一章 再会
一章1
七年ぶりに叔父と姪に会う。
田舎生まれ田舎育ちの俺は今日から晴れて、中枢都市であるクルチョワに住まうことになった。
クルチョワの高等学校に進学するのをきっかけに、移住することになった。
クルチョワには母の兄であるエモン叔父さんと、叔父さんの娘で姪のアイレスが住んでいる。
母が事前に知らせを送ったそうで、駅の外で迎えがあるという。
その駅までは、もうほんのわずかだ。
六時間にも及ぶ列車の旅も、それで終わりだ。
車窓を流れる風景もずいぶん都会じみてきた。
背の高い建物がひしめいている。俺の住んでいた田舎では車窓から奥の山まで見えたのに、建物に遮られてどこまでが街なのかわからない。
あまりの文明格差にちょっぴり落ち込みながら、荷物棚からどっしり重たい旅行鞄を下ろして下車の準備をする。
列車が速度を緩め始めた。車窓から駅のプラットフォームが見える。
列車が気の抜けるような蒸気を噴き出す音が聞こえ、すっと停車した。
車内の人が次々に荷物を抱えホームに降りていく。それに続いて俺も七年振りのクルチョワ駅のホームに降り立った。
駅員に切符を渡して改札を抜け、人の流れの中を駅の出口へ歩いた。
やっと駅の外に出られ、うんと伸びをしてちょっとした解放感を味わう。
「ああ、ふう」
思わず吐息が漏れた。
歩き出そうとした前方の道路の反対側で、誰かが俺に向かって手を振っていた。
道路を渡って、その誰かが近づいてくる。
「いたいた、ガーゼル」
肩までのダークブラウンの髪に青のカチューシャをつけ、チェック柄でマリンブルーのワンピースを着た少女が、気兼ねなく俺の名前を呼ぶ。
間違いなく姪のアイレスだ。七年前以来の再会だ。
「遠くて大変だったでしょ」
彼女はにこやかに言った。
「六時間だからな、列車の中で暇してたよ」
「もっと便利になればいいのにね」
「そうだな」
俺は頷き、今頃エモン叔父さんが迎えに来ていないことに気付きアイレスに尋ねる。
「迎えはお前一人か? エモン叔父さんは?」
アイレスは少しまごついたが、次には笑っていた。
「お父さんは仕事で来れないの」
「そうか、なら仕方ないな」
「それよりこっち来るの七年ぶりだものね、あたしの名前覚えてるかしら?」
彼女は試すように聞いてきた。
七年ぶりでもそれくらいは覚えている。
「アイレスだろ。アイレス・フェルナンド」
「うん、当たってる。覚えててくれたんだね」
これだけのことで喜んでくれている。
つま先立ちになってアイレスは自分の頭からひさしのようにして手を浮かせ、俺の頭の高さまで上げる。
「背が高くなったのね、前はあたしと大差なかったのに」
「すごい伸びた時期があったからな、とはいえそんな大きいわけじゃないよ」
「あたしが小さいのかな?」
「そんなことはないだろ。村にお前より小さい女性、結構いたぞ」
なんだぁ、とアイレスはほっとしてみせて、ごにょごにょと呟く。
何か言ったようだが、聞き取れなった。
「どうした?」
尋ねるが首を横に振る。
「ううん、なんでもない。それより早速案内するわ。」
「頼んだ」
アイレスに案内されて、俺は七年ぶりのクルチョワの街に踏み出した。
これから俺の住まわせてもらう住居となる彼女の自宅へと向かいながら、ぶらぶら大通りを案内される。
ふとアイレスが立ち止まった。
「ガーゼル、そこ寄りましょう」
アイレスが何かを指さした。その先には幾つかのパラソルの下にそれぞれテーブルと椅子を置いたカフェテラスがあった。
「いいけど、急にどうして?」
「だってガーゼル、さっきから鞄を頻繁に持ち替えてるでしょ。一休みしたほうがいいかなって思ったのよ」
アイレスは平然と言った。
よくわかったもんだ。きっと気を遣ってくれてるんだな。
だが俺は非力な男と見られたくない。
「大丈夫だよ、これくらい軽いよ」
「……無理しなくていいわよ」
「無理なんてしてない」
「休んでいきましょ」
「大丈夫だ……」
「休んでいきなさい」
突然語調を変えて、有無を言わせない不機嫌な表情で睨む。
俺は渋々アイレスが指さしていた、いかにも値の張りそうなカフェに入った。
田舎じゃお目にかかれないウェイトレスに注文したほかほかのコーヒーを持ってきて
くれた。俺達は窓際のテラス席に腰かけて楽しく談話する。
腕が鞄の重みから解放されて、楽になった。
