第二十三章 分解の意図
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「まずは一連の事件の概要を説明しましょう」
そう言って猫子は空いてる椅子に腰を下ろした。一同の視線が彼女を追いかける。
「第一の事件は八月四日、G**市内のビルの四階で発生しました。快生教団本部の幹部である泉町智さんが、全身にやけどを負った状態で死亡しているのが見つかったのです。死因は重度のやけどによるショック死。彼は生きながらに焼き殺されたのです。そして現場である四階は正面の玄関および窓が施錠されていて、外側から鍵を掛けることはできませんでした。
唯一の侵入ルートは裏の非常口。各階の非常口は非常階段で結ばれていて、自由に行き来できます。四階の非常口が破壊されていたことも合わせると、犯人がこのルートを使ったことに疑いの余地はありません。さらに重要なのが二階にいた税理士の証言で、彼は犯行があったとみられる時間帯に、非常階段が目に入る場所にいたのです。彼は非常階段を利用する者はいなかった、と証言しています。また、入会希望として集まった参加者たちは会議室から先に足を踏み入れてはいません。となると、焦点を当てるべきは当時入会セミナーのためにビルの三階に集まった快生信者の皆さんです」
「異論は?」と猫子が目で訊いた。被疑者たちはそれぞれ首を振ったり肩をすくめたりした。
「当時現場にいたのは皆さんと外神かすみさんを含めた七人。しかしながら、全員が全員とも確固たるアリバイを持たず、決定的な物証も挙がらなかったため、捜査は難航しました。誰が犯人でもあり得る、という状況ができあがってしまったのです」
猫子は語気を強めて、
「そして、第二の事件が起こってしまった。被害に遭ったのは第一の事件で被疑者の一人として数えられていた外神かすみさん。現場はここから五分ほど歩いた崖の下にある倉庫。彼女は体をバラバラに分解されていました。また、現場は玄関扉が施錠され、密室になってしまっていた」
そうして猫子は密室を作るために使われたであろうタコ糸が閂に残されていたこと、倉庫の窓をくぐり抜けることは不可能なこと、そして現場に犯人が書いたであろう呼び出し状が残されていたことを説明した。
「我々は被害者が第一の事件の被疑者でもあったことや、外神さんと泉町さんが過去に交際し、詐欺で得た悪銭で豪遊していたという事実から、二つの事件は全く同じ動機――すなわち同じ犯人によるものだと断定しました。言い換えれば、第二の事件においても、あなたたちに疑いの目が向けられるわけです」
「ちょっと待った」
黒田が口を挟んだ。
「それって何の証拠もないただの言いがかりじゃあないっすか? 俺たち以外の誰かが外神さんを殺したという可能性を否定できてないじゃないっすか。それに、俺たちには確実なアリバイがある。ふっつーに考えて、俺たち以外の別の誰かがやったと考える方が自然っすよ」
「たしかに、黒田さんの意見はもっともだ。ただ、これはあくまで前提の確認に過ぎないのです。犯人は同一犯である、という前提で推理を進めたら一人だけ該当者が見つかった、ただそれだけの話なのです。また呼び出し状には外神さんの過去の罪――泉町さんとの黒い交際についての記述もありました。犯人は二人の過去を知っており、泉町さんは過去の報復として殺された可能性が高い。そして、第一の事件からたった数日で外神さんも殺されてしまった。両者の事件を結び付けて考えることはおかしなことではない、とあたしは思います」
それで納得したかどうかは判別できないが、黒田はおとなしく引き下がった。
「では話を続けましょう。こうして我々はまずあなた方六人を対象に捜査を進めました。外神さんの死亡推定時刻である今日の午前六時から七時までの一時間に絞って、アリバイ調査を行いました。が、結果として、今黒田さんが仰ったように全員に確実なアリバイがあるということが判明してしまいました」
猫子ががっくりと肩を落とすしぐさをすると、黒田は鼻を鳴らして「それ見たことか」と言うような目を彼女に向けた。
「皆さんのアリバイの要となっているのは、現場である倉庫の位置です。皆さんが事件発生当時いた宿舎と現場は最低でも片道三十分以上の距離があり、皆さんのアリバイと照らし合わせてみても、とてもそんな長時間の不在のある方はいらっしゃいませんでした。これは困った、どういうことだろう。あたしは頭を抱えましたよ。ない知恵を絞って何とか時間を短縮できるルートはないか、と考えた。乗り物を使ったのでは、とも考えましたが、それも否定されてしまいましたし、隠し通路の類もありませんでした」
猫子はおおげさに肩をすくめた。
「アリバイが完璧なら、自分たちの嫌疑はその時点で晴れるのでは?」
猪之頭がそろりと言った。他の被疑者たちもその言葉に同調するように頷く。
「たしかに被疑者全員にアリバイがあるのなら、最初に設定した前提に間違いがあり、二つの事件の犯人は別々にいる、と考えるのが普通ですね。しかし、最後の最後で、あたしは事件をひっくり返すほどの威力を持った重大な証拠を手にしました」
「……と言うと?」
源道寺が眼鏡を押し上げながら言う。
「その前にまず、現場の状況を改めて説明しましょう。現場の広さは二十畳ほどで、四方の壁の、高さ十五メートルほどの位置に小さな窓がありました。その窓を通り抜けて現場に侵入することは不可能ですし、逆もまた然りです。また、そのうちの一つは崖に隣接していて、その真下に外神さんのバラバラ死体が転がっていました。現場はまさに血の海で、広い範囲にわたって血痕が飛び散っていました。壁の高い位置にも血が飛び散っているほどに」
