ブラックコーヒーいらず、だけれど

 悪い元カレではなかった。そういうふうに言うことだって、できるのだろう。そもそも中二なんかの青い歳からもう四年も経ってとっくに女子高生で恋愛のあれこれだって知って、こうやって男子大学生たちとも対等もしくはそれ以上につるむようになって、やっぱわかったのは、あんなんじっさいには恋愛って呼びづらいっていうことだ。つきあったとかいって、あのカフェでお茶をしてつきあおうといったのがはじまり。たしか、六月だった、梅雨でじめっとしていたな。それで梅雨明けを待たずに別れた。つきあったのは、十四日間ちょうどだったと記憶している。あたしたちは日曜日につきあいはじめて、日曜日に別れたのだ。中学生だったし、あたしたちはいくらたまたまおなじ敬展けいてんの名前がつく学校だからって、けっきょくは別の学校どうしだった。しかもガチの男子校とガチの深層系女子校。どちらもガチガチの箱入り。そんなにたくさん会う機会はなかった。土日のどちらかはお互いのために使おうねって約束してた。



 なにせ、別れる理由が、ほんとうにひどかった。



 あの日。梅雨明け直前の日曜日。出会ったときとおなじカフェで。チェーン店ではないカフェで。けっきょくあたしが生涯で三度しか訪れることのなかったあの、とってもおしゃれですてきな、カフェで。


 未来は誠実そのものみたいな顔をしていた。唇を引き締めていた。


『綾音には、ほんとうに悪いと思ってる。すまないっ』


 ドラマみたいに、そんなふうに、頭下げられても……白けるっつーの。むしろ。でもそんなことは言えるわけもなくて。あたしはただ呆然としてる女みたいで。それがまた、嫌で。


『完全に僕のエゴだ』


 そうでしょうよ。


『こんな覚悟なら最初から断っていればよかった』


 そりゃ、そうでしょうけど。


『僕のせいだ。責任は僕にある。綾音は、悪くない』


 えっ、そりゃそうでしょう。むしろあたしなんもしてないし。なんかそういう言いかたってモヤる。


『いくらでも責めてくれてかまわないんだ……』


 そんなに自分に酔われちゃっても困るんだけどさあ、



『じゃあ。なんで、別れるの。いきなり。……あたしたちこれからゆっくりお互い知ってこって、言ったじゃん。話し合い。したじゃん……』



 ミーン、ミンミンミンミーン……。



 蝉の音が、室内でさえも、くっきりしていた。たぶん、もうすでに夏なのだった。


 ホットコーヒーなんて頼むんじゃなかった。とても中途半端に残した液体はインクそのものみたいで気持ち悪い。



『……コロが』

『……え? また、犬の話?』

『コロが、悲しむんだ。いや違う。あいつはなんも言わないし笑ってる。でもなんか、悲しんでいるように……見えるんだ』

『……犬が悲しむことなんてある?』

『ないかもしれない。けど、コロは、さみしそうだ』

『……え。犬? 犬なの? 犬で、あたしら、別れんの? てかあたし、振られんの?』



 家とか学校とかでさんざんきゃいきゃい言われた、天王寺家の玉の輿、なんて話では、なくて。


 ――あたしは自分がすごくすごくとんでもない理由で振られそうであることを察知していた。


 しかも。これから好きになれるかも、って感じの、――彼氏に。



 未来はふっと顔を上げた。すごく、すごく、真摯な、顔で……。



『うん。ごめん。綾音。……俺はコロをほっとくことはできないんだ』



 あたしはなんか、なんも言えなかった。



 理不尽とか、なんというか、なんかさあ。……ちがくない? それは。



 蝉がミンミンミンミンいっててうるさくって、蝉も犬も人間じゃないって意味じゃおなじなのに、あたし、そっか、……振られるんだ。



 いや。……振られた、のか。



『……あっそ。あんた。つまらんね』


 あたしの声は最後わずか震えていたのだ、つまらんのは、――あたしなのかもしれないけれど。


 玉の輿とか、ううん、そんなんじゃなくて。




 こんなふうに楽しく遊べる男の子。ブラックコーヒーを気取らず飲める男の子。クラスの子たちとはできない理科の話とかできて。宇宙に行くことだって夢だなんて笑わない。数学の好きな男の子。あたしが理科をやるから、いっしょに宇宙船をつくりたいだなんて笑ったのは数日前のここの喫茶店でなのだ。



 宇宙船? ハッ。馬鹿らしい。

 ブラックコーヒーなんて飲めなくたって、宇宙にくらい行けるんだよ、……あたしは。

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