四章3

「次はヤングさんを訪ねるわよ」

 フリデル行きの列車の座席でアイレスは言った。そして警部を見る。

「アレックス、中々良い演技だったわ」

 褒められて警部は満足げに、鼻息を噴きだす。

「ふふ、やってみるもんだな。潜在していた才能が花開いたぜ」

 警察の役を演じる警察。もはやそれは演技ではない。

 俺がつくづく馬鹿馬鹿しく思いながら警部を眺めていると、アイレスはぎろりと俺に視線を転じる。

「ガーゼルは私の指示に従えないほど、枕が欲しかったのかしら?」

 唇をひん曲げて、嫌味っぽく呟く。

 俺は素直に詫びる。

「ごめん、勝手な行動しちゃって」

 アイレスが俺の行動の是非を判断するようにじっと俺を見つめ、やがて嘆息した。

「ほんとに枕が欲しかったみたいね、それなら許してあげるわ」

 そうなんだ、ほんとに欲しかったんだ。

 アイレスは俺と警部を交互に見ると、身を乗り出して人差し指を立てる。

「次の役割を言い渡すわ」

 何故か至極真面目な顔で切り出した。劇団の監督みたいな顔だ。

「俺はなんの役だ?」

 警部が尋ねる。

「もちろん、警察役よ」

「おお、それは得意な役だ」

 警部は満面に笑顔を浮かべる。役でもなんでもない、あんたの本職だ。

 次にアイレスは喜ぶ警部の、隣の席の俺を見遣る。

「ガーゼルもさっきと同様、あたしと同じ被害者の共通の友人役ね。怪しまれるような言動は慎みなさいよ」

「ああ」 

俺は頷いた。わかっている。

 それからまたしてもアイレスの台本を聞かされ、台詞を覚えさせられた。とはいえ俺は台詞がないに等しいがな。

「それじゃあ二人とも、台本通り動きなさいよ」

 アイレスに聞かされた台本には、こんなこと聞いて意味があるのかという質問まであった。アイレスに質問の意味を探ったところで、巧くはぐらかされそうな気がするのでやめておいた。