「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて、春香と光が抱き合った。猫子は深く椅子に座り直し、テーブルの上にあった水差しに手を伸ばした。コップに並々と水を注いで一息に飲み干すと、彼女は落ち着いた声色で言った。
「さて、ここから事件の核心に迫って行きます。今一度確認しましょう。自分こそが犯人である、と告白する方はおられますか?」
六人の被疑者たちは互いに顔を見合わせた。が、それ以上の反応を示す者は一人としていなかった。
「では、続けましょう」
猫子の声だけが無情に響く。
*
「犯人は事前に呼び出し状を作成し、今朝六時ちょうどに外神さんを現場におびき出した。そしてそこで彼女を殺害、現場の状況から見て、生きながらに彼女を切り刻んだと思われます。その後、倉庫を密室にしたうえで現場を離れた。――とまあ、この流れが犯人によって作られた架空のシナリオなわけです」
「どういう、ことですか?」
源道寺が眉をひそめて尋ねた。
「文字通りの意味ですよ。犯人は自分のアリバイを作るために、犯行が今言った手順で行われたと見せかけたのです。しかしながら、結果としてアリバイは犯人だけでなく、皆さん全員に生まれてしまいました。これは犯人にとって誤算だったはずです。被疑者全員にアリバイが認められてしまえば、自分だけの優位性は失われてしまう」
「……何が言いたいのか判りませんね。具体的に言っていただきたい」
源道寺が不満顔でそう言った。私も同意見だ。
「判りました。ではより踏み込んだ説明をしましょう。『事件をひっくり返す証拠』というのはつまり、外神さんの死因のことでした。司法解剖によって判明した彼女の死因は絞殺。紐や縄などで首を絞められ殺害されたのです。つまり、彼女がノコギリで切断されたのは死後であり、彼女は生きながらに切断されたわけではなかった」
ここで猫子は言葉を切り、反応を窺うように口を噤んだ。場がざわめく。矢立警部を始めとする警察側の人間は黙って被疑者たちを取り囲んでいる。やがて源道寺が慎重に言葉を発した。
「ということは、外神さんは人生の最期におぞましい苦痛を味わったわけではないのですね」
彼はほっと胸を撫で下ろした。
「なるほど快生の信者さんらしい着眼点だ。ただ、遺体の切断が死後であるという事実はもっと大きな意味を持つのです。先ほどあたしが説明した現場の状況を今一度思い出して頂きたい。何か、おかしな点が見つかりませんか?」
挑発するような目つきで、猫子は順々に被疑者たちを見た。
「……血だ」
誰かがぽつりと言った。場の視線が一気に発言者に向かう。無数の視線を受けて、源道寺マサトは居心地が悪そうに腕を組んだ。
「その通りです、源道寺さん」
猫子はぱちん、と指を鳴らして、
「詳しく説明しましょう。遺体が死後に切断された、ということは、当然その時外神さんの心臓は停止していたはずですね。心臓が停止していたのなら、血液の流れも止まり、血液の流れが止まっていたのなら、遺体を切断したとしても激しい出血が起こるはずがありません。しかし、思い出していただきたい。現場は――倉庫の中は、広範囲に渡って血液が飛散していました」
「しかし、遺体はかなり細かくバラバラにされていたわけでしょう? 血が大量に流れ出るのは不自然ではないと思うのですが」
源道寺は努めて冷静に意見した。
「たしかに、血が流れていくのは全く不思議ではありません。重要なのは、まるで血液そのものを叩きつけたかのように、血が飛び散っていたこと。例を挙げれば、壁の上方、あたしの背丈より高い位置にまで血痕が発見できました。あんな高い位置に遺体からの出血が付着するなんてことはまず考えられない」
「たしかに……」
「しかし、事実として不可解な血痕は残されている。この矛盾こそ、事件解決の鍵であり、犯人の持つ鉄壁のアリバイを破壊する爆弾なのです。続けます。では、どのようにすれば現場にそのような血痕を残すことができるのか。答えは簡単です。バラバラになった遺体を血液と共に上から落とせばいい」
「はあ?」
黒田が何か言いたそうにするのを目で制して猫子は続けた。
「落下した血液は床にぶつかり四方に跳ね、広い範囲に飛び散ります。そして遺体もまた、床に散乱する」
「いやいや、そんなことして何になるんすか。犯人からしたら、無駄な重労働じゃないっすか。そもそもですね、高い位置から落とすって、あの倉庫に二階部分はないんすよ? いったいどうやって」
我慢できない、というように黒田はまくし立てた。たしかに、そんなことをしても犯人には何のメリットもない。
「過去の大震災によって二階部分は失われたと聞いています。がしかし、その名残である窓ならありますよね」
「あ、まさか……」
「そう、そのまさかです。あの窓は人が通り抜けることのできないほど小さく狭いものですが、バラバラになった遺体なら難なく通り抜けることができるでしょう。いくつにも分けられた外神さんの遺体でもっとも大きな部位は頭部でしたからね。ここまで言えばもうお判りですよね。犯人が遺体をバラバラにした真の目的、それは外神さんに苦痛を与えるためなんかではない。実に合理的で、シンプルな答えです。本来ならば通るはずのない遺体を現場の窓から直入するためだったのです」
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