あたしの真夏のアナリシス

柳なつき

渋谷の街で

 カラン、と氷が鳴る。夏はメイクが臭う。カラオケの広い部屋は文明の利器によって隅々までキンキンに冷えている、黒いラメのテーブルの下の陰でさえもきっとキンキンに冷えている。摂氏ではあらわせられないのかもしれないけれど暗闇ってじっさい冷える。ここまで、馬鹿みたいに、冷房の温度設定してんだから。なによ。十七度って。こちとら女子高生よ、正規の夏服、白いお肌の表面の日焼け止めまでひんやりしちゃって気持ち悪いっつーの。


 いつもつるんでる馬鹿な大学生どもがぎゃんぎゃんカラオケで盛り上がってるなかで、あたしは終始うつむいて茶髪を垂らして、数Ⅲの問題集を解いている。あたしはこのコミュニティでそういう立ち振る舞いがゆるされる。マスコット。――女子高生、ってなだけじゃんね。



 そんな空間。七月二十日、海の日。あたし、高三。



 ぎゃんぎゃんがなり立てるように喉潰して歌って発情期の犬が腰振るみたいに頭揺らしてりゃいいだなんて考えていそうなこの頭がかんからかんの空洞のごとき大学生の男どもは、なんというかほんとうに哀れだ。しかももっと哀れなことにこいつらはいちおうは世間では名の知れた国立理系大学の工学部の学生であり、だからほんとに哀れなのはこんなやつらに技術を託さなければいけない日本というこの国だろう。あ、あとこいつらにさえも負けた受験戦争敗者の最底辺ども。とってもかわいそうね、この国、ありとあらゆるいろんなことが。あたしは、そう分析している。


 だいたい渋谷なんて街は若者の街と相場が決まっててそれだけでものすごくかわいそうなのにな。そんなの、ここのオスどもに説明してもなんもわかるわけない。こいつらは計算しか能がないコンピューターの下位互換なのでAIが発達すればすぐにお役御免になる。あたしはもちろんそうならないようにもっともっと勉強していくんだよ?



 大学に入ることはゴールではない。スタート。



 あたしはそうやってほんとうは堅実そのものの受験観を抱いているというのに、それなのにどうして、こんなところで、第二志望の大学の男どもとキンキンに冷えた冷蔵庫みたいな部屋で精肉みたいにぶるんぶるん肉を揺らしてはしゃぎまわって、そんななかで、赤本なんか開いてすましちゃっているんだろう、そんでこんなこと考えてるんだろう、あたし、



「……ああ」



 思考を振り落とすために声を出した。



「どしたの、綾音あやねちゃん。問題難しい?」

「俺たちが教えたげよっか」

「馬鹿、おまえむしろ綾音ちゃんに教えられるほうだって。おまえ綾音ちゃんほど頭よくないって」

「はー、言ったなー、ぱんきょー落としてるやつが」

「あれは文系学問だからいいんですうー!」


 ……はあ。馬鹿かよ。あたしはそうやって分析する。



「帰る」



 あたしはそう宣言すると、必要最小限の動きで出る支度をして部屋から出た。


 うぃーっす、お疲れー、また来てね綾音ちゃーん、と背後から聞こえてくる声はどれも肯定的だ。当然だ。……あたしはあいつらのなかで唯一の女子で、しかもしかもの女子高生で、おまけにいまどきギャルっぽくかわいいと来た。金を一銭も用いずにつるめる相手は利便性も高めなのでこうして優先して利用しているというわけだ。関係性にも定期的なメンテナンスが必要。

 そのことくらいは自分に対して客観的になれるよ。だから、自分が救いがたいポンコツであることも、分析できる。



 途中退室、金は後払い。そのことだけ受付の店員に告げて、外に出た。



 ……渋谷の街。暑い。くらくら。ゆらゆら。

 八月に、なった。ついに。


 受験が近づけば近づくほどあたしはやっぱり、いままで出会ったなかで数少ないキレ者の男を思い出すから、なんかすごくやんなる。



 天王寺未来てんのうじみらい



 中二のときの、あたしの、あたし史上最悪の元カレ。……あたしは、そう分析してる。

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