エピローグ

「ねえ、ガーゼル。今朝の新聞に事件の記事が載ってるわよ」

 俺は昨日までの忙しさから一転して暇を持て余し、応接室の書棚から抜き取った小説『絵の色』をソファに楽な姿勢で腰かけて読んでいた。

本と顔の間に日刊新聞が割り込んでくる。

「読んでみなさい」

 俺は読書を邪魔され内心不愉快な気分で、新聞を受け取った。

「右下隅よ」

 右下隅。右下隅。あ、あった。

 新聞記事の見出しにはこう書いてあった。クルチョワのアパートメント未亡人殺害事件の犯人逮捕。

ユーモラスの微塵もない、事実だけを書いた見出しだ。まあ、殺害事件をユーモラスに書くのも不謹慎だけども。

 記事の内容には事件の日時と逮捕の日時、犯人としてピーター・ベイルさんの名前が書かれているだけだ。経緯などはほとんど書かれていない。

「これだけなのよ」

 気に入らないと言った口ぶりで、アイレスが憤然と記事を指さす。

「お前、怒ってるのか?」

「だってあたしの名前が書かれてないのよ、解決したのあたしなのに」

「そんなことか。別にいいじゃないか」

「ダメよ、あたしの名と評判が広まらないと依頼が増えないわ」

 宣伝のためかよ。難事件を解決した探偵らしい意義を持って不満を垂れているのかと思ったのに、ちょっと見損なった。

「こっちは趣味で探偵やってるわけじゃないの、生活がかかってるの。それをどこの馬の骨だか知らない記者が無断で取り上げて新聞会社から報酬貰って、何様のつもりかしら」

 かつかつと軽やかにつま先で地団太を踏んで、アイレスはぶーたれる。

 ひどい言い様だが、アイレスの名を載せるくらいしてもいいとは思う。なんたって事件解決の一大功績者だからな。

「あたしが名探偵エモンの一人娘だってことを知ってるのは大半が、クルチョワ警察の中年の野郎ばっかりなのよ。ああ、むさ苦しい」

 いかにも厭わしそうに、アイレスは唇を三角に歪める。

 そんな毛嫌いするなよ。良い人達だと思うけどなあ。

 その時応接室のドアが、木づちにでも殴られたように物々しく軋んだ。。

「なっ、なに?」

 アイレスがドアをきょとんとして見つめる。

「さあ」

 俺は肩をすくめる。

「ガーゼル、ドアが壊される前に開けてやりなさい」

「え、俺が迎えるのか?」

「だって何を持ってるのかわからないじゃない。襲われたくないもの」

「俺だって、襲われたくないよ」

 情けないが俺はそう主張した。

「ガーゼル・シルバさんはいねぇがぁー」

 ドアを危なく軋ませる客人が、耳をつんざく喉声でドア越しに叫んだ。

 はて、どこかで聞き覚えのある声だ。

 俺はおっかなびっくりドアを開いた。ゆっくりゆっくりと。

「うっおあ」

 少し開けたドアの隙間から突如として挿しこまれた何かに、俺は肝を冷やして背中をのけ反り数歩後退する。

 なんだ?

「やっと見つけましたぁ」

 挿しこまれた何かである木製のへらみたいなもので、荒ぶった客人は梃子の原理を使ってドアをじりじり開けていく。

強盗か? 強盗か? 昼間から? と酔狂な客人に疑問を覚えつつ、俺は念のため腰を低くして身構える。

「ガーゼルさぁぁぁぁぁん!」

俺の名前を吠えながらドアを盾にするように姿を現した客人、亜麻色の長髪が下に垂れ下がる、靴べらを右手に持ったジーナさんだった。目を狂気に満ちてらんらんとさせ底知れぬ怒りを纏っている。

「どこに行ってたんですかぁ?」

 室内に足を踏み入れるなり、瞳を嗜虐的に光らせてのそりのそりと俺に近づいてくる。

 ジーナさんに何があった?