 列車の窓から木深い山林が見え始めた。


 フリデルの駅で降りて、前回と同じ道で俺達はヤングさんの猟具店に向った。

 広い林道を進むと、丸太造り林道を挟む大小二棟の建物が見えた。大の方のログハウスは猟具店だ。小の方は倉庫だと思われる。

 猟具店のドアに以前貼られていた貼り紙は健在で、また大声を出さないといけないと考えると俺は気だるさを感じずにはいられなかった。

「なんだ、大声の挨拶で呼べ、だと。生意気な店だな」

 警部が身の蓋もなくそう垂れると、果然ドアが乱暴に中から開かれた。

「生意気な店だと!」

 俺達の眼前に現れた、肩幅の広いがっちりした体つきの中年男が怒鳴った。この店の店主ギャレット・ヤングさんだ。

 遮るドアのなくなった合間を、警部は歩み寄る。

「警察ですが」

「警察だとぉ!」

 ヤングさんの瞳孔が怒りに大きく開く。

「警察なんかが何の用だ?」

「アリシー・アルベロアさんについてですが……」

「俺は何も知らん!」

 勢いよくドアを閉めようとする、が警部がドア枠の角に足を引っ掛けて阻んだ。

 警部がヤングさんを凄む。

「事情を聞くだけだ、お前を逮捕しに来たわけではない!」

 阻まれてもなお、警部の足を断ち切ってでもドアを閉めようとヤングさんは抵抗を繰り返す。

「嘘つけ、外見で俺に容疑をかけてるんだろ!」

「そんな不分別なことはしない。犯人逮捕のために聞きたいことがあるだけだ」

 ヤングさんの抵抗が止まった。ドアを半開きのまま俺達を見眺める。

「嘘じゃないだろうな?」

「嘘ではない。あなたのお話次第で犯人が特定されるかもしれません」

 力強く警部が言うと、ヤングさんはとうとうドアを開けてくれた。

「わかった。話せることは話す」

「中に入ってもよろしいですかな?」

 ヤングさんは無言で脇へ退き、入り口を空けてくれる。俺達は店内に足を踏み入れた。

 店内は前回と変わらず、売り物の猟具が壁にかけられてあった。

「そこの二人に通報されたのかと思ったぜ、脅かすなよ」

 ヤングさんは俺とアイレスを見てほっとしたように言った。誤解させてしまったようで申し訳ない。

「猟銃がたくさんありますな」

 警部が店内を見回して呟く。

「当たり前だ、猟具店だからな」

 顔には出さないが、ヤングさんは心なしか得意げに言った。

概ね店内を見回した警部が、本題に入るためヤングさんに向き直る。

「ヤングさん、アリシー・アルベロアさんとはどんなご関係で?」

「遊猟仲間だ」

「お体のご関係は?」

「あるわけないだろう!」

 全力でヤングさんは否定した。

こんなこと聞いてどうするのか、質問を考え出したアイレスの心の内を察しかねる。そんなアイレス本人はじっとヤングさんの態度を観察している。

 警部が台本通りの質問を続ける。

「ヤングさん、アリシー・アルベロアさんに猟銃を売ったのはあなたですか?」

「そうだ、俺が売った」

「では売った日付を覚えていますか?」

「詳しくは知らねえが、大体二か月前だと思うぜ」

 二か月前ということは引っ越しの時期と重なる。しかしこの二つがどう関係するのだろうか?

警部が質問を続ける。

「アリシーさんはその時に初めて猟銃を買ったんですか?」

「そういや、初心者だって言ってたな。基礎の基礎から俺があいつに手ほどきしてやったよ」

「そうですか、では一月の二十一日はどこで何をされていましたか?」

「一月二十一日? そうだな、たしかクルチョワにいたな」

 ヤングさんも事件当日、クルチョワを訪れていたのか。

「何時ごろまで?」

「ああと、終電に乗って帰ってきたから、二十一時頃だな」

「ラビアン・ドレスという名前にご記憶は?」

「誰だぁそれ」

 ヤングさんは警部の挙げた名前に、聞き知らないといって顔になる。

「聞いたことねえ名前だな」

「実はその人物が犯人候補なんです」

 警部が重々しく伝える。

 ヤングさんの顔に驚愕が浮かぶ。

「そいつはどこにいやがるんだ?」

「行方がわからないのが現状でして、目下捜索中です」

「警察が手間取ってんなら、俺がそいつを見つけ出してぶち殺してやる!」

 ヤングさんは抑えられぬ憤怒をぶちまける。壁にかけてあった猟銃を一丁掴むと玄関を向いた。

 警部が激昂するヤングさんの肩を掴んでたしなめる。

「冷静になることが犯人逮捕の秘訣です。感情的になって犯人を追うのはよくありませんぞ」

「ぐう……」

 悔しそうに歯ぎしりして肩を震わしている。だが次第に昂った気持ちが引いていったらしく猟銃を持つ腕をだらりと垂らした。

「俺は昔から警察が気に食わんが、全くその通りだ。冷静にしないと無駄骨を折るだけになるな」

「お分かりいただけましたか」

 警部が安堵の息を漏らす。掴んでいた肩から手を離して、質問を再開する。

「ヤングさん、アリシー・アルベロアさんの息子さんのことはご存知ですか?」

「ああ、クリスだろ。ホテルのロビーボーイだもんな、すげぇよ」

「クルチョワへ行かれた日に、アリシー・アルベロアさんのご自宅をお訪ねになりましたか?」

「いや、時間がなくて寄ってないな」

「息子さんともお会いには?」

「してないな」

「となるとクルチョワで何をなされてたんですか?」

「ライバルになりそうな店を探して歩き回ってただけだ、クルチョワには猟具店そのものがなかったがな」

 はははは、ヤングさんは声に出して笑う。その話、どこが面白いんだろう?

