分析の果ての夕暮れ

 疲れ果てて家に帰るとお母さんが鬼のような形相で待ちかまえていた。玄関で腕組んじゃってさ。どんだけ待ってたの。彫刻かっつーの、鬼ババめ、……はあ。

 あたしはあえてなにも言わずにローファーを脱ぐ。フローリングの床に上がろうとして顔を上げた瞬間、バチン、と頬を叩かれた。



「……ったあ……。なにすんの、いきなり」

「それはこっちの台詞でしょう?」



 あたしは玄関のたたきに立ったままだからお母さんの視線から見下ろされる。冷ややかな怒りと混乱に満ちた目、……分析、このひとのことならあたしけっこう容易に分析できるんだもん。


「あんた、あんたなに? なに? ……おばあちゃんのお金、」


 あたしは表情を変えないようにつとめる、……無表情に見えて。


「まさかあんた、手ぇつけてないでしょうね、……手ぇつけて、ないでしょう?」


 あたしの母親の顔は懇願でさえあった、分析しますよ分析するよ、亡くなった祖母の部屋のたんすからお金を抜き取るような子どもは自分の子どもだなんて思いたくなくって、最後の確認、しているのだろう。


「……つけたけど?」


 だから、あたしは、あえて挑戦的に言ってやったよ、――あたしになんかいくらでも失望しろよ。

 ああ、そうだ、あたしになんかいくらでも失望しろ――鬼ばばも渋谷の街も大学生アサシンズもブラックコーヒーのカフェも宇宙船も変な元カレも変な天王寺公子も! あたしになんか、ああ、ああそうだ、失望しちゃえばいいんだよ、あたしのことなんか――はは。ざまあみろ!

 鬼ばばの表情はさっと青ざめて、そしてすぐにタコのように真っ赤になった。……キタナイ、キタナイ、キタナイんだよ。


「あんたなんのつもりっ――」


 もういちど張り手が飛んできそうだったのであたしは避けた。いま脱いだばかりのローファーをつっかけて、家の外に、ふたたび、出た。



 外まで追ってくるわけもないけど、走る。早く涼しいところに行きたい。クーラーでキンキンに冷えたところがいい。夕方といえども真夏は暑い。仲間たちはいつでも渋谷で騒いでる。入れてもらおう。かわいがってもらおう。……人気者の女子高生になるんだ、ふたたび、あたし、いまから。


 真夏の夕暮れはそこはかとなくピンク色だ。青も混じって。……すこしだけ宇宙に、似てるね。あたしがかつて、夢見たこと。

 宇宙に、行くこと。

 あたしは走る。走る走る走る。



 ……ねえ。それでも、おばあちゃんにだけは。

 失望されたく、なかったの。





 あたしは、あたしは、走るのをやめない。

 ……天王寺公子にもおばあちゃんがいたのかな、って、そんなことを思って、ああ、……あたしの分析の夏、夏が、すこしずつ、過ぎてゆく、終わってゆく。






(あたしの真夏のアナリシス おわり)

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あたしの真夏のアナリシス 柳なつき @natsuki0710

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