穏和の花

「えぇー、なにそれ。怪しくない?」



 サンドイッチをはぐはぐ食べながらおおげさに顔をしかめる友子ゆうこがうっとうしくて、あたしまでまるで伝播したように顔をぎゅっとしかめてしまった。あくびも移るっていうし、人間の本能なんだろうけど。あたしはそう分析している。


「怪しくないよ」


 あたしはそれだけそっけなく返した。友子はべつに親しいってわけじゃないけど、毎日いっしょにお昼食べてるから、まあ一般的にいう友だちなんだろうな。友子は一見すると清楚な女子って感じなんだけど、よく見るとすっぴんっぽいその肌はきっちりナチュラルメイクだし、日本人形みたいな髪に放課後はレインボーのウィッグを混ぜて遊んでるらしい。友子も友子で、学校には居場所を見出していない子だった。あたしもそこは共通してる。だから、利害関係が一致して、こうやっていっしょにお昼食べたりもしてる。まあね、どんなビジネスライクな関係性であっても最低限の関係性のメンテナンス作業は必要だから。


「だって、なに、アサシンズって。あやしー。オタクかよ」

「オタクだよ。あいつらどう見ても」

「ひえー、きっもちわっるー。大学生にもなってさ。綾音、そーゆーのヘーキなわけ? オタクいけるクチだっけ?」

「べつに好きでもないけど。嫌いでもないし。だいたいそういうの目的達成のために関係ないし」


 おおこわ、と友子はおおげさに肩をすくめると、食べ終わったサンドイッチの袋をくちゃくちゃにしながらケータイをいじりはじめた。世のなかにはスマートフォンってものが出回りはじめてるけれど、このぎりぎりゼロ年代の時代、高校生にはまだそこまでスマートフォンは浸透していないのだ。


 あたしはあたしで家で握ってきた特大おにぎりを食べる後半戦をはじめながら、ぼんやーりと考えをめぐらせている。


 昼休みだから教室はうるさい。高三。受験生。進学校というか超進学校、だってここはケージョなのだし。しかもこのクラスは理系進学クラス。それなのに休み時間の教室はうるさい。だれも単語帳さえ開いていない。ぎゃあぎゃあ騒いで猿の群れみたいだ。盛り上がってるねえ、ケージョブランドでオヤジから金巻きあげる遊びがそんなに楽しい? ねえ、そういうのセンス古いんじゃないかな、いまどき。……あたしみたいに大学の連中のひとつにくらい忍び込んでみろってハナシ、ちなみにあたしは彼らのだれともいちども寝たことはないし、……まあBまでってとこよね。


 すごく不謹慎なんだけど、おばあちゃん、どうせ死ななきゃいけないんだったら、あたしが高等部に上がる前にそうなってくれてよかったなあ、って……ううん、よかったなんて言葉は正確ではなくて、そりゃおばあちゃんに生きてほしかったって思うウェットで人間らしいあたしもいる、でも常識的に考えれば祖母が孫より先に亡くなるのは当たり前のことだ。むしろ逆だったら祖母不孝じゃん。


 それなんだったら、あのタイミングでよかったかも、っていうこと。中等部までは、あたしも、がんばっていた。完全無欠のお嬢さまになろうとしてたんだ。おばあちゃんが、おばあちゃんが喜ぶんだってずっとあたし張りつめてた。だから、ぷつんと切れた。違うよ、おばあちゃんのせいにしてるわけじゃない、でも……おばあちゃんがいまのあたしを見たら、きっとそっとあの哀しそうな顔をするよね。おばあちゃんは言葉少なかったけど感情表現の豊かなひと、だった。……お上品、そのもの。



 渋谷で男子大学生たちとオールをしまくるあたしなんて見せたく、なかった、から。

 ……ましてや、そのうちのひとりのあやしー子豚くんとそのあやしー黒ずくめの男に、動物殺しとか、依頼するなんてね……。



 あたしね。矛盾してること、わかってる。毎日毎日、ぶれるんだ、これが。ファストフード店であいつらに依頼したのが先週末でしょ。で、きょう、月曜。あいつらに依頼したときにはあたしも妙にテンション高くて百万なんかぽーんと渡して、おばあちゃんの無念を晴らすっ、だなんてけっこう本気で思ってたけど、なんかね、なんだかねえ、おばあちゃんのあのふっという哀しげな顔のビジョンがすごくよく、浮かぶの。



 ……冷静に考えれば、おかしいのか。おかしいよな。元カレの犬に嫉妬して、殺害を依頼……。

 自分では筋が通ってると……思うんだけどな。

 あたし。……あたしは。




 なんか、おかしくなっちゃってるのかな?




「……綾ちゃんー」



 机を椅子代わりに座ってほかの子たちと談笑していたはずの派手グループのひとりがあたしを呼んだ。梨華りかだ。グループは違うけどファッションセンスが似ててときどき雑誌とか小物とかの貸し借りする。

 ……あと、ちょっとした、共謀関係でもある。

 梨華は、困惑ぎみな感じ。なにー、と返すと、ちょいちょいと手招きをする。


「はい、なになに、なんですか」

「綾ちゃんってさあ、穏和おんわ? 穏和学園? とか、知ってる?」

「なにそれ、知らない。でも名前知らないんだから底辺なんでしょ」

「うーんまあ。なにを底辺というかによるけれど。でもうちらと違うのはたしかだね。いまネットで偏差値見たら40台だしね。でもわりとうちの近所よ。路線おなじだし駅なんこかぶん」


 梨華はあたしに携帯電話の画面を見せた。あたしは、覗き込む。穏和学園という女子高の情報だった。普通科、調理科、英語科。学校紹介の感じを見るに、たぶん最初から受験戦争よりも女の戦争に生きる運命の女の子たちが行くような学校だろう。敬女はまったくタイプが違う学校だし、ほかの高校の女の子は釣り合わないから基本的には女友達は敬女のなかで完結する。だからこういう学校に通う女の子ってどんなんだろうとはじめてそんなことを思った。制服もなんかおばちゃんの割烹着みたいでダサい。ベージュ色だし。ぬぼうっとした女の子が通うのかな、ってくらいの想像しか、できない。


「なんかさあ、私もよくわからんのよ。友だちの友だちの友だち? みたいなレベルのすっげー遠いやつから情報回ってきてんのね。しかもその情報の中身ってのがまたわけわからんくてさ」

「……それがあたしになんか関係あることなの?」

「穏和の花ってのが、なんかクライアント――つまりアンタに会いたいんだってさ。穏和の花とかいって意味不明ワードすぎるんだけど。クライアントもなんの話だかよくわからんが」



 どくん、と。

 梨華は、呪文でも唱えるように――すらっと、言った。



「で、なんか、あたしの友だちが言うにはそのクライアントってのは敬女で理科がもっともできる帝大ていだい志望の子らしい。それって綾ちゃんだよね」



 どく、どく、どくん、と。

 気がついたら友子も隣にいた。



「ねえ綾音。……なんか変なことになってんの? 梨華ちゃん、どしたのよこれ? こいつ真っ青じゃん?」

「まあいたずらでしょ。というか情報の意図もよくわからんね」


 そう言って、梨華はごまかそうとするけれど。

 あたしはそんな適切な判断に、乗っかれないくらい、すこし、……動揺していたんだと思う。



「梨っちゃん、……あと、なんか情報、ある?」



 うーんと腕組みをされてしまった。



「……メールで送っとく。そっちのがいいでしょ。なんか私にもよくわからんのよ。ほんと」

「……やっぱ、なんだろね、あやしい」



 友子が、そう、つぶやいたのだった。

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