第十二章 快生教団探訪
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やがてパトカーは深い森の中に分け入った。
のちに調べて判ったことだが、快生教団の支部は本部と同じように人里離れた山や森の中に建てられているそうだ。自然に囲まれた環境が健全な精神を生み、それがストレスのない生活へ繋がるという。
進むにつれて両脇に広がる木々がその密度を増し、しばらく走ると未舗装の道に切り替わった。がたがたと車体が揺れ、少し気分が悪くなる。蛇の腹のようにうねる連続カーブを過ぎると開けた場所に出た。
「到着しました」
抜けるような青空の下に、巨大な白い建物がある。高さは三十メートルほどで正面に窓はない。入り口らしき自動ドアが左端に見えた。敷地は洋風の高い鉄柵に囲われており、門は開いている。その向こうに守衛小屋があり、そこまで車を進めると中年の守衛が晴れやかな笑顔を見せた。
「おはようございます」
野中が応対し、三人分の入場許可証を受け取った。門から建物までは一本道で、駐車場は建物の右手にあった。車は多いが、来客用の駐車スペースは空いていた。建物の陰になるところにパトカーを停め、私たちは降車した。
「いい空気だ」
猫子はぐうっと体を伸ばした。たしかに山の空気は気持ちがいいけれど、蒸すような暑さがそれを上塗りする。どっと汗が噴き出してきた。冷房の効いていた車内との温度差がよけいに体感気温を引き上げている気がしてならない。
表に回って入り口に向かうと、かしこまった様子の男が駆け寄ってきた。見事に禿げ上がったまぶしい頭に汗の粒が細かく浮いている。長袖のシャツに黒いズボンという服装が少々暑苦しい。
「暑い中、ようこそお越しくださいました」
「ご協力、感謝いたします」
野中が綺麗に腰を折ってその男に挨拶をした。男は私たち――特に猫子――を見やると、一瞬言葉に詰まったように口から空気を漏らし、目をぱちくりさせた。猫子は初対面の人間にはほぼ決まってこのような反応をされる。
「こちら、捜査に協力をしていただいている名探偵、百合川先生です。そしてその隣の美少女が助手の万野原さん」
「あ、この……いえこちらの方が?」
「どうも、百合川猫子です」
野中の正直な紹介を受けて、私たちは挨拶を交わした。男の名は
「本日は先日の事件の関係者たちにお話を伺いに参りました。こちらの百合川先生は警察も随一の信頼を置いている名探偵ですので、きっと皆さんのお役にも立てるだろうと思います」
「それはそれは、大変喜ばしいことでございます」
安居山は何度も会釈をしては地面に汗の粒を落とした。正確には今日の私たちの本来の任務は夏目龍翔と再度接触し、彼を説得することなのだが、彼自身が被疑者となってしまっている以上、事件の方にも本腰を入れなくてはならない。
安居山に案内され、私たちは目の前の建物を迂回し、奥へ進んだ。その先には同じような白い建造物が林立しており、まるで宗教団体の施設というよりかは大学のキャンパスのようだった。怪しげな像や妙ちくりんな形をした建物といったものも見当たらない。
「泉町さんがセミナーの講師としてやってくることは関係者の皆さんは知っていたのでしょうか」
歩きながら猫子が質問する。
「入信案内のセミナーは元々本部の広報担当が各支部の置かれている街やその周辺の街に出向して行うのです。セミナーの開催に合わせて、支部から手伝いに行ってくれる方を募り、現場へ派遣します。誰が講師としてやってくるのか、というのは、事前に送られてくる書面を見れば……基本的に事務所は誰でも入れますので」
泉町の出向は誰にでも知る機会はあったということだ。計画的殺人の線が強くなる。
「それにしても、泉町くんがあのような死に方をしたのは、同じ信者として悲しむと同時に、心の底から恐怖を感じます」
「それはつまり、彼の人生の最期が焼死という苦しみに固定されてしまったからですね?」
「ええ。私たちの教義の基本理念は無限に続く人生をいかにして幸福なものに作り替えるか、という一点に尽きるのです」
「知っていますよ。なんでも、そのために強引に人生を終わらせてしまう者までいるとか」
猫子がさりげなく自殺者の問題について振ると、前を行く安居山の背中はぎこちなく伸び、歩調が速まった。
「捜査一課の刑事くんがいる前じゃ話にくいでしょうが、好奇心でお訊きしたいですね。例の自殺騒動は教団の主導で行われているのでしょうか」
「そ、それは……」
