二章捜査
二章1
着いてきなさいと言われ仕事の内容も教えられぬまま、俺はアイレスと共に列車に乗り込んだ。
クルチョワ駅に向かう道中、何度も仕事の内容を尋ねたが相手にされなかった。
もしかして昨日の警部からの依頼ではなく、他の依頼主のとこに出張するのか?
座席の向かいで窓の縁に肘を置いて頬杖をつくアイレスの横顔を見ながら、そんな詮無きことを考えていると、重々しく列車が動き出した。
緩やかに速度を上げ、次第に滑らかな加速に入った。
「ガーゼル」
列車が駅を離れてほどなく、唐突にアイレスが話しかけてくる。
「なんだ?」
「仕事の内容、まだ教えてなかったわね」
窓外を眺めながら、俺を流し目で見て言った。
訊いても教えてくれなかっただろうが。
「聞き込みよ」
「はあ」
聞き込みとだけ言われても、何に何を聞き込むのか見当のつけようがない。
アイレスは顔をこちらに向けて続ける。
「十二月二十一日の夜に、あたしたちの住んでるクルチョワの大通りから左に外れた通り沿いのアパートで、アリシー・アルベロアという女性が夜の間に殺害された。第一発見者は被害者である……」
「待て待て待て!」
しれっと惨たらしい出来事を話し始めたアイレスに、俺は聞くに堪えず話を止めた。
「話に不足しているところがあったかしら?」
「違う違う。いきなり女性が殺されたとか話されたら、誰だって戸惑うって」
「そうかしら、殺人事件なんて新聞にも載ってるじゃない」
新聞の文言より従妹の口頭だと、他人事じゃない気がしてきて殺人の現実味がいや増してしまう。
「とにかく前置きぐらいはしてくれ、お前みたいに物騒なことには慣れてないんだ」
「うるさいわね、男ならビビるんじゃないわよ」
「ビビるとかそういうのではなくて、びっくりする……」
「続けるわね」
俺の弁明には聞く耳を持たず、我先に内容の解説を再開した。
「第一発見者は被害者の息子のクリス・アルベロア。二か月前、転校してきて私とジーナのクラスメイトよ。クリスはホテルのロビーボーイでその夜は夜勤で職場に居たそうよ。アリシーとクリスの親子はアパートメントの一部屋に二人暮らしだそうで、数か月前からそのアパートメントに移り住んだそうなんだけど、そのアパートメントには他の入居者はいないそうよ。クリスが言うには、知り合い以外は部屋には通さないと決めているらしいわ」
「そうか」
俺は適当に相槌を打つ。
アイレスは肘を膝について身を乗り出し続ける。
「それでね、この事件が起きたのはクリスが勤めに出ている二十一日の二十一時から二十二日の六時の間なの。アリシーは部屋のベッドの上で近くの壁にかけてあった猟銃で射殺されたみたいなの。これは現場を見てきたから確実よ」
その現場を想像しただけでゾッとする。
アイレスは話が進むにつれて前に乗り出してきていた身体を、いったん座席の背に戻した。
「部屋に入れるのは知り合いだけ。クリスが名前を挙げた部屋に通すほどに親しい被害者の知り合いは二人。事件の解決のためにその一人が住むピットフォーへ出向くのよ」
そこまで話すとアイレスは、また窓の縁に肘をつけて頬杖をして外を眺め始めた。
「それで仕事の内容は?」
「言った通りよ」
え、さっきの短い台詞が仕事の内容だったの? 事件についての長広舌を惰性に聞いていたので、話の区切り目がわからなかった。
それからアイレスは俺が話題を振っても生返事しかしてくれず、小一時間が経ち列車がピットフォーの駅に停車した。
俺達は列車を降りた。
人のまばらな駅を出ると、点在する石造りの家々と奥山の緑豊かな土地が見渡せた。
とはいえ俺の地元より断然人は多そうだ。
「ガーゼル、景色に見入ってないで、さっさと行くわよ」
あちらこちらに首を巡らしていた俺の腕を掴んで、アイレスが急かす。
右も左もわからない町を、アイレスに先導されて俺も歩き出した。
「それでどこに行くんだ?」