「七年ぶりだけど覚えてる建物ある?」
聞かれて俺は辺りを見回す。
「うーん、ほとんど覚えてない」
というか建物が建物に遮られて手前の建物しか見えない。
「クルチョワも七年前より近代化したからね」
「これからここで暮らすんだからな、俺は早く慣れてかないとな」
「この街、人が多いわよ」
「ほんと世界が違う」
通りでは常に人が歩いてるんじゃないかってくらい往来が激しい。俺の田舎じゃ考えられない。そもそも人より家畜の方が多いんじゃないかってくらいだからな。
「ガーゼル心配だなぁ」
俺を見て悪戯っぽくニヤニヤして、アイレスが言った。
「あたしが手を繋いでいないであげてないと、迷子になっちゃいそうで」
「俺は母親と人混みに入った子どもか」
「じゃあ迷子にならようにして」
「ならねぇよ」
「まあ、頑張んなさい」
楽しげにアイレスは笑った。
七年の隔たりを感じない和やかな会話に、俺も自然と笑みがこぼれた。
「ところでさ」
アイレスが切り出す。
「向こうでの生活は楽しかった?」
「向こうか、どうだったかなぁ」
村での生活を思い出してみる。
交通や物を買うのにはとても不便したが、それが当たり前になっていたから苦でなかったし、父も母も優しかったし、そう考えると悪くなかった。
「まあまあ楽しかったかな」
「それなら良かった。じゃあ叔父さんも叔母さんも元気にしてるの?」
「おう」
ほっとしたようにアイレスは微笑した。
俺は溜息を吐く。
「父さんも母さんも歳をとらないんじゃないかってくらい元気だよ。俺よりも活力に溢れてる」
「はは、変わってないんだね」
七年前を思い出しているのか、アイレスは苦笑い。
七年前に家族でクルチョワに訪れた時、両親が派手に着飾っていて悪目立ちしていたのが、今では笑えて懐かしい。
「ガーゼル」
「なんだ?」
「あの……」
やけに緊張した面持ちで、口をもごもごさせてから開く。
「あっちで誰か、仲良くしてた人とかいたのかしら?」
「ああ」
「もしかして女の子?」
身を乗り出して聞いてくる。
なんでそんなに食いつく?
「女の子ねぇ、あいにくいなかったな」
「そうなの、安心した」
乗り出したアイレスが身体の力が抜けたように席に戻る。
俺が女の子と仲良くしていないことの何が安心なんだ?
アイレスは俺の目線に気付いたのか、慌てて手を前に出して首を振る。
「私の知らない女性から変な郵便物が届いてこないか心配だったから聞いたのよ。一年前ぐらいの王室小包爆弾事件で面識のない外交官の名義で届いた小包に爆弾が仕掛けられていたなんてことみたいなのは嫌だもの」
「そんな事件があったのか、知らなかった。物騒だな」
例えに大事件っぽい作り話を挙げるなんて、よく思い付いたな。
俺が興味を示さず通りを見てコーヒーをすすると、テーブルに載せていた左手の甲に突然火傷するような痛みを感じて、
「あつっ!」
熱さから逃れようと、俺はその手をテーブルから振り上げた。
「話ぐらい聞きなさい!」
カップを叩きつけるように置いて、アイレスが怒鳴った。
見るとアイレスのカップのコーヒーのかさが目減りしている。どうやら俺の手の上に熱々のコーヒーをぶっかけたらしい。
「火傷したらどうするんだよ」
俺はジンジン痛む左手の甲を右手で包んで優しく擦り、アイレスを睨みつける。
負けじと睨み返してくるが、しばらくしてアイレスの目に不安が現れた。
「ごめん、ガーゼル。ついカッとなっちゃったわ」
首をすくめさっきとは対照的に、弱弱しく顔を伏せる。
俺は毒気を抜かれてきつく責めるのはやめにした。手の甲が少しでも冷めるよう息を吹きかける。
「怒らないの?」
「俺がお前の話になおざりな態度だったのもいけなかったからな。だからってあつあつのコーヒーを浴びせるのはどうだか」
「許してくれるの?」
「次はダメだからな」
念のため釘は刺しておく。気に障っただけで毎回、こんな仕打ちを受けていたら俺の身は一年ともたない。
「カッとならないよう気をつけるわ」
カッとならないように気をつけるんじゃなくて、カッとなった時の行動を気をつけて欲しい、そう思った。
その後しばらく、アイレスはおとなしく黙々とコーヒーをすすっていた。
喋るなとは言ってないんだけど。
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