五章3

 

 根元周辺の落ち葉を掻き分けて掘り返した跡を探す、怪我をするようなことはないが樹木はおそらく何百本とあるだけに易々と見つかるものでもなく、もうどれくらいこうしているか見当もつかないし、終わる見通しも立たない。

 大息したくなるほどの疲れも出始めた頃、中央辺りに立った木周辺の落ち葉を掻き分けると、今までとは異質な地表が覗いた。

 そこだけ土の色が褐色ではなく黄色っぽいのである。

 ついに見つけた、と喜ばしい気持ちで俺は黄色っぽい土をむさぼるように掘り返した。

 指が硬い何かに当たる。磁器のような白い物が見える。

 俺はその白い物の周りを掘り進めて、やがて全体が明らかになった。

 なんで?

 言葉を失った俺の脳内に、そんな疑問が湧いた。

 白い物、それは犬が好んで齧るような軟骨部分が端についた骨だ。いわゆるスペアリブというやつだ。

 まさか男の子が探し物が、犬の齧った骨ではあるまい。

 この作業も終わると、内心喜んだのが恥ずかしい。

「仕方ない、次だ」 

気を落とししつつも骨はその場に捨て置き、俺は隣の木の根元へ移動した。

「やったわ!」

 と、その時唐突にアイレスの歓声が聞こえた。

 俺は驚いて振り向き本物か、と尋ねてしまう。本当か、ではなく。

「なによ、これ」

 土を掻き出しながらアイレスが、腹立たし気に言った。そして俺に不満そうな顔を向ける。

「ガーゼル、ちょっと来て手伝いなさい」

 俺はうんざり溜息を吐いて、アイレスに近寄る。

「一人で掘り出せよ」

「思ってたより大きいのよ、これ」

 そう不機嫌に言ってアイレスが指さした地面を見ると、平坦な黒い物が埋まっていた。

 その全体は掘り進めないとわからないが、見えた部分だけでも俺が両手の指を広げて並べたくらいあり、それなりに硬そうでもある。

「なんだろうな、これ?」

「あたしが知ってるわけないでしょ。ほら、掘るの手伝いなさい」

「見つかったんですか?」

 左手の方を探していた男の子が、俺達の会話を聞きつけたのか嬉しそうに駆け寄ってくる。

 探し物の現物を知っているはずである男の子に、俺は尋ねる。

「君が探してるのって、どんなもの?」

「かんだよ、いろんな大切なものが入れてあるんだ」

 男の子の言う『かん』とはきっとブリキ缶のことだろう。間違っても弾薬の部品である信管であるはずがない。

「ブリキ缶か、じゃあこれは違うみたいだな」

 そう確信して黒い物を掘り出す必要がなくなった俺は、持ち場に戻るためと立ち上がろうとすると、

「待ちなさい」

 と俺の服の裾を掴んでアイレスに留められた。汚れた手で服に触らないで欲しかった。

「なんだよ」

「これ、掘り出すから手伝いなさい」

 黒いブリキ缶など見たことがない俺は、またも男の子に尋ねる。

「探しものの缶は何色なんだ?」

 銀色だよ、と答える。

 ということはこの黒い物を掘り出す理由はないわけだ。

「聞いたかアイレス、銀色だってよ。これを掘り出す必要はないぞ」

 しかしアイレスは、頑として首を横に振る。

「ダメ、絶対に掘り出すわ。あたしの探偵としての心が騒いでるのよ」

 探偵としての心というか、ただの興味ではないか。他人を巻き込まないでくれ。

 俺が異議を唱えようと口を開きかけると、アイレスがその口を封じる勢いで手のひらを突き出してきた。

「異論は認めないわ。探偵の仕事を手伝う条件でなんでもする、と言ったのはあんた自身でしょ」

 俺は二の句が継げなかった。ここでそれを出すか。

 あの時宣言した手前どうしようもなく、俺は嫌々手伝うことにした。

 俺が黒い物の前に屈むと、満足げによろしいとアイレスが頷いた。

「でもこれ、どうやって掘り出すんだ?」

「そうね、とりあえずこのブツの全体を知りたいわね」

 そう言うとアイレスが掘った穴を広げようと土を掻き出し始めた。俺も倣い反対側に掻き出す。

 そうして俺とアイレスは、徐々に穴を広げていく。

 人の足の長さぐらいに面積が広がると、ついに黒い物の末端まで掘り進んだ。

 アイレスも同じく末端に行きつき、これで黒い物の全体が明らかになった。

 俺は黒い物を改めて眺めると、思わず目を見張った。

「トランクだわ」

 アイレスが俺の見間違いでないことを裏付けるように言った。

 土から姿を現したのは、黒革のトランクケースだ。何故こんな落ち葉の下の土に埋めてあったのだろう。

「ガーゼル、このトランクを抜き出せるかしら?」

「やってみるよ」

 持ち手周りの土を掻き出してえいさっ、と掴み上げる。

 大きさから想像するほど重量もなく、楽々土から抜き出せた。

「やったあ」

 謎トランクに関心はなく、隣の木の周辺で土を掘り返していた男の子が喜びを叫んだ。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、見つかったよ!」

