やばい
気が向かなかったけど仕方ない、放課後、あたしはきょうは渋谷ではなくって穏和学園とやらに行ってみることにした。ほんとに気ぃ向かないの、ほんとに。めんどいし。だれがあたしに喧嘩なんか売ってくれてんだってカンジ、しかも偏差値48の花嫁育成学校のぬぼっとした女がさ。なにさまってつもり。穏和の花、ねえ。どうせあれでしょ、丸顔でBMI値の平均値余裕で超えてる微ブスなんだけどさあ、感じがめっちゃよくってみんな好感もってるみたいな。花散里とか古文の授業の源氏物語でやったよね? ふんわふんわふしてて優しくってさ、お母さんみたいなの、光源氏も彼女といるとなんか安らいじゃってるワケね、……でも安らいでる時点でおまえ女として終わってるだろ! って、クラスのみんなと源氏物語の期間はやいのやいので騒いだよなあ。その学期の古文の平均点がまさかまさかのあたしたちのクラスがトップで、笑っちゃったよ。だってウチら理系だよ? ってそれはそれでさーんざんはしゃぎまわってさ。でも点数がじっさいいいわけだからセンセもなんも言わないの。
なあんて。思考の渦に、自分を巻き込んでみたりして。
穏和の花。なんかじつにあの花散里、っぽいじゃん。リアル花散里。あっ、これクラスで言ってみよ。ウケんじゃね?
そんな種類の女があたしになんの用よってカンジ。
なあんて、なあんて。ちょっといやなやつ、気取ったりしてね。
しかも……あたしの志望大学まで割り出してやんの。どうせ偏差値48だったら大学だって行っても行かなくてもおんなじみたいなレベルなんでしょ? 帝大志望とか言ったけど、そんなのたぶんあたしの個人情報としてしかわかってないでしょ。そのすごさとかさあ、高二時点で数ⅢCの応用問題の段階に入ってるとかさあ、だから大学生の男どもにもかわいがられちゃうんだとかさあ、そのあたり、まーったくわかってないんだよねきっと、そういう女子高の人間っていうのは。
なあんて、なあんて、なあんて、さ。
心のなかでそうやってなんどもなんどもなんども穏和の花とやらを馬鹿にしておいた。
……だって、じっさい、ざわざわする、のだ。あたしのなかのなにかが黄色で点滅してる。
わからない、といえばたしかに、わからないのだ。
クライアントという言葉。……あきらかに、大学生アサシンズ、絡み。だよね。
もしや、バレた? そう思ってあの昼休みのうちにあのふたりにはメールしておいた。けど、返信が来ない。怪しい。……諭吉を百枚も払ったんだから、蒸発でもされたら、あたし訴訟でも起こしてやっちゃうよ。……訴訟ってどうやればいいのかわかんないけど。文系の知識は、ないのだ、あたしは。
「……ったく」
ふだん降りない電車の駅で降りて、駅の能天気なBGMにまぎれて小さく舌打ちをした。敬女の制服を着てるからあたしは敬女としてふさわしいふるまいをしなければいけないのだろうけれど。でもこっそり舌打ちするくらいならいいだろう。
見ると、電車には馬鹿っぽそうな女子高生たちが乗り込んでいく。……穏和学園の制服だ。さっきケータイでがんばって画像読み込んでもっかい予習しといた。ベージュ色のダッサい制服。家政婦の仕事着みたいだ。制服着たやつらはなんというか全体的に、鈍そう。どれもこれもがふんわふんわとしてばかりのおバカちゃんに見える。灰色にくすんだダッサイ制服にお似合いだ。
穏和学園はこの駅を降りて五分ほど歩いたところにあるという。べたつく暑さに辟易しつつ、さてまあ行くか、とエスカレーターに乗る。小さな駅だからのぼりのエスカレーターしかなくて、右の広めの階段からは穏和の学生たちがぞろぞろと降りてくる。
あたしは見るともなしにそのくすんだベージュ色の動きをぼうっと視界に入れていた。
……と。
ひとつ、異質なものが、見えた。黒。真っ黒。……長い。なんだ、あれ。髪?
髪がやったらめったら長い穏和学園の人間がひとりだけいる。よく見たら……階段の降りかたも、おかしい。両手でバランスを取って、たんたんたん、とリズミカルに降りていく。まるで階段でひとり遊びをしているかのように。なんだよそれ。幼女かよ。精神年齢幼いのかよ。たしかにまあ穏和の女たちってもんのすごく鈍くさいし幼いっちゃ幼いのだろう。こういうとこの生徒ってみんな処女なんだろうし。とか言ってしまうのも、偏見なんですかね。
しかしそれは、なんというか、周囲のおなじ灰色の制服を着た人間たちとはまた異質の幼さのような……気がした。
髪が、ゆれる。ゆれる、ゆれる、ゆれる。結んでもいないのだ。校則違反なんじゃないのか。髪くらい結べよ。髪さ……すっげー、きれいじゃんよ、そんな高校の人間なのに……。
あたしは気がついたら彼女をガン見してしまっていた。
エスカレーターと階段、あたしと彼女の位置が、すれ違う。
彼女は、あたしに気がついた。すっげー美人。
きょとん、としたのはほんの一瞬で、すぐにぱあっと花が咲いたように笑った。
「あー、いました。見つけました!」
聞き間違いじゃなければ、いました、と――そう、言った。
「ちょっと待っててくださいね?」
彼女はあきらかにあたしに向けてそう言うと、ダンダカダンダカダン、と勢いよく階段を下りていった。
そして下からエスカレーターに乗ってきて、右を歩くと、あっというまにあたしの後ろにくっついてしまった。
あたしはさすがにぞっとする。
……え。なにこれ。……こわ。ストーカーみたい。……え?
馬鹿女子高の制服を着た美人はにこにこにこにこしてエスカレーターの一段低いところからあたしを見上げている。しかも、なにも言わない。
気が動転しすぎてあたしはとんちんかんなことを言ってしまう。
「……あのさ。上で待ってれば、よかったんじゃないの?」
「うん。でも、それはだめなのです。わたしはいつでも下から行かないとなのですよ、人間のかたを上から待つだなんて、そんなのはわたしの越権行為になってしまいますから」
……なにを、言っているのか、よくわからない。
にこにこ、にこにこ、にこにこにこにこしている。
雰囲気はたしかに花散里と遠くはないけどこんなではない、すくなくとも、――この人間はそのたぐいでは、ない。
穏和の花、だって?
まさか――そうは言わないよね?
「あ、えっと、失礼しました。……わたし、穏和の花です」
その笑顔は一定して人懐っこく、どこか嬉しそうでさえある。
「
エスカレーターはもうすぐ終わる。
――やばい。
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