第二十章 四つの謎
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「なるほど、どいつもこいつも完璧なアリバイだね。この隙間を抜け出してあの倉庫に行くのは時間的にまず不可能だし、外神かすみをバラす作業もかなりの時間を要したはずだ。それだけでも三十分近くはかかったんじゃないかな」
私は断固として見なかったが、遺体写真を見た猫子によると、外神かすみは文字通りバラバラにされていたらしい。「一番大きな部位が頭部って言えば、その程度が伝わるかな」と彼女は意地悪な口調で言った。
場所は第四宿舎一階のラウンジ。
私、猫子、矢立警部の三人はテーブルを囲んで検討をしていた。野中は事情聴取が終わったあと、安居山を呼びに外へ出て行った。彼に確認することがいくつかあるらしい。
「自転車や車を使えば、移動時間を短縮できないかい?」と猫子。
「いい着眼点だ。が、教団内で車、バイクなんかを走らせることができるのは事務所から門までの一本道だけだし、もし朝っぱらからそんなものを走らせれば、誰かが音で気づくはずだ、というのが連中の意見だ。今のところそういった目撃証言もない。また、珍しいことに私物の自転車はこの教団内に一つとして存在していないそうだ。サイクリング用の自転車はしっかり管理されていた。持ち出された形跡もない」
矢立警部は肩をすくめた。
「アリバイ崩しか……」
「どう見る?」
猫子は低く唸って、
「とりあえず、状況を整理しようか。まず、外神かすみが殺されたのは今日の午前六時から午前七時までの一時間。現場は林の中の古びた倉庫で、外神はバラバラに分解されていた。また現場の唯一の出入り口である玄関扉は内側から閂が下りていた。つまり現場は密室だった。しかし、それを作り上げるために使ったタコ糸は回収せず、なぜか現場に残している……そして今回の事件と泉町の事件が同一犯であると仮定するなら、被疑者は六人に絞り込まれるわけだが、その六人全員が完璧なアリバイを持っている」
「あの」と私は手を挙げて、発言の許可を求めた。猫子は目顔でそれを認めた。
「一つ気になるんですけど、本当にこの事件は最初の事件、ビルで起きた事件と同じ犯人がやったんでしょうか」
人の因果は目には見えないだけで、意外なところで繋がっているものだ。もしかしたら、全く別の動機を持つ者がこのG**支部内にいて、その人物が外神を手にかけたのではないか?
「泉町殺害の動機が彼の過去の過ちに起因するのなら、当時彼と親密があった外神も、犯人にとっては裁くべき相手だったはず。なぜなら、外神は泉町の犯罪による金銭的な恩恵を受けていたし、彼女自身、泉町の犯罪を助長するような意識があったことを認めていた」
「……」
「ただ、犯人がその事実をどうやって知ったのかは不明。死の危機に瀕した泉町が、外神にせびられていたことをうっかり、もしくは責任をなすり付けようとして喋ったのかもしれない。または全く別の調査ルートから突き止めたのかも」
「こうも考えられるぞ。犯人は犯行の一部始終を外神に目撃されていて、口封じに殺した」
矢立警部も参戦する。
「まあ、いずれにせよ短期間で同じ組織の人間が立て続けに殺されている。しかもそのうちの一人は第一の事件の被疑者でもあった。無関係とは思えないね。同一犯と見て問題はないでしょ」
「こっちも当面はその方向で行くつもりだ。なぁに、もし駄目ならまた一から捜査し直すさ」
「じゃあ、二つの事件は同一犯のものである、という前提で話を進めようか。検討すべき謎はいくつもある」
そして猫子は四つの謎を提示した。
・なぜ犯人は現場を密室にしたのか。
・なぜタコ糸を現場に残したのか。
・どのようにして犯人は現場を行き来したのか。
・なぜ外神かすみをバラバラにしたのか。
「現場を密室にすることで犯人が得るもっとも大きなメリット、それは外部の介入が不可能と見せかけることで殺人を自殺に偽装できる点だね。ただ、それは今回の事件には当てはまらない」
「バラバラ殺人だからですか?」
「そう、自分の体をバラバラに切断しながら自殺なんてまず不可能だし、苦痛を伴う自殺は快生教団の教義に反している。この謎が事件の根幹を担っているね。現場を密室にすることで犯人は何を得たのか。今の段階では何とも言えない。次の問題に移ろう。なぜ、犯人はタコ糸を回収しなかったのか」
「回収する時間がなかったのかな」
「それはない。そもそも犯人ははなから糸を回収する気がなかったんじゃないかってあたしは思うな」
