏に走りまわる特徴を持ち、行動範囲の広さを生かし、海岸に出かけて貝や魚を採集しはじめた。そして、長距離を移動する能力を生かし、遠くの土地へ出かけて、他の集団と剥片石器の材料となる黒曜石や装飾品となる貝などの交易をはじめていた。ホモサピエンスのこの広範囲の地理や状況を理解する能力は、多数の仲間を組織する社会性へと発展していき、情報を伝達する言語や、技術を伝える知識を発
達させていったと考えられる。
そして移動性と集団化で優れた現生人類(ホモサピエンス)はその数を増やしていき、数万年の後、ホモヘルメイとの生存競争に勝利することとなった。13.5万年前の厳寒期にはホモヘルメイは絶滅に追い込まれた。アフリカで唯一の人類となったホモサピエンスは、その後、東アフリカの草原で暮らす父系Y染色体遺伝子タイプAの集団と、西アフリカの森の暮らしに回帰していった遺伝子タイプBの集団へと分岐していく。この時期の現生人類の人口は一万人以下だったとされる。
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そして突然、長い極寒の氷期が終り、約13万年前から「リス・ヴュルム間氷期」の急激な高温化が始まった。これまでの寒冷乾燥とは真逆の、現在の平均気温より約3度も高い気温、氷河が後退し、海面が上昇し、降水量が増大するという温暖湿潤気候が訪れた。世界中で、ステップツンドラが針葉樹林に、砂漠が草原と湖へと劇的に変貌し、緑の森林や草原に獲物となるトナカイやマンモスなどの大型草食動物が群れをなす、肉食動物や人類にとっての楽園が出現した。
その奇跡的に訪れた豊かな環境の中、ヨーロッパ南部の森に居住していたネアンデルタール人が、トナカイやマンモスの群れを追ってユーラシア大陸北部まで、居住地を拡大していく。アフリカ北東部の草原に住む現生人類(ホモサピエンス)も、草原にあふれるシカやウシの群れを狩って数を増やしていった。そして現生人類は、アフリカ大陸だけでなく、ユーラシア大陸への進出を目指して「出アフリカ」を試みることになる。
現生人類の一回目の「出アフリカ」は、奇跡の高温化から1万年過ぎた約12万年前に起こった。その頃、アフリカ北東部の草原で獲物となる動物を追っていた現生人類は、アフリカ大陸の外の北方に広がるレバント地方(地中海東岸地域)にも草原があり、獲物となる動物がいる事を発見する。この高温化の後の特別な期間を除けば、レバント地方は常に砂漠で覆われており、人類が居住できる場所ではない。つまり現生人類にとって、この高温期の後の期間は、北ルートでアフリカ大陸からユーラシア大陸へ脱出できる唯一のチャンスだった。そこに広がる草原や森には、現生人類以外の旧人類も居住しているはずで、現生人類が侵入すれば、それらの旧人類との遭遇・抗争を避ける事は出来ない。それでも現生人類は集団が必要とするより多くの食糧を確保するために、アフリカ大陸の外に広がる草原に獲物を求める必要があった。そして、かなりの躊躇の末に現生人類は、ナイル川河口付近から紅海北岸を通り、レバント地方に広がる草原に進出していった。
現生人類が進出していったレバント地方の草原には、幸運なことに、強敵となるネアンデルタール人がほぼ不在だった。ネアンデルタール人はこの高温化の時期にマンモスなどの大型草食獣を追ってユーラシア大陸を北上し、ヨーロッパ中南部から中央アジア、シベリアまで居住を展開していた。その隙をついて、レバント地方に首尾よく侵入したホモサピエンスは、草原を機敏に走り回り、シカやウシなどの小型草食獣を待ち伏せて槍で突き食糧を確保することができた。こうして現生人類は、豊かな草原や森の広がる中東地域から中央アジア方面にまで進出していった。
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奇跡の高温化から数万年が経過し寒冷化が始まる。約10.5万年前には現在の平均気温より7度も低い寒冷期が訪れた。レバント地方も着実に寒冷乾燥化し、森は減少し草原は砂漠へと回帰し、獲物となる動物も減少していく。しかも、ホモサピエンスにとって不運にも、温暖化の時期にユーラシア大陸を北上していたネアンデルタール人が、寒冷化により、中東・レバント地方へ再び南下してきた。現生人類はレバント地方の草原に戻ってきた強敵ネアンデルタール人と遭遇する事になった。身体が大きく力が強いネアンデルタール人にとって、ホモサピエンスは獲物を横取りしようと進入してきたひ弱な猿としか見えなかっただろう。ネアンデルタール人との生存競争に敗れた「出アフリカ」の現生人類の集団は、9万年前の極度に寒冷乾燥化した時期に、砂漠地方で絶滅の時を迎える。
現生人類の2回目の「出アフリカ」は、寒冷乾燥化が一段落した約8.5万年前ごろに起こった。その頃、遺伝子タイプAのホモサピエンスは、現在のエチオピア周辺の草原で少なくなった獲物を追って暮らしていたが、一部の集団が草原で獲物を捜すよりも、海辺で貝や魚を獲る方が効率的である事を発見し、アフリカ北東部の海岸で生活を送ることを選択した。遺伝子タイプAのホモサピエンスは海岸で貝を拾い集め、海に潜って銛(もり)で魚を捕ることで食料を確保しはじめた。狩猟から漁労採集へと生活を変化させることで、食料事情が安定した現生人類の集団は人口を増加させていき、新たな海岸を求めるようになる。
そしてある時、現生人類の集団は、アフリカ大陸からほんの少し離れた対岸のアラビア半島にも豊かな海岸が続いている事に目をつけ、対岸に渡る事を決断した。現生人類は、1回目のナイル川河口付近からの北ルートではなく、今度はアフリカ北東部の「アフリカの角」付近からの南ルートをとり、寒冷化で水深が浅くなった紅海南岸を徒歩で渡り、アラビア半島の南海岸へと進出していった。幸いなことに、そこには現生人類にとって強敵となるネアンデルタール人は不在であり、アフリカで絶滅したホモヘルメイや旧人類のホモエレクトスと遭遇しただけだった。現生人類は、その新天地で漁労採集の生活を始める事となった。
この2回目の「出アフリカ」を果たした遺伝子タイプAの現生人類集団は、中東付近で遺伝子タイプをC,D,E,Fへと変容させていく。そしてその後も、新たな海岸を求め、数万年をかけて海岸沿いに東へ歩みを続け、アラビア半島から西アジア、南アジア、スンダランド(東南アジアからボルネオ、インドネシアを含む大陸)、サフールランド(ニューギニア島やオーストラリアを含む大陸)へと進出していく。これらC,D,E,F系統の現生人類の集団は進出した新たな海岸での漁労採集で繁栄していったが、やがてユーラシア大陸の内陸部に豊かな草原や森が広がり、獲物となる動物が群れているのを発見する。そして現生人類の集団のかなりの部分が、海岸での漁労採集から森や草原での狩猟へと回帰し、内陸部へ移住しユーラシア大陸を北上していった。C系統の集団はユーラシア大陸の北へ、D系統の集団は東へ、そしてF系統の集団は南へ進出していく。E系統の集団は西に向かい中東地域からアフリカへ引き返していったと考えられている。C系統D系統の集団は、4万年前にユーラシア大陸東端の(その頃は大陸と地続きの)日本地域にも到達している。
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