第19話 百余国の時代

五十年の時が過ぎた。ワヒ国の二代目の長ヒカとニキも、マツラ国の女王とマサも既に亡くなり、ヒカとニキの子孫のニカが四代目の長となる世代となっていた。その間、ヤマタイは攻めてこようとはせず、ワヒ国にとってほぼ平穏な時代が続き、人々は戦いのないことを感謝していた。


旧わの国から逃れてきた男の話では、ヤマタイが占領する旧わ国の地には、西の海の向こうの「伽耶」という地から新しいそと人の部族が次々と上陸してきていた。わ国を占拠し、わ人達を奴隷として暮らしていたていたヤマタイ達は、この新来のそと人の部族の対応に手を焼いていた。ヤマタイにとって、このそと人達は西の半島の地で見知っていた部族だったので、初めから敵として追い払うわけにもいかない。とはいえ、折角手に入れたこの地を、簡単にこの新来の部族達に譲るわけにもいかなかった。初めのころは、新来のそと人達はヤマタイの指図に従って、指示された土地に移って国を造っていた。しかし徐々に、渡来するそと人達の数が多くなり、ヤマタイの数を上回るようになると、新来のそと人達は、ヤマタイの指示に従わないようになった。


そしてついに、新来のそと人達とヤマタイとの間に争いが起こり始めた。数で劣るヤマタイは旧わの国の地から撤退し、南のヒタ国やヒムカ国に移動する事になった。それが最近、ヤマタイがワヒ国に攻めてこなくなった原因らしい。


マツラ国の女王が言っていたように、西の大陸の北方にある小さな半島は寒く稲が育ちにくい。その地に数多くの部族が密集し、土地をめぐる争いが年中続いていたらしい。そこで、ヤマタイが海を渡った新たな地で豊かな暮らしをしていることを聞きつけ、ヤマタイに続くように、多くの部族が旧わの国を目指したのだろうという事だった。ヤマタイの占領地に到着した新しいそと人の部族の名は「倭(イ)」というらしい。ヤマタイも「ヤマト倭(イ)」が語源であり、半島では、倭人の一部族だったらしい。


新たに渡来してきた倭(イ)人たちは、数多くの部族に分かれていたが、その中で中心的な地域に国を造った部族がいた。その国の名を「イト」といった。これはイ族の都(ト)という意味と考えられる。この国は倭族達の代表として、西暦57年に後漢に使者を送り、光武帝から「漢委奴国王(かんのいどの国王)」印を授けられ、倭の地を収める国として認定される事になった。新来のそと人達は、ヤマタイの指示に従わず、このイト国の指示に従うようになっていく。


ワヒ国では、その後、倭族のうちの幾つかの部族が、ワヒ国の地の近辺まで近づいてきた事があった。しかし、ワヒ国の多くの兵が守る堅固な砦の構えを見て、敢えて攻め込もうとすることはなかった。ワヒ国の人々はこれらの新来の倭人達の諸部族と共存する道を選び、交易を行い、常に友好関係を保つことを心掛けていた。


行き来を始めた倭(イ)人達の部族で話を聞くと、倭族は祖先によって二つの系統に分かれていて、ひとつは、西の大陸でも一二を争う有力な国だった呉の子孫の部族。その呉に一度は敗れたがその後、呉に勝利し滅ぼした越という国の子孫の部族。呉の子孫の部族は赤い旗、越の子孫の部族は白い旗を掲げる。だから、この倭族たちの部族が戦うときには、赤の旗と白の旗を掲げた部族が戦うことが多い。戦いを避けようとする部族は、赤と白の布をつなげて旗にしているという。確かにマツラ国は赤い旗、ヤマタイは白い旗を掲げていた。


このような状態で、九州の地は、数百年前に渡来していた呉人達、次に渡来した越人達の倭人の諸族により混雑を極め、百余国の国がつくられる状況となっていた。


「漢書地理史魏志倭(い)人伝」は、この頃のわ国の状態を、次のように記している。

「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。・・・

又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。・・・

東南陸行。五百里。伊都国に到る。・・・千余戸有り。・・・

東南、奴国に至る。百里。・・・二万余戸有り。・・・

東行、不弥国に至る。百里。・・・千余家有り。・・・

南、投馬国に至る。水行二十日。・・・五万余戸ばかり。・・・

南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。・・・七万余戸ばかり。・・・」(倭人とは何かP117)