「どうしてですか?」
「タコ糸が閂に結びつけられていたからさ。もし回収を前提としていたなら、あたしがさっき言ったように、糸の両端が手元に来るようにしなくちゃいけない。糸を縛って輪っかにしてしまうと、引っ張っても抜けないから、外からの回収は不可能になる」
「じゃあ、わざと残したんですか? 何のために?」
「現場が密室であること、そして犯人自身が密室を作り上げたことを主張するためさ」
「……?」
「あのタコ糸によって、密室の存在が補強されるんだよ」
「それが、何の意味を持つんです?」
私の問いかけを猫子はひらりと躱すように、
「さあ、犯人はとにかく密室を作り、警察に見せたかったようだ」
と言った。
密室トリックに使われたタコ糸が現場に残されていたことから、犯人が自らの手で現場を封鎖したことに疑いの余地はないということか。捜査をかく乱するためだとすれば、その目論見は大きな成功を収めているけれど……
「さて、次の問題に話を進めよう。犯人はいかなる手品を使って、現場と宿舎間を短時間で移動したのか……」
被疑者たちの鉄壁のアリバイを構築しているもっとも大きな要素は、倉庫の位置である。現場から一番近いここ第四宿舎でも、倉庫の前までは片道三十分、往復で一時間かかる。それこそ、移動時間だけで犯行が行われたとされる一時間が埋まってしまうのだ。
「乗り物は使わなかった、と仮定すると、犯人は当然その足で倉庫に向かい、戻ってきたに違いないね。例え午前六時ちょうどにすでに現場にいて、往路の時間は無視できたとしても、アリバイが崩れる者はいない。ふうむ、難しいにゃあ」
「ショートカットできるような隠し通路が地下にあったりしませんかね」
「そんな都合のいいものがあったら、とっくに信者の誰かが進言してるでしょ」
「それもそうですね……」
「それじゃあ最後の謎、なぜ外神かすみはバラバラにされたのか、だけど、これはそれらしい答えがすぐに見つかるね。苦痛を忌み嫌う特有の思想を持つ快生信者に対するもっとも強力な報復」
「動機の問題に帰結するわけだな」
噛んで含めるように矢立警部は言った。
ここで野中刑事が安居山を連れて戻ってきた。卑猥な形に見えなくもない禿頭に、これでもか、と言うほど汗の粒が浮かんでいる。肩で大きく呼吸をしているところを見ると、どうやら彼はここまで走ってきたようだ。
「ああ、すいませんな、安居山さん。ちょいと確認したいことがあるのです」
矢立警部が慇懃に言うと、安居山はそろりとこちらに歩み寄ってきた。
「はあ、私がお役に立てることなら何でも訊いてください」
信者が立て続けに殺害されたことが堪えたのか、安居山はひどく憔悴しているようにも見受けられた。聞くところによると、今回の事件を受けて多くの信者たちが激しい精神的ショックを受けているという。矢立警部が繰り出すいくつかの質問に、彼は丁寧に答えていく。
「おい、お前も何か訊きたいことはあるか?」
矢立警部は猫子に目配せをした。
「そうだなぁ、じゃあ、一つだけいいですか。事件が発覚するよりも前、そうですね、ここ一週間くらい幅を取りましょう。その間、第一発見者を除いて、あの倉庫に近づいた、もしくは何かを取りに入った信者はいましたか?」
安居山は頭を撫でながら、
「……いない、かと。あの倉庫にある物は本当にがらくたばかりですので。好き好んで近づく者はいないと思います……それが何か?」
「いえ、そうですか、ありがとうございます」
訝しげな面持ちの安居山を解放し、猫子は身軽に立ち上がった。
「もっかい現場を見てくるよ。行くよ、きーちゃん」
「あ、はい」
早足の猫子を追いながら宿舎を出る。
歩きながら、私は最後の質問の意図について訊いてみた。
「ああ、あれね。ちょっと気になることがあってさ」
「何が判ったんです?」
心なしか猫子は機嫌がよさそうに見えた。軽やかなスキップをしながら、
「あれでようやく一つの取っかかりを掴むことができたよ」
「何です?」
「もし犯人が事件の前日に現場を封鎖していたとしたら、どうだい。何か現状に変化は起こるだろうか、いや、起こらない。それが二日前でも、三日前でも、いや、例え一か月前のことでも、誰かが扉を開けようとしない限り、あそこが封鎖されているとは誰も気づかない」
「えっ?」
彼女が何を言いたいのか、私には判らなかった。
「つまり、密室は事前に作ることができた、ということさ」
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