その日、太陽のもとで何が在ったか?(2)文系人間の作戦

 応接室。天王寺家の最も表面に近い位置の応接室だ、即ち最も外部の人間を受け容れる部屋、――或いは受け入れる振りをしているとでも云うべきか。

 無論外客にそのような事は悟らせもしないが実際弘仁だけはこの応接室の妙な余所余所しさに感覚的な所で気が付いていた。彼が感じているのは本当に、過不足無き余所余所しさ。紅と濃茶で統一された部屋は温かみがある。トロフィーや賞状等ある意味では余分な装飾が存在しないのも嫌味ではなく落ち着いた印象を与える、此処は金持ちの家であるのに随分とマア着飾る気持ちも無いのねえ、と。――だが人人は感覚的に気付いてる。……この応接室、余りにも落ち着いている。


 弘仁は感覚的な人間であるので未だ其れを言語として解してはいない。だが、感じている事象自体はバッチリと正解であるのだ、――つまりして、この部屋には個性が、無い。

 天王寺家らしさもなければ青年ふたりは存在も知らぬ当主らしさ、何んだって良いのだがそんなのは、ともかく、――何んらかの個性も何にも感じられないからこんなにも温かく出迎えていながらしてこの部屋は実際ただの廃墟なのだ、イヤそれにもあるいは劣るかも知らん。何せ、何せ、――この部屋には血が通っていないのだから、エエ。


 篤と言えばその点は何んにも感じていないようでヌボッとして居る。弘仁はそんな相棒に若干の苛立ちを隠せない。だが篤がヌボッとして見詰めているのは窓の外の景色なのであり、それは情緒的な鑑賞ではなく光の角度を頭の中で計算しているのだ。篤は光の角度が好きだ。乱反射、と云うことの専門家に成りたいと思って居る。


 そういう訳で、飯野からすればこのふたりは本当に只の野山育ちの餓鬼でしかない。――だが飯野は同時に抜け目のない人物でもある、油断等する訳もない。人は見た目に依らないなんて事、飯野が屋敷でも最も判っているくらいであるのだ、――ある意味では天王寺薫子よりも、或いは。



「はいはい、それで、何が起こったので御座いましょう。……随分賑やかで御座いましたけれども」


 飯野は表情だけはまるで涼しく真紅のソファに座って居る。暗めの応接室だというのにサングラスを外すこともしない。無論、飯野は目が悪いわけではない。寧ろその逆だ。飯野はそれでもサングラスを掛け続ける。天王寺薫子以外の人間に生の瞳を見られることをこの女は大層、怖がる。無論、無論、――そこまでは侵入者ふたりは知る由もなし。エエ。だがサングラスはともかくとして立体的な皺だらけの額と頬には玉の如き汗が浮かぶ、――飯野は俗人であるので天王寺薫子と違い暑くてきちんと汗を掻く。


 青年ふたりは整った演技をきちんと続行する。顔をチラリ見合わせる、だなんて失態を彼らは犯しやしない。


 先ずは弘仁と比較してより人の好さそうな篤から。いつものパターン。フォーメーション、A。


 フゴフゴ、絵本の子豚ちゃんの如く。


「あ、あのっ、いきなりすみませえん僕たち、あのお、失礼だとは思ったんですけどお、変なひとお、いてえ……なあ、弘仁ぉ」


 弘仁は寧ろ知的に神妙に。普段の嫌味ったらしさは何処へやら。


「そうなんです。いきなり失礼してしまって本当に申し訳ありません。ただ、此方のお家を狙っているようでもあったので。そういう意味でも……不躾ながら、インターホン押させて頂きました」

「……はあ。その不審者とかいうのはどういった格好です。と言いますか、何をされたのですかあなたがたは、不審者不審者とは仰いますが」


 実際にはふたりの視線は交差しないが、胸の内でふたりはいま合図としての目配せを交わしあった。

 篤がアセアセといった仕草でしどろもどろな体で説明をする。


「そのお、それがあ、こう、僕たちをお、尾けてきたあ、と言いますかあ……」

「はあ。……はあ。と言いますか、そもそもですね。あなた方何用だったのですか。この辺りは静かで御座いましょう。……やんごとなき御方ばかりが暮らしているのですよ。……此処のあたりに不審者が現れるとなれば政治さえも動いているのやもしれぬ」


 ええーっ? ととぼけて笑おうとする篤を制して、弘仁が出張る。

 作戦変更。弘仁の前では既に、ルートが変化している。

 それはひとえに飯野阿子の本性を嗅ぎ取っているからだ。


「――俺らも不本意なんですわ」


 篤は弾かれたように弘仁の横顔を見る。子豚の仮面はその表情からは既に剥がれてしまっている。


「やっ。困っちゃったんですよお。やっべークライアントなんですわ。……おばちゃん話が通じそうだね。俺らの話、――聴いてくれます?」


 飯野は、むすっと。


「……お子さまと交渉をする気は御座いませんが」

「うん。だから、ボクちゃんの話を聴いてよ」


 弘仁はしれっと言う。ママー、ママーだなんて悪ふざけをしているが、篤には全く、笑えない。

 飯野は小さく溜め息を吐いた。


「……はあ。まあ。よござんしょ。どうせ午後には仕事も無い。……あの子にはきちんと指示しましたよね、わたくし。お坊ちゃまのご帰宅までにお昼の時間を終わらせろ、と、ああしかし……いえいえ。よござんす。お話、聴きましょう。ただ少々お待ち下さいね。……わたくしこれあっても僅かには午後の仕事等も御座いますものでねえ。使用人と言えども暇だと思われてしまっては困るのですねえ……」


 ふたりには意味の解らないことをブツブツと呟きながら、飯野は応接室から一旦出て行った。……無論、公子のところへ向かう。



 ふたりは暫し沈黙していた。



 おまえなあ! と篤が唐突に激昂し、……しかし其れでも余裕を崩さぬ弘仁は、悪戯っ子のように篤に作戦を説明した、それこそ悪餓鬼のそれでいて、しかし、――理系の篤も話の内容自体にはハアと納得した、ただ――危険だ、と言った。



「……僕はそこまでリスクは取りたくない」

「それだから篤、おまえ、博打も楽しめないんだろう」

「あんなの。リスクが結局大きい。意味のないことだよ。だから。そうだよ。……いまから弘仁がやろうとしてるのは、博打だ」

「ああ。なんがわりいよ? ……俺は理系じゃないんでそうやってガチガチにリスクだのなんだの考えねえんだわ」

「あーあ。これだから文系は厭だ」



 そんな話をしていると、飯野が、……戻って来た。

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