一章5
何故、アイレスはむきになって俺を帰したのか?
しかも探偵アイレス・フェルナンドと呼ばれていた。探偵なのはアイレスの父のはず。何故彼女が探偵の仕事を引き受けた
叔父さんの手伝い、にしても肝心の叔父さん本人をクルチョワに来てから一度も目にしていない。叔父さんはどこで何をしてるんだ?
すでに夕方を迎え、辺りの建物がオレンジに照らされている。
腕がちぎれそうなほどの荷物と様々な疑問を抱えて、俺は部屋を間借りしている新居に帰宅した。
「ふう」
荷物をひとまずダイニングテーブルに置いて 身体的な疲労で息を吐いた。
アイレスは何をこんなに買い込んだのか、そもそも俺の必要な物を揃えるための買い物じゃなかったのか。
不満を覚えたが本人がこの場にいないので馬鹿馬鹿しくなって、荷物を俺の分とアイレスの分で仕分けた。ほとんどアイレスの買った物だ。
アイレスの分はリビングに残し、とりあえず自分の分を部屋に運んだ。
俺が買ったのは新調の革靴だ。実家から履いてきた靴はかなり傷んでおり、新生活を機に買い替えてみたのだ。結構高い買い物だったが。
まあ、都会に来てみすぼらしい恰好というのもあか抜けない。どうせならその土地に馴染んだいでたちをしたいものだ。
感慨を覚えながらしばらく革靴手の平に載せて眺めていると、階下からおっとりした女性の声が聞こえた。
「誰か、いるんですかー?」
昨日聞いた、ジーナさんの声だ。
靴を床に置きドアを開けて、階段下を見る。
階段の下でジーナさんがきょろきょろ周囲を見回していた。
あちらも俺に気付き、ほっとしたように微笑む。
「買い物した荷物はリビングにあるのに、誰も姿がいないので不思議に思いました」
「はは、驚かせちゃましたね。それで、リビング使いますか? 使うなら荷物どけますけど」
家事はジーナに任せてるってアイレスが言っていた。なのでジーナさんは夕食の仕度に来たと思われる。
「アイちゃんは部屋にいるんですか?」
「ああ、なんかフャーガ警部って人に探偵の仕事を頼まれて、俺は先に帰らされました」
「そうですか、それなら帰りは遅いかもしれませんね」
幼馴染のジーナさんならば、アイレスが探偵の仕事を引き受けているわけを知っているかもしれない。
「あのジーナさん?」
階段を降りながら尋ねる。
「はい?」
「アイレスが何で探偵してるのか、わかります?」
「それは……うーん」
言いかけてジーナさんは考え込む。
「ジーナさんでもわかりませんか?」
「わかるにはわかりますけど、私が話しちゃっていいんでしょうか」
簡単には話せない事情なのか?
「無理に話してくれなくてもいいんですけど、何故なのか気になって」
「そのうち、アイちゃん自ら話してくれますよ。それよりガーゼルさんにいろいろ訊きたいことがあるんです」
昨日会ったばかりの俺に? なんだろう?
穏やかな微笑みを湛えて、ジーナさんは訊いてくる。
「ガーゼルさんは以前、この街に来たことはあるんですか?」
「七年前に両親と一度だけ。この家に二日間この家に泊まらせてもらったよ」
へぇー、と存外驚いて目を輝かせる。
「じゃあアイちゃんと一緒に寝たんですかぁ?」
「……なんでそう飛躍した?」
どういう思考を持っていたら、そんな想像ができるんだ。
「違いましたか?」
「あんまりはっきり覚えてないけど、違うんじゃないかな」
そうですか残念です、と目に見えてジーナさんは落胆する。
もしほんとに俺がアイレスと一緒に寝たていたなら、何を期待していたんだろう?
はなはだ思考が不明である。
ジーナさんは唇に指をあてがい何かを考え、ほどなくして真面目な面持ちで、。
「それでは物を取り合うくらいはしましたでしょう?」
そういえば、クッキーの大きい小さいで取り合った気がする。
「たぶんしたと思う」
「へぇー、想像するだけでドキドキします」
ジーナさんは頬を薄く赤らめ片手を添える。
ドキドキ? どこにそんな要素が?