一軒一軒を入念に目を留めながら進むアイレスに尋ねた。
「寝具屋」
「寝具屋? なぜまた?」
「そこの主人に聞き込みをするの」
「その人はアリシー・アルベロアっていう女性の知り合いなのか?」
「ええ、そうよ。ここピットフォーは彼女が以前住んでいた町なの」
「それで関係を持つ寝具屋の人が犯人だと?」
「可能性はあるけど、あくまで聞き込みだけよ」
「それでその知り合いの名前はなんていうんだ?」
「あたしが話す必要はなさそうね、ほら」
俺の肩越しにアイレスが指さす。
その方を見ると、工房らしき小屋の隣接した石造りの家が建っている。
「ここが例の寝具屋らしいわね」
門柱には『ベイル寝具店』と薄い木板の札が飾られていた。
「こんにちは」
俺が門柱を見ていると小屋の方の入り口が開き、細身でガラスの厚い度付きの眼鏡をかけた人の良さそうな男性が俺達に丁寧に挨拶した。
「すみません、まだ開店の時間ではありませんので。今すぐ、開けます」
「いいえ、あたし達はベイルさんにお話を聞きに来ただけですので。お店の方はわざわざ開けてくださらなくても構いませんよ」
アイレスが店の客ではないことを告げる。
眼鏡の男性は穏やかに微笑する。
「私にお話とは?」
「実はベイルさんに聞きたいことがありまして。あっ、あたしはアイレス・フェルナンドです」
アイレスが思い出したように名乗る。俺も倣って、
「ガーゼル・シルバです」
「それでなんでしょう、フェルナンドさんにシルバさん?」
「ベイルさんは、アリシー・アルベロアさんとお知り合いですよね?」
「はい、そうですが。彼女に何かあったのですか?」
俄かにアイレスの表情が曇る。
「お話ししにくいんですが、アリシーさんがお亡くなりになりまして」
ベイルさんは突然の凶報に、大きく目を見開く。
「そうなんですか……」
「それをお知らせしたく、ベイルさんを伺ったんです」
俺達の訪問に合点がいったらしく、ベイルさんはそうでしたかと頷く。
「あなたがたは見ない顔ですが、アリシーの友人で?」
「ええ」
「というとクルチョワから?」
「はい」
「彼女があなたがたに知らせてくれと頼んだのですか?」
「いいえ、そういうわけではないんです。あたし達はアルベロアさんの訃報を友人としてベイルさんに報告をしに来たんです」
聞き込みに際して、アイレスは友人を装うらしい。
ベイルさんが不安を露に尋ねる。
「前に自宅を訪ねた時は元気そうだったんですが、何が原因で?」
「それが誰かに命を奪われまして……」
「誰かということとは殺されたということですか。犯人は捕まってるんですか?」
「いいえ、それがまだらしいです」
「そうですか」
ベイルさんの顔に落胆が浮かぶ。
「ベイルさん、アルベロアさんに他のお知り合いはご存知ですか?」
「いえ、アリシーは近所付き合いが苦手で、この町では私ぐらいとし関りはないかと」
「そうなんですか、教えていただきありがとうございます」
丁寧に礼を言うと、肘で俺を小突く。
「なんだよ?」
「おととい何してたの?」
わかりきつたことを訊くな。
俺は適当に答える。
「お前と買い……」
「ベイルさんは何をしてました?」
俺の答えを聞くことなくアイレスは、ベイルさんに同様の話を振る。
「おとといですよね? おとといは確か、材料の仕入れで友人の家に訪ねましたよ」
「友人の家とはどこにあるんですか?」
「クルチョワです。ジョンテ・ハートって名前を聞いたことありませんか?」
「ごめんなさい、聞いたことありません。それでジョンテ・ハートさんはクルチョワのどこにお住まいで?」
「ええと、ヘルニシチ区の六番地ですが。三階建ての大きな家なのですぐにわかると思いますよ。でも彼の家に何をしに?」
「ベイルさんはその人に、アリシーさんのことを話したことはあります?」
「話題に出たことはありませんでしたが、名前くらいなら知っていると思いますよ」