安居山は完全に黙ってしまった。飼い主に叱られた犬のようにしょんぼりしている。きっぱり否定しても、相手が得体の知れぬ探偵である以上、思わぬ角度から反論されると危惧したのだろう。
「ああ、すいません。これは今回の事件には関係のない話ですね」
やがて私たちはビル群を抜けた。その先にはグラウンドがあり、数人の若い男たちがサッカーをしていた。グラウンドの付近にはテニスコートやプール、体育館のようなものも見える。左手には林があった。
「はぁ、運動施設も充実してるんですねぇ」
羨ましそうに野中が言うと、安居山は気を持ち直したようで、
「他にも、図書館やアミューズメントパーク、カラオケにライブ会場もあります。たいていの娯楽はこの敷地内に用意されているのです。もちろん、信者は無料で利用できます」
聞くところによると、先ほど通り抜けた建物は娯楽施設や信者の宿舎なのだそうだ。維持コストだけでも莫大な金額になるだろうに、全て無料とは恐れ入る。
私は敷地の広大さにすっかり圧倒されていた。東京ドーム四個分は優にあるだろう。
「事件に巻き込まれた者たちは、第四宿舎に集めています」
言って安居山はグラウンドを抜け、林の方へ入っていった。木漏れ日が落ちる道をしばらく歩く。やがて木々が途切れ、正面に分かれ道が現れた。一方はより深い林に続く道、もう一方はゆるやかな坂道だった。
「……こちらです」
安居山は右の坂道を登って行った。傾斜はゆるいが、進むにつれてだんだんと高くなり、ついには崖と呼んでいいほどの高さにまでなった。その高さは優に十五メートルはあるだろう。
左手の林道を見下ろすも、分厚い枝に覆われているため、分かれ道がどこに通じているのかは判らなかった。
太陽の光をじりじり受けながらさらに進む。やがて道は平坦になり、いくらか楽になった。分かれ道から十分ほど歩いたところで、私の視界に奇妙なものが入り込んだ。
「倉庫……?」
下の林の中に、小汚い木造の倉庫のような建物があったのである。それは崖にピッタリ寄り添うように建っていて、ちょうど二階部分の窓が崖のふちすれすれの位置にあった。
「何です、これ。けっこう年季が入ってますけど」
野中が窓の前に立ち、しゃがみ込んだ。中を覗こうと試みたようだが、薄暗くてよく見えないらしい。窓は非常に小さく、縦十五センチ、横幅は二十五センチほどしかなかった。明かり採りの窓だろうか。
それにしては変な位置にあるが。猫子はというと、少し離れたところで興味なさげに立ち尽くしていた。
「これは倉庫でございます。特に面白い物はないと思いますが……一応ご覧になりますか?」
安居山は小さな窓に手をかけ、左に引いた。鍵は掛かっていないようである。野中はおずおずと窓に顔を近づけたが、すぐに離した。
「埃とカビの匂いがすごいですね。万野原さんも見てみますか」
「い、いえ、私は遠慮しときます」
「掃除などろくにしていないものですから」
謝る道理などないのに、安居山は申し訳なさそうに言った。
「さっきの分かれ道を左に進むとこの倉庫に出るんですか?」
私が訊くと、安居山は大きく頷いた。
「はい。と言っても、使わなくなったガラクタや壊れてしまったゴミなどしかありませんので、好んで近づく者はいません」
何とも奇妙な倉庫をあとにし、私たちは先を急いだ。倉庫を過ぎてから五分ほど歩くと、ようやく立派な西洋風の建物が見えてきた。すっかり汗だくになっていた私は、やっと屋内に入れることを素直に喜んだ。
「あれが第四宿舎でございます。二年前に竣工したばかりで、まだ空き室がちらほらあります。もしよろしければ、皆様もどうでしょう。我々快生教団は志を同じくする仲間を歓迎しますよ」
先ほど見てきた建物に比べると、こちらの宿舎は非常に凝った外観をしていた。ヨーロッパの貴族が住むような洋館だ。周囲に他の建物はなく、館の背後には鬱蒼とした林が茂っていた。
内装も豪奢で、宿舎というよりかは一流ホテルと言った方が正しいだろう。こんな部屋を借りるとなれば、月十数万は下らないはず。
被疑者たちは一階のラウンジに集められていたが、猫子の希望で、まずは一人ずつ面談を行う運びとなった。二階の空室を使わせてもらうことにする。
「すごい、見てくださいねこさん、お風呂が広いです。あ、クーラーもある」
「うるさいなぁ、遊びに来たんじゃないんだよ」
「私、快生教団に入信してもいいかもです。こんないい部屋にタダで入れるなんて……」
「タダより怖いものはない、と人生の先輩であるお姉さんが忠告しといてあげるよ」
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