一章4

 

 突然、ドアを強くノックする音が聞こえた。

「起きなさいガーゼル!」

 誰かが口うるさく、ドア越しに怒鳴ってくる。

 俺は不快な思いで身体を起こす。

「うるさいよ、朝っぱらから」

 ドン、と床が激しく足踏みで揺れる。

「早く出かける準備しなさい。リビングで待ってるから」

 へいへい。

 俺はのろのろベッドから起き出して、身なりを整え階下に降りた。

 リビングに入ると、アイレスは窓の傍に凭れて退屈そうに髪先を弄んでいる。

「ジーナが自分の分のトーストを寝坊助のあんたにくれたのよ。後でお礼言っときなさいよ?」

 テーブルを顎で指し示して言う。

 ジーナさん、ありがとうございます。

「ぼけっとしてないで早く食べちゃって。一日かけて市街を回るんだから」

 もっと早くお望みの時間に、起こしに来ればいいものを。がみがみとうるさいな。

 とは思ったが口にはせず、急いでトーストを食べ進めた。滅茶苦茶美味しかった。

 その後すぐにアイレスに連れられ、街に繰り出した。



 街に繰り出したはいいが、アイレスには自分で荷物を持つという考えが毛頭無いらしく、俺が山盛りの荷物を全て持ってやらなければならなかった。

「ちょっとくらい持ってくれよ。お前の荷物だろ」と俺が文句を言っても、

「あんた、男でしょ」と一蹴されるだけだった。

 昨日も旅行鞄を持っていた腕に、これ以上の負荷をかけないで欲しい。

「うん?」

 不意にアイレスは怪訝な顔をして足を止めた。

「どうした。歩き疲れたか?」

 冷やかしに言ってやるが、彼女は表情を変えず通りの反対側を指さす。

「すごい人だかりよ」

 アイレスが指さす方を見遣ると、都会の建物としてはみすぼらしいアパートメントの入り口前に、奇妙な人だかりができていた。

「あれがどうし……」

 俺が尋ねるよりも早く、アイレスは人だかりに向って駆け出していた。

 どうしたんだ?

 置いていかれると道に迷うことが無いとも言えないので、仕方なく追ってみる。

 人だかりに紛れるのかと思ったがそうでなく、アイレスはその脇を抜けていき、その先の筋骨逞しい男の前で止まる。男は人だかりを、憮然として眺めて立っていた。

 近づいて見るとその男は、皴のできた警察の制服を身に纏い、無精髭を手で何の気なくさすっている。

アイレスは警官に何の用があるのだろう?

「おー、アイレスの嬢ちゃん」

 警察の男が、近づいてくるアイレスに気さくに手を挙げる。そして、アイレスの後ろにいた俺にも気が付き不審げに見つめてくる。

「坊主は……見たことねえな」

 俺もあなたとは初対面ですよ。

 自己紹介しようと口を開きかけて、男の目が鋭くなる。

 ええ、何?

「もしかしてアイレス嬢ちゃんの彼……」

「ち、違う違う」

 男が全部言い切る前、にアイレスが激しく首を振って激しく反応した。

 何が違ったのか俺にはわからない。

「ガーゼルはお父さんの甥で、あたしの従兄」

「ほんとか坊主?」

 嫌ににやついて男は俺に顔を寄せる。

「ほんとですよ、アイレスの従兄のガーゼル・シルバです」

 気圧されながら、俺は頭を下げた。

「そうだったのか」

「なんだと思ったんですか?」

「いやあ、なんとなく。ちなみに俺はアレックス・フャーガっていうこの街の警部だ。よろしくガーゼルの坊主」

にかっと笑いフャーガ警部は名乗った。

「つかぬことを訊きますが、アイレスとどういう知り合いで?」

 俺は当然の質問をする。随分、親しそうにしていますが?

「なんだ、知らねぇのか」

 意外そうに俺を見る。

「ガーゼル、この人はあたしのお父さんの仕事仲間よ」

アイレスが説明すると、フャーガ警部はアイレスに顔を向き直る。

「ところでアイレス嬢ちゃん。仕事の方はどうだい?」

 訊かれてアイレスは渋い顔になる。

 探偵の仕事って、叔父さんの手伝いでもしてるのかアイレスは?

「稼ぎはいまいちね。悔しいけど、あたしはまだ解決した前例が少ないもの。お父さんの時と比べると大幅に依頼件数が減ってる」

「まだまだこれからだ、アイレス嬢ちゃん。悲嘆することはない」

「慰めは不要よ、自分の実力不足は痛感してるもの」

 警察の男は諦観したようなアイレスに溜息を吐く。

「ダメだな、アイレス嬢ちゃん」

「どういうこと?」

 アイレスが眉をひそめ訊き返す。

「エモンとアイレス嬢ちゃんの差は、心意気だ」

「それがどうしたって言うの?」

「うまく言えねぇが、まあそれが差だってことだ。わかるだろ?」

 フャーガ警部は真剣な表情で問う。

 なんとなくは、とアイレスは小さく頷いた。

 よし、と警部は納得し、入り口の人だかりを睨みつけると、威圧的な声で追い払う。

 けっこう強引だ。

 ぶつぶつ不満を呟き人だかりが散っていくと、アパートメントの入り口周辺には俺とアイレスと警部だけになった。

 入り口のドアが開き、警部に同じく警察の制服を着た若い男が出てきた。

 若い男の人は、警部に駆け寄り言った。

「被害者はアリシー・アルベロア。発見者は息子のクリス・アルベロアで、死因は何者かによる他殺と断定しました」

「そうか、わかった。俺もすぐ行って検分する」

 部下らしき若い警官の報告に、ファーガ警部は頷いた。

 若い警官がアパートメントの中にせっせと戻ると、警部はアイレスに顔を向けニヤリと微笑んで、

「仕事だアイレス嬢ちゃん……いや探偵アイレス・フェルナンド」

 探偵アイレス・フェルナンド? 

 俺の内心の疑問に構わず、アイレスは頷き返し、

「ええ、あたしも見ていく」

 と即断してしまった。

 俺は訳がわからず困惑して、マンションの入り口に警部と共に歩き出したアイレスに尋ねる。

「ちょっと待って、何でアイレスが探偵なんだ?」

 ぶっきらぼうに目を細めて俺を見、

「ガーゼルは先に帰っていいわよ」

「帰ってと言われても、お前はどうするんだよ?」

 すると彼女は目を怒らせ、

「いいから荷物持って帰ってなさい」

 そう強い口調で言われ、俺は竦んだ。

 俺が呆然としている間に、アイレスはアパートメントの中に入っていった。

 怒ることないだろ。

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