「何で七年前のことばかり訊くんですか?」
「ガーゼルさんが来るってアイちゃん言ってたから気になっていまして。アイちゃん顔に出していなかったけど嬉しそうでしたよ」
意外だな。部屋をロハで貸しもらってるから歓迎はされてないと思っいたんだが、あいつがつっけんどんなのは性格そのものなのか。
「そういえばガーゼルさんってなんでこっちに移ってきたんですか? まだ訊いてませんでした」
「ああ、進学だよ。クルチョワ高等学校」
「へぇー、私と一緒なんですね」
「ということは俺の先輩?」
「いいえ、同学年ですよ。今年の新入生です」
俺は目を丸くした。
ええ、ずっと年上だと思ってた。実年齢より大人びて見える。
「アイちゃんと一緒ですよ」
「ということは三人揃って同じ学校ってことか」
「三人で通えますね、楽しみです」
ジーナさんは顔を綻ばせた。
アイレスとジーナさんがいるなら、田舎者の俺でも学園生活もなんとかなりそうな気がする。
あっそうそう、とジーナさんが思い出したように訊いてくる。
「ガーゼルさん、好きな料理とかあります?」
「どうしてまた、そんなことを?」
質問が唐突過ぎて、戸惑った。
「私とアイちゃんとガーゼルさんだけですが、ガーゼルさんの歓迎会を開きたいと思ってたんです」
「わざわざいいよ、歓迎会なんてやらなくて」
この家に割り込んだみたいな俺のため歓迎会を開くのは、どうも遠慮してしまう。
俺の意に反してジーナさんは頭を振る。
「遠慮はいけません。歓迎会を開くのはガーゼルさんが来るって聞いた時から私が勝手に決めていたんですから」
勝手かよ。
「でも俺の好みの食事に付き合わせるのは気が引けるっていうか……」
「私が作るんですから、私に権限があります」
真っすぐに俺を見つめる。
アイレスも家事はジーナさんに任せてると言っていたけども。
「作らせてください。好きな料理はなんですか?」
真剣な瞳で尋ねてくる。
「ええ、じゃあ……」
いざ好きな料理を答えようとしても、全く思い浮かばない。
やむを得ず俺は言った。
「ジーナさんの得意料理で……はい」
俺の答えにジーナさんは、きょとんと目を瞬く。
「私の得意料理ですか?」
「ダメですか?」
「ダメではないですけど、それではガーゼルさんの希望に合わない気がします」
「いやいや、俺が食べたいんだ」
だって他に思い浮かばないもん。
俺の表向きの真摯さが伝わったのか、ジーナさんは熟考する素振りの後笑顔で、。
「わかりました、ではそうします。腕によりをかけますよ」
そう言うとジーナさんは入り口を振り返る。
「今から食材を買い揃えてきますから、寛いで待っててください」
「買い出し手伝いますよ」
多量の荷物をアイレスに持たされていたばかりだが、俺は同行を申し入れるとジーナさんは人差し指をそっと唇に添える。
「料理は出来上がるまで内緒です。だからそれまで待っててください」
「そ、そうですか。じゃあ待ってます」
なんださっきの唇に指を当てる仕草、すごいドキッとしたぞ。
「それじゃあ行ってきますね」
微笑んでジーナさんは買い出しに向った。
それからジーナさんの帰りを待つことしばし、俺はアイレスの分の買い物の荷物を昨夜アイレスのいた応接室のドアの傍に置いておいた。応接室に入ろうとしたが鍵がかけられていたので、他に置き場がなかったのだ。夕食に使うダイニングテーブルにあると邪魔になるからな。
俺が手持無沙汰で自分の部屋に戻ろうと階段に足をかけたところで、入り口のドアの外からジーナさんの声がする。
「ガーゼルさん、開けてください」
「あ、はい、今開けます」
両手が塞がっているのだろう。俺はドアを開けてあげる。
「ありがとうございます」
野菜の頭が飛び出している布袋を両手で抱えたジーナさんが、ふらふら危なっかしい足取りで入ってきた。
「俺が持ちます」
見ていられず、俺は袋を抱えられるよう腕を伸ばすと、
「調理台までお願いします」
ジーナさんがその腕に袋を載せて手を離した。
おお!
一食分の食材とは思えない、とんでもない重量が腕にのしかかった。
これ、夕食だけで使い切れるのかな?
重いとはいえ運べないほどではなく、キッチンすぐ近くの調理台まで運び終えた。
「それじゃあ二階でゆっくりしていてくださいね。出来上がったら呼びますから」
「わかりました」
調理過程も秘密にしておきたいのだろう。
ダイニングテーブルの椅子の背にかけてあったエプロンを手に取って、ジーナさんは背中の紐をキュッと引き締めた。黙然と取り掛かる。
どんな料理が出来るんだろう?
