第二十二章  猫の推理

 読者への挑戦状




 これで犯人特定のための全ての手がかりが出揃った。一考していただけたら幸いである。

 ここで神の視点からいくつかのミステリ的お約束をフェアプレイ精神に則って補足する。


 ・犯人は作中に名前が登場した人物である。

 ・二つの事件は同一犯の手によるものである。

 ・犯人以外の供述に嘘偽りはない。

 ・地の文に意図的に読者を欺くような記述はない。


 それではこれより解決編となります。



 1


 風が出てきた。


 時刻は午後五時半。


 暴虐の限りを尽くした太陽が西の果てに沈んでいく。それに伴って、G**市を覆う空は夜に傾いていった。ぼんやりとした輪郭の月が薄闇の空に浮かんでいる。湿度は高いが、気温は下がってきていた。少し肌寒いくらいだ。


 私は第四宿舎の前に立ち、彼女の到着を待った。


 事件はいよいよ大詰めを迎えようとしている。野中刑事の報告を受けたあと、猫子はしなやかな動きで椅子から飛び降り、気まぐれな猫のようにどこかへ行ってしまった。

 彼女は自分の推理をまとめる時、放浪する癖があるのだ。戻ってきたのは一時間ほど経ってからで、これはすなわち推理がまとまったことを示していた。


「犯人が判ったんですか?」


 と私が尋ねても、猫子はぺろりと舌を出すばかりで何も教えてくれなかった。まるで自分の頭で考えてみな、と挑発しているようで、結局私は今の今まで思考をこねくり回していた。が、鮮烈なひらめきは下りてこなかった。結局誰が犯人なのか、知らないままなのである。


 猫子は今日の午後六時、第四宿舎のラウンジを推理を披露する場として指定し、矢立警部はその申し入れを了承した。猫子の脳内でどのような論理が組まれているのかは判らない。少なくとも、私には考えても判らなかった。


 やがて、坂を上る一人の女性が目に入った。彼女は数人の警官を伴って、息を切らせながらこちらに歩いてきた。


「はあ、はあ、ご無沙汰、しております」


 彼女――夏目絵理華は額に滲んだ汗をハンカチで拭い、深々と会釈をした。絵理華を呼び出したのは猫子の指示であるが、なぜ彼女がここに呼び出されたのかは判らない。まさか彼女が犯人というわけでもないだろう。おそらくは――


「龍翔は……?」

 絵理華は細い声でそう言った。

「中に」

 私は第四宿舎を振り返る。

「ああ、よかった」

「でも――夏目さんは人目につかない場所でお待ちいただくように、と先生が仰っていました」

「龍翔とは、まだ会えないということですか?」

 抗議の色を目に浮かべながら、絵理華はじっと私を見据えた。

「……はい。まだその、事件の方は解決していないので」

「判りました」


 私はそっと中の様子を窺い、そこに龍翔がいないことを確認すると、絵理華に入るよう促した。関係者たちが集まっているラウンジは一階の角を折れた先にあり、玄関口からは死角の位置になる。

 彼女は黙って私のあとにつき、粛々と歩を進めた。事前に猫子が指定した二階の空室に彼女を案内すると、私はラウンジに向かった。


 被疑者や数人の捜査員たちが、思い思いの場所に陣取っている。場に漂う空気は寒々としていて、一種の緊張感とも呼ぶべきものが一同を取り巻いていた。

 猫子は部屋の隅に置かれた柱時計を見上げている。彼女の背丈の倍近くある巨大な振り子時計は、午後五時五十分を示している。


「ねこさん」

 私はそそくさと彼女の許に駆け寄った。

「絵理華さんはいらっしゃったかい?」

 囁くような声で彼女は訊いた。

「はい、二階の部屋にご案内しました」

「そう、ありがとう」


 言ってまた、猫子は時計に目を転じる。規則的に揺れ動く振り子を見つめていると、なんだか心が急き立てられるような錯覚に陥った。

 ざわつく心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返すが、それは完全に逆効果だった。燃え盛る火が風を受けていっそう勢いを増すように、私の中の好奇心が「早く真相を知りたい」と暴れ出す。


「六時きっかりまで待ってよ。自首するやつがいるかもしれない」


 自首をするなら六時まで待つ、と先ほど被疑者たちに向かって宣言したらしい。けれども、ここに集まっている六人の被疑者たちの表情を見るに、そんな諦めの気持ちを抱いている者はいないように思えた。


 源道寺は壁にもたれたまま俯いている。猪之頭はラウンジの中央のテーブルセットに座り、煙草をふかしていた。その向かいの席で光はつまらなそうにスマホをいじり、春香は落ち着きなく部屋の隅を行ったり来たりしていた。黒田は対岸の火事を見るような余裕の表情で場を観察している。そして――夏目龍翔はラウンジの一番奥に立ち尽くしていた。

 龍翔は生気のない虚ろな瞳を猫子に向けている。彼は階上に絵理華が来ていることをまだ知らない。とここで、私はある疑念を抱いた。まさか、彼こそが犯人で自白を促すために義理の母親である絵理華を呼び出したのではあるまいな。


「ねこさん、なんで絵理華さんを呼んだんですか?」

 猫子の耳元に顔を寄せ、訊く。ふわりとした甘い香りが私の鼻孔をくすぐった。

「今日ここで、をつけるからさ」


 六時になった。

 腹に響くような重たい時鐘が、ぼーん、ぼーん、と鳴り始める。音が止むと、ラウンジは息苦しいほどの静寂に支配された。一同の視線が猫子の背中に突き刺さっている。やがて、化け猫探偵はゆっくりと振り向き、場を見回した。


「六時になりました。最後にもう一度確認を取ります。この中に、一連の事件の犯人は自分である、と名乗り出る方はおられますか?」

 誰も答えない。

「なるほど、判りました。非常に残念です。もし、気が変わって自首の決意が固まったなら、いつでも名乗り出てください。では始めましょうか」


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