 これでアイレスが指示した質問はすべて訊き終えた。

 警部が友好的に笑う。

「ヤングさん、聞くべきこともなくなりましたので私たちは帰りますがいいですか?」

「おう、長居されても客が入りにくいからな」

「そうですか、では」

 警部が会釈してドアへと向かう。黙考しているアイレスと俺は、警部に続いて猟具店を後にした。

 クルチョワ行きの列車に乗って帰った。

 

 クルチョワの街を黄昏が包んでいた。しばらくすれば陽は沈み夜になる。

 フャーガ警部とは自宅前で別れ、俺とアイレスは玄関をくぐった。

「おかえり、アイちゃんガーゼルさん」

 昨日とは打って変わった憂い顔で、ジーナさんが出迎えた。

「ただいま、ジーナ」

 対照的にアイレスは気にもしない風に笑顔で接する。

「アイちゃん、私捕まっちゃうの?」

 ジーナさんは縋る目でアイレスに心配事を投げかけた。

 アイレスは首を振る。

「大丈夫よ、なんとかしてあげるから。あたしを信じて」

「うん……」

 弱々しいが強い信頼を持った表情で頷いた。

 アイレスは大丈夫だと請け合っているが、その実捜査は進展していないと思う。

犯人に関する目ぼしい情報は何も得られず、ベイルさんとヤングさんのアリバイと被害者との関係がわかっただけだ。

 アイレスには重要な情報なのかも知れないが、下手に話しかけると推理の邪魔しないでくれるかしら、と突き放すような雰囲気を探偵面で醸していたので、俺は質問するのを避けた。

 とはいえアイレスの考えていることは、すこぶる気になるのだが。

「ガーゼル」

 どこかのタイミングで訊き出せないかと、俺が思案していると不意にアイレスの方から声をかけてくる。

「頼みがあるんだけど」

「頼み?」

「夕食を食べ終わったら、あたしの分トレイを応接室の前に置いといて」

 俺でなくてもいい、頼みである。

 アイレスは俺の返事も待たず、応接室のドアノブに手をかける。

「あたしいろいろ頭の中を整理したいから、絶対に入ってこないでね」

「ああ、わかった」

 絶対という言葉にアイレスの真剣みを少し感じる。例によって俺が頷くとアイレスは応接室の中に入っていった。ドアがしっかりと閉められる。

「ガーゼルさん」

 声でジーナさんが俺を呼ぶ。

「なんですか?」

「夕食はテーブルに用意してありますので食べ終わったら食器はそのままにしておいてください。それじゃあ私、帰ります」

「え、ああはい」

 軽く頭を下げて俺の前を通り過ぎ玄関を出ていく、ジーナさんの姿を見送った。彼女から憂い顔を早く拭い去りたい。

 ジーナさんのために自分でも何かできないものかと頭をひねりながら俺は、リビングのテーブルからアイレスの分の食事をトレイに載せ、応接室のドアの前に置いておいた。

 一人で席について寂しい夕食を済ました。その時はもう料理が冷たくなっていた。 


 自室のベッドで横たわって、俺なりにも推理と呼ぶにはおこがましいが、犯人に繋がりそうな事実で仮説を立ててみた。

 その結果、俺が怪しいと疑ったのは被害者の現場のアパートメントの向かいに住むロリスさんだ。

 ロリスさんはアパートメントから女が出てくるのを見たと証言したがそもそもこれが虚偽の証言だと、そういう仮説だ。

 そうなるとロリスさんはアリシー・アルベロアを殺害しマンションを出た。警察に取り調べを受けると架空の犯人を作り出し疑いを逃れた、と考えたところでやめた。

「そうか、知り合いしか部屋に通してもらえないんだったな」

 ベッドの上で仰向けになって見るともなく天井を見上げて、俺は自説を棄却した。

 我ながら情けない。

ジーナさんの疑いを晴らすために、と差し出がましく探偵として取るに足りない頭脳を働かせて推理をしてしまった。

名探偵を父にもつアイレスとは、わけが違う。

慣れないことをしたせいか、すぐに瞼が重くなってきた。

俺は無理に抗わず眠気に身を任せた。

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