「ガーゼルさん。どこに行ってたんですかぁ?」

「どこって、いつの話ですか?」

「街中で重たいカボチャを持たせて私を置いてけぼりにしてぇ、どこに行ってたんですか?」

 俺は思い出した。ジーナさんが爆弾を仕掛けたとか言い出し、アイレスが心配であの場から走り去った記憶を。結果、徒労だったのだが。その後爆弾はジーナさんの悪戯での比喩だと認識し、その悪戯のおかげでアイレスが事件の謎を解いて、警察署からファーガ警部と連れたって、列車に乗ってピットフォー行って、犯人に拳銃を向けられる恐怖を味わって、アイレスの機転で犯人を取り押さえることに成功して事件を完全解決、アイレスとクルチョワに帰ってきて____。それ以来ジーナさんの事、まるきり忘れていた。

「どこに行ってたんですかぁ?」

「ええと、アイレスと警部と犯人を捕まえに……な、アイレス?」

 冷や汗が滲み出てくるも俺は真っ正直に答えて、後ろを振り返りアイレスに同調を求める。

 あれ?

 ついさっきまで居たはずの、アイレスの姿が消えている。

「おい、アイレス? どこ行った?」

「あちこち探し回った私の骨折りの責任を、アイちゃんに背負わせる気ですかぁ、ガーゼルさん?」

 ジーナさんは靴べらを振り上げた。

 あっ。

小気味いい音がして、俺の額に鋭い痛みが走った。

 靴べら、案外痛いもんだ。俺は腰を抜かしてへたりこんだ。

ぷんすかしてジーナさんが応接室を出ていくと、くすくすとアイレスの笑い声がした。

 どこにいるのかと不思議に思って室内を見回すと、執務机と椅子の間から机の縁に手をかけて、アイレスがひょっこり顔を出した。どうやら机の下に隠れていたらしい。

 ニヤニヤと笑いながら、

「考えなしに行動するから、怒られるのよ」

 誰が考えなしだ。

「女心が理解できないで、あたしと一つ屋根の下で暮らすのは困難よ」

「どうすれば女心は、理解できるようになるんだ?」

俺が真面目に尋ねると、アイレスはあからさまな溜息をついて首を振る。

「そうやってなんでもあたしに答えを乞うところとか、まるで女心が理解できていない証拠」

 じゃあどう理解しろと? 教えてくれなきゃわかんない。

 女心とはどういったものなのか、俺が頭を悩ませていると折しも呼び出し鈴が鳴った。

「依頼人かしら?」

 アイレスはいそいそと立ち上がり、応接室を出て玄関へと急ぐ。

 俺はいっこうに答えが出そうにない女心の理解について悩むのをやめ、ソファに腰掛け直して読みかけの本を広げ、それに目を落として読書を再開した。

 アイレスは急いで部屋を出て行ったからか、応接室のドアは半ば開いている。閉め忘れていったらしい。

 玄関での会話が聞くともなしに耳に入る。

「あら、クリスじゃない。どうしたのよ突然」

「アイレスさんにお礼が言いたくて」

「お礼? あたしに?」

「はい」

「あたしにクリスに何かやってあげたかしら、あなたのお母さんを殺した犯人を割り出しただけよ?」

「あたしにクリスに何かやってあげたかしら、あなたのお母さんを殺した犯人を割り出しただけよ?」

「それですよ。解決してくれたありがとうございました、アイレスさん」

「そ、そんな礼を言ってもらうことじゃないわよ。仕事でやったんだもの」

「仕事だからとかじゃなくて、アイレスさんが解決してくれたおかげで、僕は殺人犯が誰なのか不安で思い悩むこともなくなりました。ほんとにアイレスさんには感謝がつきません。名探偵アイレス・フェルナンドさん、本当にありがとうございました」

「ちょっと、名探偵だなんて改まった呼び方しないでよ、調子狂うじゃない」

 ああ、そういうことか。俺はその時、ふと思い至った。

 俺は履き違えていたのかもしれない。名探偵がどういう探偵を指すのか。

本当の名探偵とは、ただ単に名推理で事件や謎を解く探偵ではなく、一人一人から感謝される探偵の事を、名探偵と呼ぶのだろうと。

勝手な見解だが、もうアイレスは立派な名探偵ってわけだ。

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従妹アイレスの探偵録 青キング(Aoking) @112428

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