第21話 ヒムカ族


秦人達の侵攻により国をなくしたワヒ国の人々は、ヒタ国の地で暮らし始めた。ヒタ国の人々はワヒ国の人々を同族として迎え入れた。しかし、山での暮らしは、根菜・果実・木の実そして狩猟であり、海で魚や貝を取ることができない不自由なものだった。特に冬は少ない獲物、冬眠する熊まで捕りつくす厳しいものだった。ワヒ国の三代目の長ニカの子トカは、ニカから「生き延びてわ族の人々を守れ、そして、先祖がこの新しいわ国を作ったように、どこかの地で新しいわ国を作れ」と告げられていた。ニカはヒタ国の長にもこのことを伝えていた。


その年の厳しい冬が明け、雪が溶けだしたある日、ニカは、ワヒ国の人々を集めてこう言った。

「私は新しいわの国を造るため、南に向かい海のある新たな地を探したいと思う。危険な道だが、私と共に行きたいものは、三日後に集まってくれ。」

ヒタ国の長もこういった。

「ワヒ国とヒタ国は同じわ人、これからもこの地にとどまってほしい。ヒタ国の長としてお願いする。だがどうしても海の近くで暮らしたいという人を止める事は出来ない。それでも、ワヒ国とヒタ国はこれからも一心同体だ。」


三日後、ワヒ国の四代目の長トカは旧ワヒ国のわ人達五百人を率いてヒタ国を出発した。ヒタ国の人々は、見えなくなるまで見送ってくれた。峠を越えたわ人達は、熊よけと自分たちが他の村人に危害を加えないというしるしの歌を歌いながら山の中を進んでいく。


イエーーーー、イエーーーー

南風が吹いて暖かい日だ、  お日様も出て花が咲く

こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす

イエーーーー、イエーーーー

北風が吹く寒い日だ、  お日様が隠れて雪が降る

こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす

イエーーーー、イエーーーー


幾つもの山を越え、谷を越え、煙を噴く大きな山を西に回り、さらに幾つもの峠を越えて南へと向かい、一行は数日かけて西側の開けた土地に到着した。クマ族の集落が見えて来て安堵した一行は、集落に出向いたが、クマ族の人々は、秦人達に敗れ国を失ったわ族の人々を快く迎えようとはしなかった。以前は歓迎してくれたクマ族の集落の長たちも、手のひらを反すように、一行に冷たい対応をした。クマ族の長に取り次いでもらう事も、出来ないと断られ、ただ早く立ち去るように言われた。


仕方なく一行は、クマ族の地を離れ、山奥に入り山の果実で飢えをしのぎながら、幾つもの険しい山を越えてさらに南に進んでいった。一行の向かう先の空には、道標の星といわれる南の中天に輝く大きな星が、色を変えるようにキラキラと輝いていた。


イエーーーー、イエーーーー

南風が吹いて暖かい日だ、  お日様も出て花が咲く

こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす

イエーーーー、イエーーーー

北風が吹く寒い日だ、  お日様が隠れて雪が降る

こんな日にあなたと一緒なら、幸せ幸せ、笑いだす

イエーーーー、イエーーーー


わ人達の熊よけの歌声はいつもより悲しげに聞こえた。わ人達は更に南に向かって、何日も何日も、山奥の人も住まない地の崖や谷を這うように進んで行った。


こうしてヒタ国を出て半月もたった頃。行く手に、ひと際大きな山が見えてきた。その麓は切り立った崖の続くけもの道もない難所だった。行き止まりの深い谷を引き返し、南に向かい急な坂を登りきったとき、山に隠れるように集落があった。その家々はわ人たちが見慣れた藁ぶきの竪穴式住居で、ここに住んでいるのはそと人ではないと思われた。わ人達に気付いた男達が槍を持って出てきたが、わ人達が戦う意思がないことを示すと、男達は槍を下ろし、話を聞いてくれた。長のトカが、一行はここからひと月もかかる北の浜から来たわ族で、そと人に国を奪われ、南の浜に行くために旅をしていると説明した。


ここに住む人達はヒムカ族で、そと人のヤマタイにヒムカ国を奪われ、この地に逃れてきたという。ワヒ国から来たわ人達もヤマタイと戦った事を説明すると、ヒムカ族の人達はわ人達を客として迎え入れ、食事を出して歓迎してくれた。


ヒムカ族の人達は、ヒムカ国を奪ったヤマタイについて詳しい話をしてくれた。

ヒムカ国にヤマタイが初めに来た時、ヤマタイはヒタ国の人々を連れていた。ヒタ国の人々は、ヤマタイは良い人達で、良い稲の育て方を教えてくれるといった。それで、ヒムカ国の人々は、ヤマタイを受け入れることにした。しかし、時が経つにつれてヤマタイの兵が多くなり、ついにヤマタイの王はヒムカ国の王となり、ヤマタイの命令に歯向かったヒムカ国の人々は次々と捕らわれ、殺された。ヤマタイの王はヒムカ国の人々を奴隷のように扱い、女達を召使いとして連れていくようになった。


ヒムカ国の王となったヤマタイの王が死んだとき、大きな山のような墓がつくられ、多くのヒムカ国の男女が生きたままその墓に埋められた。ここに住むヒムカ族の人達はそれを見て、ヤマタイの兵に捕らえられるところを逃れ、この山奥まで逃げてきたという。



倭族に追われてヒタ国へ移動していたヤマタイは、さらに南へ進出し、温暖で稲がよく育つヒムカ国に中心を置き「邪馬台国」として繁栄していった。ヤマタイを含む倭(イ)族には、王が死ぬと大きな墳墓を作り、その地の奴隷や馬を道連れにして埋めるという「殉死」という風習があり、そのため、王が死ぬたびに奴隷や馬の数が減少することになった。が、ある王が知恵を働かせ、王が死ぬたびに奴隷や馬を殺す事をせず、人口を増やしたいと考えた。そして奴隷や馬の代わりに土器で作った埴輪を墳墓に埋めるという工夫を始めた。これには、約二百年前の秦の始皇帝の墓の兵馬俑の伝聞があった可能性がある。こうして、時代が進むにつれて、ヒムカ国のヤマタイは繁栄し、人口は7万人を超えてゆく。



わ人達は数日間、ヒムカ族の人達の世話になったが、豊かではないこの地に長く世話になる事は出来ず、ヒムカ族の人達に礼を言って、大きな山の西に向かい、さらに山の向こうの南の地を目指すために出発した。ヒムカ族の人達は途中まで道を案内してくれた。

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