参照


伽耶(かや、伽倻または加耶とも)加羅(から)または加羅諸国は、3世紀から6世紀中頃にかけて朝鮮半島の中南部において、洛東江流域を中心として散在していた小国家群を指す。加羅地域にヤマト朝廷から派遣された倭人の軍人・官吏、或いはヤマト朝廷に臣従した在地豪族が、当地で統治権・軍事指揮権・定期的な徴発権を有していたとする説もある。 倭国の半島での活動については、『日本書紀』『三国史記』など日本、中国や朝鮮の史書にも記されており、3世紀末の『三国志』魏書東夷伝倭人条には、朝鮮半島における倭国の北限が狗邪韓国(くやかんこく)とある。または「韓は南は倭と接する」とある。・・・

日本列島での事例が大半である墓形式の「前方後円墳」が朝鮮半島でも幾つか発見されている。朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉に成立したもので、百済が南遷する前は任那であり、金官国を中心とする任那の最西部であった地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物、遺構をともなう。そのほか、新羅・百済・任那で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土(高句麗の旧領では稀)しており、朝鮮半島にはヒスイ(硬玉)の原産地がなく、東アジア地域においても日本とミャンマーに限られることや、化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明したことなど、倭国との交易、半島における倭国の活動などが研

究されている。                      (Wikipedia伽耶)


(奴国は)弥生時代にかつて存在した倭人の国で、現在の福岡市や春日市など福岡平野一帯を支配していたとされる。領域内には那珂川と御笠川が流れ、弥生時代の集落や水田跡、甕棺墓などの遺跡が各所で確認されている。また文献上に現れる最古の国家でもある。 倭国が後漢と外交交渉をもったのは、以下の史料が示すように倭奴国王が後漢の光武帝に朝貢したのが始まりである。議論があるものの倭国王帥升が朝貢したとする説があり、その後奴国に代わって邪馬台国が魏の皇帝に使者を派遣した。

『後漢書』東夷伝によれば、建武中元二年(57年)後漢の光武帝に倭奴国が使して、光武帝により、倭奴国が冊封され金印を綬与されたという。江戸時代に農民が志賀島から金印を発見し、倭奴国が実在したことが証明された。・・・

その金印には「漢委奴國王」(かんのわのなのこくおう)と刻まれていた。刻まれている字は「委」であり、「倭」ではないが、委は倭の人偏を省略することがあり、この場合は「委=倭」である。このように偏や旁を省略することを減筆という。金印については「漢の委奴(いと・ゐど)の国王」と訓じて委奴を「伊都国」にあてる説や、匈奴と同じく倭人を蛮族として人偏を省略し委奴(わど)の意味とする説もある。 建武中元二年(57年)、倭奴国は貢物を奉じて朝賀した。使人は自ら大夫と称した。倭国の極南界なり。光武は印綬を賜った。また、安帝の永初元年(107年)に倭国王帥升らが奴隷百六十人を献上し、朝見を請い願った(後漢書東夷伝による)                               (Wikipedia奴国)


*内藤文二 歴史公論第五巻第二号(昭和十一年)「漢倭奴国王」は「漢のヰドの国王」「奴」は「人」、従って「倭奴国」も「倭人国」も「倭国」も同じ。(倭人とは何かP120)


*内倉武久https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12033071294.html

NO.11 魏志倭人伝の「読み」は間違っていないか

「倭奴国」正しくは、「ヰド国」と読まなければならない。「ワのナ国」という読みは『魏志倭人伝』など中国史書の読み方としては有りえない読みである。

この内倉武久氏の説によれば、1784年博多湾の志賀島で発見された「漢委奴国王印」は、紀元後52年頃に、倭奴(いど)国が後漢に朝貢したときの物とされるが、その読みは、「かんのわのなのこくおうのいん」ではなく、「かんのいどのこくおうのいん」という事になる。


*「委奴」を「いと」と読み、「漢の委奴(いと)の国王」とする説 - 藤貞幹、上田秋成、青柳種信、福岡藩、久米雅雄、柳田康雄など。「委奴の国」を『三国志』「魏書東夷伝倭人の条」の伊都国に比定する。中国の古代の印章のなかに「民族名+国名」の構造をもつ印章実例を一つも見いだしえないことは、通説「委」の「奴国」説の克服すべき難点であるとされている。    (wikipedia漢委奴国王印)


*紀元後一世紀には、朝鮮における倭と日本列島に存する倭人が相通じていて。倭語がある程度通用していた可能性がある。        (倭人とは何かP108)

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