第二十四章 犯人はお前だ
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「犯行現場は倉庫ではない。これが外神さんの死因によって段階的に判明した結論です。この事件は厳密な意味で言うところの密室殺人ではなかったのです」
「じゃあ、いったいどこなんですか?」
私はたまらず訊いた。
「犯人は崖に面した窓の前まで移動すればよかった。わざわざ分かれ道まで戻って林に入る必要もない。となれば、ある宿舎のみ、所要時間を一気に短縮できるのです」
「ここ、ですね」
源道寺はぼそりと言った。
「そう、倉庫からもっとも近いここ第四宿舎です。ここから倉庫の崖に面した窓までは、片道たったの五分で行くことができます。往復で十分ですね」
「ちょっと待ってください」と猪之頭。
「実際にあの倉庫は犯人によって封鎖されていたわけですよね。トリックに使ったタコ糸も残されていたと先ほど言っていました。それはすなわち、犯人が犯行後、自分の手で密室を作ったという証拠じゃあないんですか? それだけじゃあない。外神さんをおびき出した呼び出し状だって、あの倉庫が犯行現場であるという証明になっていると思うのですが」
「呼び出し状は遺体を窓から入れた際、犯人が一緒に入れたのでしょう」
「でも、あれには外神さんの指紋が――」
「死後、あまり時間が経っていなければ遺体からでも指紋は採取できます。外神さんを絞殺したあと、触らせただけでしょう」
「じゃあ、あれはフェイクってことですか?」
私が訊くと、猫子はウィンクをして、
「そう考えるのが自然だ。そもそもきーちゃん自身が言ってたじゃない。犯人の呼び出しに外神さんが応じるのはおかしいって。殺害現場が倉庫でない、と判明した以上、外神さんを倉庫に呼び出すあの呼び出し状は偽物だと断定できる。あれは現場が倉庫である、と思わせるための工作なのさ」
「なら、内側から閂が下りていたことはどう説明をつけるんです。あれは犯人が実際に林道を通って倉庫を行き来したという証明では?」
「たしかに、分かれ道まで引き返して林道を歩かなければ、倉庫の玄関まではたどり着けませんね。木に飛び付いて下りたとも考えにくい」
ほらみろ、と猪之頭は顔を緩ませた。
「ですが、それは大した問題ではないのです」
「はあ?」
「これは副支部長の安居山さんに確認を取ったことなのですが、あの倉庫に普段から寄り付く者はほとんどいなかったそうなんですよ。倉庫のわりにはたいした物は置かれていないし、宿舎から遠い距離関係にあることも要因として考えられるでしょう。つまり、あの場所を事前に密室にしておいたところで、誰も気づくことはないのです。あたしの言いたいことが判りますか? 密室工作と今回の事件が同じタイミングで為されたという保証はどこにもない。密室を作ったのは昨日かもしれない。一昨日かもしれない。極端な話、あの倉庫に入ろうとする者がいなければ、倉庫が密室であることは永久に気づかれないのですよ」
「じゃあ犯人は密室を作った後に殺人を行ったということですか?」
「その通り」
「じゃあなんだって犯人はそんなことを?」
「現場は密室だった、つまり倉庫が犯行現場である、と警察に思わせることができれば、アリバイが成立するからです。林道から倉庫まで進むルートは最低でも片道三十分以上がかかってしまいますから。タコ糸も呼び出し状も、現場が倉庫である、と見せかけるための演出だったのですよ。まだ納得できないのであれば駄目押しの証拠を出しましょうか。絞殺死体には通常、索条痕という凶器の痕が残ります。しかし、現場にあった索状物――縄やロープのことですが、どれも遺体の索条痕とは一致しなかったそうです」
「犯人が持ち去ったんじゃないんすか?」
黒田が口を挟んだ。