 男の子が俺達に向かい満面の笑顔を浮かべ、小ぶりなブリキ缶を掲げて見せてくる。銀色の缶の表面には所々湿った土がこびりついている。

「あら、よかったわね」

 アイレスが男の子を振り向き、優しく微笑みかける。

「次からは自分でわかる場所に埋めなきゃダメよ」

「うん、わかった。お姉ちゃん、お兄ちゃん手伝ってくれてありがと」

 男の子はブリキ缶を両手に挟んでお辞儀すると、元気に茂みの外へ駆け出していった。「さて」

 男の子の後ろ姿を見送ったアイレスがトランクに向き直って、いつにも見ない聡明な目つきで呟いた。

「探偵の仕事に戻りましょうか」

「もとより俺達はそのために外出してるんだろ」

 俺が指摘すると、アイレスは意味がわからぬごとく肩をすくめる。

「これがあたしの捜査のやり方よ」

「子どもに手助けするのがか?」

「それとこれとは全く別よ、でも今回に関してはいかにも怪しいブツがおかげで出てきたじゃない」

「怪しいブツって、このトランク?」

「そうよ」

 アイレスは土から引き上げたトランクを指さす。

 これが怪しいブツ? 俺は首を傾げ、

「このトランクが事件とどう関係するんだよ?」

「確実ってわけではないわ。でも公園の茂みにトランクが埋めてあるなんて、まるで誰かが隠したみたいじゃない。しかも、クリスがラビアン・ドレスは大きいトランクを持っていたって証言したもの、きっと何か関係あるわよ」

 アイレスの意味深長な言葉に、俺は猛烈な衝撃に打たれる。

 まさか?

「アイレスお前、トランクが埋まっているのを知っててこの公園に来たのか」

 アイレスはふふっ、と気軽に笑って、

「まさか、そんなわけないでしょ」

 と急に澄ました顔になって言った。

 俺は呆れて頭が痛くなったような気がした。

 でも、と彼女は補足する。

「お父さんが言ってたわ。気になったものはとことん調べるべきだ、ってね」

 そうか、エモン叔父さん台詞に準じたら、アイレスの行動も間違いではないのだろう。現場になかったものは普通なら調べる気など起こらないが、名探偵は捜査方法が根本から他人と異にしているらしい。

「そういうわけだから、この怪しいトランクを開けてみましょう」

 アイレスはそう言ってトランクに目を落とすが、行動に移そうとしない。

 突然に俺を振り向き、不満そうに眉を寄せて睨んでくる。

「何、ぼおっとしてるのよ。あんたが開けるのよ」

「ええっ」

 なんでだよ。怪しいと思うのなら自分で開けろよ。

「は・や・く」

 きっととねめつけられ、俺は渋々トランクの前に屈み込んだ。

 そしてスナップ錠に載った土を手で軽く払い落とし、指を引っ掛けロックを外した。締まりが緩くなるのがわかり、蓋を持ち上げる。

黒トランクの中身に、俺はたまらず息を呑んだ。

 アイレスもトランクの中身を覗き込む。

「やったわ……」

 しばらく呆然としていたが、やっとアイレスが言葉を発した。

 やったわ。

 彼女のこぼした言葉の意味を正しく理解できたかはわからないが、犯人に結び付くものであることは頷けた。

 黒トランクの中身は、ぐちゃぐちゃに仕舞われた血痕があちこちに付着した厚手のコートとその上に放り捨てたように置かれた長い金髪のウィッグ。どちらも犯人の特徴を示す代物だ。

「この証拠は事件の根幹が、揺らぐほど重大よ」

 アイレスはコートを広げてそう言うと、ほくそ笑んだ。

 俺も頷く。確かにこの証拠によって犯人像が一変した。

「ガーゼル、トランクごと警察に持ってくから着いてきなさい」

 コートをトランクに仕舞い直すと、切迫した声でアイレスは俺に指示する。

錠を再び締めてトランクを携え、俺達は急ぎ足で茂みを抜け出した。

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