終章3
ベイルさんを近くの署まで連れていくというファーガ警部とはその場で別れ、俺とアイレスは先に駅へと向かうことにした。
銃弾によるこめかみの傷はすでに出血も止まり、後々傷跡が残るようなこともないだろう。
なので傷のことはいい。それよりも俺は氷解していない疑問があることに気付いた。
「なあ、アイレス?」
駅へと向かう道すがら、俺は隣を歩くアイレスに尋ねる。
「何、ガーゼル?」
「クリスが言ってた犯人の特徴に近眼があっただろ。クリスの証言でラビアン・ドレスが眼鏡をつけていなかったことは明らかだし、ベイルさんはガラスの分厚い眼鏡をかけているだろ。どうやってホテルの209号室から眼鏡なしで被害者の部屋を見ることができたんだ?」
「簡単に説明できるわよ。ピーター・ベイルは眼鏡をかけていなかっただけで持ってはいたのよ、トランクの中に」
「え、でもトランクは公園に埋めたんじゃ?」
「クリスが言ってたこと覚えてないのね。ピーター・ベイルは小さいトランクを提げていたとそんなようなこと言ってたでしょ。埋められていたトランクは大きかったわよね? 大きいトランクに小さいトランクを入れていたと考えれば説明はつくでしょ。そうして大きいトランクを埋める時に眼鏡の入った小さい方を取り出してそちらに枕と手袋を仕舞って、コートとウィッグだけを大きいトランクに入れて埋めた」
なるほど。その理屈なら眼鏡をかけていないラビアン・ドレスに変装した、近眼であろうベイルさんが被害者の部屋をホテルの客室から観察することもできる。したがって見取り図に顔を近づけて見ていたというのも演技ではなく、近眼のせいでそうするしかなかったということになる。眼鏡の謎にとどまらず枕と手袋に関しても明言してくれた。
「納得できた?」
「ああ」
疑問が晴れた俺は、快く頷いた。
せっかくだから急転する状況で訊けずにいた、ファーガ警部がベイルさんに飛び掛かる直前のアイレスの叫び声と枕を投げつけた行動の理由についても尋ねてみよう。
「アイレス、あと一つ訊きたいことがあるんだけど?」
「何よ? まだ、わからない点があるっていうの?」
鬱陶しそうな疲れた声で訊き返してくる。
「お前、突然叫んで枕を投げただろ。何であんなことしたんだ?」
「ああ、そのことね」
大したことではないと言いたげな口調で、
「あたしがピーター・ベイルに足の向きが、とか話してたことの応用ね。惹かれる人物の方に身体が向く。拳銃に両手で持って引き金を引く寸前の、意識が照準先だけに集まる瞬間を衝いて、あたしはあんな行動をとったわけ。当然、ピーター・ベイルは急なあたしの行動に意識が惹きつけられ、無意識で身体をあたしに向けたの。拳銃を両手で持ってたから反射的に身体が動けば銃口も同じ方向に動く。そうして隙をつくったのよ」
俺は舌を巻いて聞いていた。
むっとアイレスは不機嫌顔になり、
「あんたが訊いてきたから説明したのに、何よその非常識人を見るような目は!」
「すまん、あまりにも論理的すぎて予想外だった」
「あたしがいつもは論理的じゃない、みたいな言い方ね」
アイレスは俺を睨んでへそを曲げる。
そういう意味じゃなくて、褒めたつもりなんだけどなぁ。
ほどなくして、丘の上の駅が目の前まで来ていた。
簡素な造りの駅舎を、日暮れ間近の淡い暖色が包んでいる。
駅のホームには俺とアイレス以外、人気はない。
「クルチョワに着くころには、すっかり暗くなってるわね」
隣でアイレスが夕空を仰いで続ける。
「こうして事が済んでしまうと、考え事がなくて違うことに思考が向いちゃうわ」
「違うことって?」
「なんでもかんでも詮索しないで、あたしにだって人に言えない悩みとかあるのよ」
そりゃそうだ。悩みなんて誰にだってある。
「でも新しい依頼が舞い込んできたら、すぐまたいそがしくなるんでしょうね。きっと悩んでる暇もなくなるわ」
アイレスの横顔に微かな笑みが浮かぶ。
「さっきは、ありがとね」
そう言って振り向く。
「あの時あんたが傍にいてくれたおかげで、あたし行動に移せたのよ。勇気を分けてくれたもの」
「そうか」
やっと俺はお前の役に立てたのか。少しこそばゆい。
「探偵の仕事、あんたにまた手伝ってもらおうかしら」
「お好きにどうぞ」
探偵アイレスの相棒、とまではいかないが出来る限りのことは手を貸すよ。
そう俺は心に決めた。
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