四章2
前回と同様、列車でピットフォーに向う。
その車内の席で、アイレスが真剣な表情で話し出した。
「いい、二人とも。今からあたしが話すことに口を挟まないで」
俺と警部は頷く。何を言い出すのだろうか?
「まずは役割決めよ、あたしとガーゼルは前回と同じ被害者の友人の設定よ」
ああ、そういえば。一昨日聞き込みした時、アイレスはアリシーさんの友人と自分のことを名乗ってたな。
「それで犯人の身元が掴めず困っていて警察に協力のためにここまで案内した、そういう設定よ」
「じゃあ俺はその警察の役って訳か、演技は苦手だが精一杯こなしてやる。はははは」
豪快に笑って警部は意気込みを示す。
演技って、あなた本物の警察でしょうが。演技もくそもないだろ。
「演技かあ、あたしも役者とか一度でいいからやってみたいわ。下町の酒場の小さなステージとかでね」
夢見るような目でアイレスは語る。
酒場の小さなステージって、落伍した役者が食い繋ぐために踊り子として立つステージだ。夢があるのやらないのやら。
「話を戻すわよ。アレックスはベイルさんに好意的に質問してね」
「何故だ、嬢ちゃん?」
「それはあんたが協力者の設定だからよ。犯人のことについて質問するのよ」
「じゃあ、どんな質問をすればいいんだ?」
「ラビアン・ドレスと言う女性を探している知らないか、とかでいいわよ。ベイルさんにあなたは疑っていないことを伝えられればいいんだから」
「そうすることで、何かあるのか?」
警部は膝に肘をついて、前傾の姿勢で尋ねる。
アイレスは澄ました顔で肩をすくめる。
「さあ、あたしにもわかんないわ」
答えを聞いて、警部がガクンと首を垂れた。
「聞いて損したぜ」
「わかんないけど、きっと何かしらの効果はあるはずよ」
何かしらって、内容が大事なんだけど。
俺は小さく嘆息した。
アイレスが不満げに唇を尖らせる。
「やること全部に効果がないといけないっていうの?」
「そういうわけではないんだがな、アイレス嬢ちゃん。効果を見込んでやるのかと思ってたからな、肩透かしだなって」
警部がアイレスをなだめるように言った。
ほんと、警部の言うとおりだ。
アイレスはじっと俺を見つめる。え、何。
「ガーゼルはあたしの台本に文句ないわよね?」
台本って言うな。
「えっ、あ、そうだな」
「よろしい。はい、これで二対一だからあたしのやることは間違ってない」
自信たっぷりに口の端を吊り上げ大きく頷いた。
いつから多数決になったんだ。そもそも三人で多数決をとるっていうのが少人数過ぎる気がする。
「じゃあ二人とも台本通り動きなさいよ」
またも溜息を吐きたい気分だったが、アイレスに見咎められるのは実に面倒なので我慢した。
車窓から石造りの家並みが、眺められるところまで来ていた。
ピットフォーの駅で降りて、前回歩いた道を進んだ。
しばらくすると立て看板風の『ベイル寝具店』と書かれた門柱が見え、店の表口と思われるドアを警部がノックした。
「はい、いらっしゃいませ?」
定型的な来客応対の台詞の途中で、ベイルさんは首を傾げた。
その視線は無論、フャーガ警部に向けられている。
「警察の方ですか、フェルナンドさんシルバさん?」
「事件のことについてお聞きしたいのですが」
警部がアイレスの台本通りの台詞を言う。とはいえ本職だからか堂に入っている。
「事件、といいますと?」
「ベイルさん、この方はクルチョワ警察の捜査官でアレックス。アリシーさんを殺した殺人犯を追っていてあたし達に協力してくれているんです」
アイレスが丁寧な口調で紹介する。
ベイルさんはそうですか、とすんなり納得した。
「入ってもよろしいですかな?」
「ええ、どうぞ」
快く中に通してくれた。
店内は陳列棚が横に三列並び、その間を勘定台のある店の奥へと通路が縫っていた。ざっと見渡した感じ店舗としては狭いが清潔にされている。
「いろいろありますな」
陳列棚を見て警部が言った。これも台本の台詞である。
「そんなことありませんよ」
ベイルさんは微笑んで謙遜する。
「棚にスペースがたくさん余ってるくらいですよ」
「これはベイルさんの手製で?」
警部が右の棚の下段にあった、藍色の枕を手に取る。
おお、それはとベイルさんは途端に興奮したような声を漏らした。
「つい最近、完成した新商品の枕なんですよ。僕の自信作で使用者側になったつもりで作製作したんです」
俺とアイレスもその枕を覗き込む。
ひょうたん型の両端から真ん中に向って大きく窪んだ、珍しい形の枕だ。二つの山が谷を作って連なったような形をしている。
「ビロードの生地に羽毛を詰め込んでおりまして、好感触で柔らかく特に真ん中のへこみに頭をのせると、サイドの膨らみのおかげで寝がえりを打っても枕から頭がはみ出さないんです」
熱の籠ったベイルさんの商品解説に、すぐさま俺の購買意欲が掻き立てられた。
今すぐ値段を訊きたいところだったが、事件の聞き込みという目的からは離れているので、一応俺は隣のアイレスに尋ねる。
「アイレス、頼みがあるんだ」
うるさげに俺を横目で見る。
「何よ?」
「この枕、買ってもいいか?」
「好きにすればいいじゃない。あんたが何を買おうとあたしには関係ないもの」
「いや、買うかどうかじゃなくて、ここに来た目的とはかけ離れてるからさ」
「欲しいなら買いなさい、それくらい支障ないわよ」
よし、アイレスの許可も下りたことだ、さっそくベイルさんに値段を訊いてみよう。
