裏路地に連れ込まれて

 うら、ろ、じ。

 裏路地。



 そう、裏路地。ステレオタイプな裏路地、……ステレオタイプって、言葉の意味、合ってる? ステレオステレオって、あいつらが言うから……そういえばきょうも渋谷の集まりに行ってないワケで、うん、これから行ってもいいのだけれど……。

 うろたえてるの。不本意にも。そんなあたしの分析は、こう、なのだ。



 この女は、ほんとうに、とても、やばい。



 公園からほんのわずかすっすっすっと歩いただけでこんな場所があるだなんて知らなかった。……ヤバそうだなんてひとめでわかった。薄汚れている。ソレはあたしのブランド力のあるかわいい制服にもコロのベージュ色の割烹着みたいな制服にも、どちらであっても似つかわしくない、いや、……男子高校生であったって、来るのにはふさわしくない。それほどの場所だ。



 なぜこんな場所を知っているの、なんで、この女……。

 なにもん、なのか。



 けど、じっさいあたしはなぜか、この女と――まっすぐ、対峙している。

 未来のペットのコロなのだと名乗る変態女。



「……アンタ、なに。コロなの? 未来の溺愛のワンちゃんなの? あっ、デキアイって意味、わかるー?」

「溺れるように愛する、ということですよね。……愛しているのは未来さまからではなくわたしからですよ」


 皮肉をもそのまんま流してきて、その態度には応戦しようとする気さえも見えない、ただただ極限値的に愛想がいい。……そう、極限値だよこんなん、あたしの分析が正しいのであれば……。


「……アンタ、名前、なに?」

「コロです」

「……そうじゃなくってさあ……」



 コロは、またしても、首をかしげる。



 暑い、暑いよ、とっても暑いんだよ、くらくらするよ。裏路地はなんか臭いよ。淑女ぶってこの女こういうのだいじょうぶなのかな、あたしは、だめ、なんだかんだであたしやっぱり、お嬢だから、上流階級だから、こんな、こんなさ、ポリバケツあったり猫さえもカワイくないとこ、むり、むりなんだ……。


「……お疲れのようですね。早く、涼しいところ行きましょう、ねっ、……だから聞かせてくれるだけでよろしいのですよ? わたしとしたって犬の立場で人間さまと対等にお話するというのはなかなか気分のよいものでもありませんので……そして繰り返しで大変恐縮なのですが」


 犬、というか……女子高生としたって言葉遣いがよすぎる、慇懃無礼ってこういうことなのか、なんかムカつく、なんか……。



「なぜ、コロを、殺そうとしましたか?」



 ぴっかりとした笑顔で。



「……未来さまのペット、を、殺そうとしたのは、なぜですか?」

「それは……その……」


 答えられない。答えられるワケないじゃんかよ、そんなの、――だってあたしにだってわかってないんだよ?

 そうだよ、あたしだって、分析中なんだよ?

 自分でだってそんなの、中二のときに二週間つきあっただけの相手、に、そんなのって、そんなのっておかしいって思うけれど――。



 けれども。



 ……ビジョンが。離れないんだよ。あたしの頭のなかからも。ゴールデンレトリバー的な格好をした雌犬のコロが嬉しそうに未来に絡みつくようにしてじゃれつくこと……。

 そのビジョンをとっぱらうためなら、――動物の一匹くらい、殺したってかまわないじゃん? そうでしょ? だって保健所では毎日何匹の犬が殺処分されてるの? 犬なんてまた、買えばいいじゃん、未来の家はうちなんかでも比べものにならないほどずーっと、金もちなんだから。犬なんていくらでもいるでしょ? 殺したって、最悪でも器物破損。殺人、には、なんないじゃん。

 ……犬一匹であたしのビジョンがとっぱらえるならそれはあきらかに処分する、べきじゃ、ない?



 そもそも、そもそもさ、だって――


 コロが。

 人間だったなんて、思わないじゃん。




 あたしは、ずいぶん、ビジョンのなかにふかく沈み込んでいたらしい。



「……館花さん?」



 コロは、もういちど、――笑った、そうこの笑顔はほんとうに笑うことしか知らないゴールデンレトリバーみたいなのだ、あたしの分析。



「答えては、いただけないでしょうか」



 あたしは黙っている。



 裏路地でもやはり真夏の蝉はうるさい。



「……そうですか。それでは、仕方がないのですね。……あらためまして、はじめまして、館花綾音さん」


 コロを自称する女はサッとポケットに手を入れた、そして、慣れた手つきで――翻す。

 つめたいぎんいろ。

 えっ、ちょっ、ちょっと、まって、なにこれ……。


「人間としてということであれば天王寺公子こうこ、と申します」


 コロは――ついにほんとうの名前をバラした天王寺公子は、変わらないにこにこ笑顔で、あたしの喉もとに、カッターナイフを押し当てている。



「あ、動かないでほしいのですよ。これ、ちっちゃいですけど、ちゃんと掻っ切ることくらいできますからね?」



 そして、天王寺公子は――はにかんだ。あろうことに。



「……こういうの、未来さまには、秘密ですよ?」



 分析。あたしは。いろんな、ことを。



 わかってない、のは、そっちじゃん。言いたいけど、言えない、――ひんやりとする感触がとってもリアルで。

 あたしが未来にチクれる立場なワケ、ないじゃん。




 だからアンタを――いや、犬のペットのコロを、ちょっと殺してくれればな、あたしもスッキリ受験ができるのになって、思った、だけじゃん、か……。

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