期待に胸を膨らませて俺はリビングを出ると、自分の部屋に戻った。
料理の完成までベッドで仰向けになって、寝心地の良し悪しを確認していた。
どうも枕が自分には合わない。
寝具は大体軟らかいものを選ぶのだが、この枕はかなり硬い。
首が疲れる。これじゃあ身体が完全に休まらない。
昨日のうちに確かめておけばよかった。街の寝具屋で買えたのにな。
とはいえもしアイレスに寝具屋の場所を聞いたとしても、それぐらい自分で探しなさいよ! とどうせ一蹴されるだろう。
__後でジーナさんに聞くか。
その時、ドアが控えめにノックされた。
「ガーゼルさん」
ジーナさんの声に、俺は身体を起こす。
「出来ましたよ」
俺がドアを開けると、ジーナさんが微笑んで立っている。異様な様相のエプロンに目が留まる。
まさに怪奇。
食肉の血が飛び散ったのか、暗赤色の斑点を作っている。人体解剖に使うエプロンみたいになっていた。
昨日の美味しい料理を思えば、料理が下手というのはありえない。むしろ上手だ。勢いよく肉を切ったんだろう。すれば血も飛び散こともあり得る。
「どうかしましたか?」
俺の戸惑いを見て取ったのか、ジーナさんが心配そうに訊いてくる。
「エプロンすごい汚れてるなって……」
「すぐに洗いますよ。それよりスープは温かいうちに食べるに越したことはありません」
へえ、スープか。
期待していた俺は、満足な仕上がりなのか嬉しそうなジーナさんと共に、階段を降りてリビングに入った。
「座ってください。今、お皿につぎますから」
そう言ってテーブルの鍋敷きに湯気の上がる大ぶりの鍋を置いた。嗅いだことのない不可解な匂いがする。
俺が鍋の前に座ると、ジーナさんは木製の深皿にスープを注いだ。
俺は衝撃に打たれて肝を潰した。
注がれたスープが濁っている。それも赤紫色に__。
急に食欲が失せた。失せて当然だ。
恐る恐る尋ねる。
「ジーナさん、これはなんていうスープでどうやって作ったんですか?」
________
______
____
__不安にさせる沈黙。
ジーナさんが笑顔で口を開く。
「特製のスープです。いろんな食材を入れて煮込んですよ」
いろんな食材って、それほんとに食材ですか?
「食べないんですか?」
「え、ああ。香りを味わってるんですよ」
無理に笑顔を浮かべて、俺は答えた。
「あー、困ったわ」
時機を見計らったように入り口から、疲れを滲ませた声が聞こえた。
アイレスのご帰宅である。
何か思索している様子のアイレスが、何心なくリビングに入ってくる。
「今日は遅い夕食ね」
そしてテーブル上の鍋と俺の前の皿を見て、途端に瞠目する。
「ガーゼル、それ……うっ」
言葉の半ばでえずいた。
ジーナさんが慌てて駆け寄る。
「アイちゃん大丈夫?」
いかにも苦しげな表情でアイレスは、口を手で押さえ首を横に振る。
「外で食べ過ぎちゃっただけ……私の分はガーゼルにあげて」
なんですと!
「私は部屋に行くから」
言って俺に目配せする。
アイレスの憐れむような瞳に俺は愕然とする。決死隊の戦友を見送るような瞳だ。
「ちょまっ……て」
俺が引き留めようとすると、足早にリビングを退散して向かいの応接室に駆け込んで激しくドアを閉めた。
見捨てないでくれ。
「残念です」
ジーナさんが肩を落として落胆する。
「これ私が昔、初めて作った料理なんです。あの時アイちゃんが美味しい美味しいって水をたくさん飲みながら食べてくれたので、思い出の一品なんですよ」
俺に聞かせるともなく語る。
水で無理矢理流し込んでただけだよね?
「ガーゼルさん」
「な、なんですか?」
中々手をつけない俺の傍に来る。
えっ、何?
「暑くて食べられないんですか。それなら私が冷ましてあげます」
ジーナさんはスプーンを掴んでスープを掬うと、唇をすぼめるようにして息を吹きかけた。
えええ!
「これでいいはずです」
スプーンを俺の口に近づける。
ジーナさんの得意料理と指定した俺が、やっぱり違うのがいいなと言うのは失礼だ。それではまるで出された料理が気に食わないと言っているようなものじゃないか。
それにジーナさんが作ったんだから味には問題ないはずだ。自身はないけど。
「いただきます」
俺は差し出されたスプーンから、赤紫の液体を口に含んだ。
味を形容する暇もなく、口内が赤紫の軍勢に陥落した。
アイレスが吐き気を催して、逃げ去ったわけがありありとわかった。
屈託ない笑顔で訊いてくる。
「美味しいですか?」
事実でもこの笑顔では、不味いとはとても言えまい。
「お、美味しいですね」
引きつり笑いで俺はやむなく答える。
「いっぱい作りましたから、おかわりもありますよ」
マジかよ__。
拷問だぁ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます