その日、太陽のもとで何が在ったか?(1)裏門目掛けてざくざく進め

 ふたりの青年――中山篤なかやまあつし本条弘仁ほんじょうひろひと、おどおどおどと見え透いた演技を続けながら、飯野阿子いいのあこの案内で、天王寺てんのうじ家に入って行った。飯野は裏門を案内する。飯野はそのあたりは本当に厳密に処理している。彼女にとってはその区別は至極簡単でシンプルなものだ。即ち、家の客であるか否か。


 招かれているか、招かれていないか。



 飯野は当然彼らを正門ではなく裏口に案内した。緑の芝生の豊富な裏庭。裏庭といったって天王寺家のそれなのだ。小学校の湿った陰気な裏庭とは訳が違う。陽射しを浴びて明るい。尤も、燦燦(さんさん)とした太陽光を浴びすぎたが故に、その裏庭は寧ろ不自然にグロテスクである程にはでっぷりと太っていた。篤など、目じゃないくらい。

 なんというか草木が膨張しているのだ。どの植物も些か元気すぎる。今に人を喰らいそうである。


 そんな中を庭の番人でもある飯野はひょいひょい進んでいく。

 銀色のお玉を片手に持って腰を曲げて進む飯野は、まだ、すべてに気がついたわけではない。だが厄介事だとは当然気がついている。不審者騒ぎは、頻繁にとは言わずとも、まあ割とあることだ。なにせここは天王寺家、天下の天王寺家本家なのだ。若者の悪戯や酔狂という可能性は当然あるし飯野も当然思い至るが、実際不審者というのが現実レベルの迷惑行為として存在する以上、この若者たちの話を鼻から嘘と決めつけるのは寧ろ飯野の落ち度となってしまう。というかどちらにせよやることは同じ。この若者ふたりを確保すること。その後でたっぷり反応をしてやればよい。飯野は自分が礼儀正しいと思っているからちゃんと反応をするようにしている。


 即ち。

 この人の好さそうな青年達が誠に困っていたのであればその辺りのメンタルを最低限ケア、と言うか同調する振りをして、適切な情報を的確に聞き出し、お礼に札束入りの高級菓子でも与えよう、と。……ちなみに札束入りの高級菓子は天王寺家の文化だ。古き良き文化であって、遡れば直近であってもそれこそ江戸時代には辿り着く。



 だが。……反対に。

 何かの謀略であれば制裁を与えねばならぬ。



 はあ。……めんどうですねえ、きょうはこんなに暑いからあんまり動きたくもなかったのですけどもねえ……。



 飯野がそうやって曲がった背の表面にあるとされている心とかいって、内心そういうことを考えているということをこのふたりは、知らない。




 しかし飯野もまた、このふたりが誠に謀略のタヌキとキツネであることを、知らない、――だ。

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