「ベイルさん?」
警部に解説を続けていたベイルさんは、口を止めて振り向く。
「なんでしょう?」
「この枕買いたいんですが、おいくらで?」
「そうですね、五ヘンスで」
枕にしては破格の安さだ。この前買った革靴の値段から換算すると、この枕は五百個買える。
あまりの低価格に、俺はちょっと心配になる。
「ベイルさん、そんな安く売っちゃって利益出てるんですか」
「立ってますよ。他の商品は儲けの出る値段で販売してますから」
「じゃあ、何故これだけ安く?」
「それを買ったのがシルバさんが一人目なので、私からサービスで安くしました」
なんていい人なんだ。
感に堪えて、俺は一ヘンス硬貨六枚、つまり六ヘンスをベイルさんに差し出した。
「あの、シルバさん。五ヘンスです」
ベイルさんは困ったように訂正した。
「一ヘンスはサービスしてくれたベイルさんへ俺からのサービスです」
「は、はあ」
柄にもないことをやってしまった。まあでも、提示額よりも差し出したくなるのはベイルさんの多大なサービスのおかげだろう。
ベイルさんは六ヘンスを困惑顔で受け取った。
「そろそろ本題に入ってもよろしいですかな」
警部が勘定が終わるのを待って言った。これはアドリブである。俺が枕を買った時点で台本通りではない。
「アリシー・アルベロアさんについてですが、彼女とはどんなご関係で?」
「近所に住んでいて仲良くさせてもらってました。なので殺されて亡くなられたと聞いた時はショックでしたよ」
「フェルナンドさんから聞きましたが、数か月前にアルベロア親子はクルチョワへ引っ越してきたそうですね。ベイルさんは引っ越しの詳しい日付を覚えておられますか?」
「そうですね、二か月前ぐらいでしょうか。確か十一月の二十五か二十六だったかと」
思い出しながらベイルさんは答えた。
二か月前のことをよく覚えていたもんだ。
警部も同じことを考えたのか、顔に驚きが浮かんでいる。
「よく覚えておられましたね」
「荷物運びを手伝いましたし、駅まで見送りしましたから印象に残っています」
「そういうことですか」
警部をはじめ、俺とアイレスも納得した。
途端にベイルさんの顔に不安が浮かぶ。
「ところでアレックスさん、犯人は見つかったんですか?」
「ああ、そのことでしたら確証が持てたわけではありませんが、一人候補が浮上しましたよ」
「誰ですか?」
「ラビアン・ドレスという女性です。ベイルさんはご存知ですか?」
「え、ああ、いいえ」
ベイルさんは首を振った。
まあ、存在しないんだから当然の反応だ。アイレスは所作から何か探ろうとしているのか、ベイルさんを注視している。
「そのような質問をされるということは、まだ捕まっていないんですね?」
「はい、残念ながら行方さえも掴めていないんです」
「私もできることは協力しますよ。アレックスさん」
「ありがたいです。それとベイルさん、アリシー・アルベロアさんの息子さんの職場であるホテルに泊まったそうですね」
「はい、クルチョワ中央ホテルですね。確かに泊まりました」
「息子のクリス君がそこで働いているのは知ってましたか?」
「はい、引っ越し前にアリシーから聞きました。クリス君がどうかしたのですか?」
何故アリシー本人ではなく息子のクリスについて質問されるのか、疑問に思ったらしくベイルさんは訊き返す。
警部は苦笑いで、
「事実に食い違いがないか確かめただけですよ」
「事実とは?」
「事件当日にラビアン・ドレスが同じホテルをチェックアウトしていて、ホテルの帳簿には入れ違いにあなたが入られたそうですね。そのことです、事実とは」
ベイルさんは急に青ざめ表情筋を強張らせ、肩をビクビク震わせて頭を抱えた。
警部が怪訝そうに、
「どうされました、ベイルさん?」
「あ、ああとその、犯人がそんな近くにいたなんて……」
「落ち着てください、ベイルさん」
警部が慌ててベイルさんの恐怖心を鎮ませようとする。
ベイルさんの息は次第に整いはじめ、落ち着きを取り戻した。
気恥ずかしそうに苦笑する。
「すいません、取り乱してしまって」
「仕方ないですよ、相手は殺人犯ですから。誰だって恐いですよ」
「アレックスさんでも?」
「そりゃもう。職務上多少は慣れていますが、中々恐さはなくなりませんよ」
そうなんですかぁ、と意外そうにベイルさんは声を漏らした。
さて、と警部は続ける。
「ベイルさん、あなたは猟具に関して知識は?」
「猟具ですか、まったくです」
「そうですか。実は私、遊猟が大好きなんですよ。森林や湿原などで動物を仕留めるんですよ」
そう愉快気に言って、警部は猟銃を構える真似をする。
「こうして構えてですな、じっと待つわけですよ……おっと失礼。話が逸れました」
はははと快活に笑う。
ベイルさんが申し訳なさそうに苦笑い。
「すいません、教養がありませんで」
「いえいえ、お気遣いなく。好き不好きは人によってありますので」
そうして警部は頭だけで軽く一礼した。
「他にお聞きしたいこともありませんし、商売の邪魔になるといけませんので、そろそろ私達はお暇させていただきます」
「そうですか、お気を付けてください」
俺達はドアの前でもう一度頭を下げて、ベイル寝具店を辞去した。
枕、大切に使わせてもらいます。
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