ベイルさんの答えに頷いて、またもアイレスは俺を小突く。
「今、何時?」
俺は懐中時計で時刻を確認する。十時を少し過ぎている。
「十時六分」
「そう」
アイレスはくるりと身を翻す。
「フェルナンドさん、もうお帰りに?」
「ええ、他にも訪問しないといけない知り合いがありまして。てんてこ舞いです」
会釈し、いくらかおどけた口ぶりでベイルさんに笑いかける。
「そうですか、大変ですね」
「誰かがしないといけないことですので、それでは」
アイレスはベイルさんに深く頭を下げると、俺達が来た道を引き返す。
俺もベイルさんに軽く一礼してから、アイレスに追いつく。
「ガーゼル」
ベイルさんの石造りの家が見えなくなるほどに歩くと、前触れもなく斜め後ろを歩く俺にアイレスが小声で話しかけてくる。
「ベイルさん、いやピーター・ベイルは以前に被害者の自宅へ訪ねたことがあるって言ってたわね。犯人の可能性少し出てきたわ」
急に探偵臭くなった。
俺は訊き返す。
「でも憎んでる風じゃなかったよ?」
アイレスははあ、とわざとらしく嘆息する。
「あのね、たとえ憎んでたとしても人前で露にすると思う?」
「まあ、確かに」
言われてみればその通りだ。
俺の納得を見ると、人差し指を立てしたり顔になる。
「捜査において人の態度なんていくらでも偽りようがあるから疑惑の対象外なの。しいて言えば人前で憎悪をあけひろげにしてる人の方が、シロの可能性は高いわよ」
やっぱり探偵の一人娘の言うことはもっともらしい。今回が初めてで、ついぞ事件になど遭遇したことも起こしたこともない俺とは雲泥の差だ。自分で起こしたなら、それは俺が犯人なんだけどね。
アイレスの講釈をなにげなく聞いていると、駅の入り口が近くに見えだした。
「次はフリデルに行くわよ」
「えっ?」
フリデルと言えばピットフォーからクルチョワの途中の駅にある、国境の山脈がそびえる田舎町だ。狩猟場として有名で、俺も友人と何度か狩猟をしに行った覚えがある。俺の寂しい地元の村よりも人口は目に見えて多いんだ。
俺はてっきりクルチョワに帰って、教えてもらった所番地へ行くのだと思っていたがどうやらまだクルチョワへは戻れないらしい。
アイレスは切符売り場を駅の入り口横に認めて立ち止まる。
「もう一人、アリシーの知り合いを訪ねるのよ。クリスいわく母はその人と狩猟で知り合いになったらしいわ」
「俺、フリデルなら行ったことあるぞ。友達と狩猟したんだ」
アイレスは振り向き、意外そうに俺を見る。
「あんたが狩猟?」
「ああ、何度か」
奇妙な反応をするもんだ。
そう不思議に思っていると、背を丸め笑いを堪えるようにアイレスは肩を震わせ口を手で覆った。
次には腹を抱えて、辺りをはばからず大笑いした。
「ガーゼルが狩猟だなんて、はっはっ、全然似合わない!」
「お前なあ!」
俺は憤然と唸るように声を出す。
だがアイレスの大笑は止まらない。
「せいぜい畑のかかしに向って、石ころを投げつけるくらいがあんたには丁度いいわ」
「かかしの神に呪われるぞ」
ありていに言えば、かかしは農作物を農業災害から防いでくれる尊きものなのだ。ただの偶像と揶揄されたら言い返しようもないが、田舎の農業がこの国にどれほどの富を付与しているのか、都会生まれ都会育ちのアイレスにはわかるまい。
ひとしきり笑い興じたアイレスは、表情に愉快さを残こして手の平を差し出す。
「なんだ、この手のひらは?」
「あんたの分の切符も買ってくるから、その代金」
俺はしばし手のひらを見つめて、チョッキから切符代を取り出して渡した。
ばら銭を握り、アイレスは切符売り場にきびきびと向かった。
さして時間もかからず、アイレスは戻ってくる。
「はい切符、フリデル行きね」
確かに受け取って、俺達は列車が来るのを待った。
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