「密室を作るために使ったタコ糸や切断に用いたノコギリは現場に残したのに?」
猫子がぴしゃりと言うと、黒田は無言で引き下がった。
「まあ、あくまで皆さんの中に犯人がいる、という前提の下の推理ですのであしからず。さて、話を戻しましょう。本来であれば各宿舎から倉庫までは林道を進まなくてはならないため、片道三十分以上かかってしまいます。が、第四宿舎に限って、たったの五分、往復だと十分で済むルートが判明しました。遺体と血液を袋かバケツか何かに入れて崖に面した窓まで運び、それらを窓から入れ、何食わぬ顔で宿舎に戻る。移動時間はたったの十分。走ればもっと縮められたことでしょう。殺害と切断にたっぷり時間を割いても、きっとお釣りが出たはずです」
被疑者は一気に絞り込まれたということだ。黒田、光、春香の顔に安堵の色が浮かぶ。
「皆さんの中で第四宿舎を利用していたのは三人。源道寺さん、猪之頭さん、夏目さんです。この中に犯人がいる。それぞれのアリバイを確認してみましょうか。まず源道寺さんですが、彼は犯行があったとされる午前六時から七時まで、敷地内のグラウンドにいました。彼には同行者がおり、また複数の目撃証言も挙がっているため、例え短縮ルートが見つかったとしても犯人であると糾弾されることはありません。まず一人除外されますね」
当然です、と言うように源道寺は肩をすくめた。龍翔と猪之頭は互いに不穏な視線を交わした。
「では次に夏目さんのアリバイを確認しましょう。彼は六時十分から六時五十分までのアリバイが認められます。その間、彼は炊事当番として働いていたそうです。となると、彼が犯行に使える時間は六時から六時十分までとなりますね。たったの十分じゃあ、外神さんを殺して、遺体を切断し、倉庫の窓まで運ぶことは不可能だ」
「ちょっと待った。何も全てをその十分に収める必要はないでしょう」
猪之頭が反論する。
「あくまで、六時から七時までというのは死亡推定時刻でしょう。外神さんをその十分間の内に殺し、切断と運搬は六時五十分以降にやったと考えても矛盾はないはずだ」
「ふん、しかしね、夏目さんは六時五十分以降も食堂にいたんですよ。どうやら、あと片づけまでが炊事当番の仕事らしい。事件が発覚したのは八時過ぎ。夏目さんは九時過ぎまで拘束されていました。当然その間も同じ炊事当番の信者たちによって裏付けが取れる」
猫子はかっと目を見開いて、
「するとどうです? 残るは猪之頭健児さん、あなた一人だけとなる。あなたのアリバイを確認してみると……おや、ずいぶん空きがありますね。六時十五分から二十分までラウンジで同じ宿舎の方とお話をしたそうですが、それは何の証明にもならない。あなたのアリバイが保証されるのは、犯人が片道三十分の林道を使った場合だけ。しかし、それは先ほど否定できました」
猪之頭は無言のまま俯いている。
「そういえばあなた、焼却炉にゴミを出しに行くとか言って、六時四十分頃、宿舎を出て行ったそうですね。そのゴミとは、本当にただのゴミなんでしょうか。あなたが本当に向かったのは焼却炉なんでしょうか。違う。あなたが向かったのは倉庫だ。崖に面した倉庫の窓から、外神さんの遺体を入れた。あなただけが、犯人としての条件を兼ね備えているのですよ」
*
「あなたの今朝の行動はこうです。まずこの宿舎内のどこかの部屋、おそらく外神さんの部屋でしょう。そこに何かしらの理由をつけて侵入し、彼女を絞殺する。そしてその遺体を切断した。これは先ほど説明したように、窓から遺体を通すため。また、倉庫が犯行現場であると誤認させるために血も必要となるので、血は深めの大きな容器に溜めたのでしょう。
これらの作業の合間に、一度アリバイを作るためにあなたはラウンジへ向かった。おそらく人がいなければ別の場所へ向かったはずですが、運よくラウンジで人と会い、五分ほど話をして、その時間に自分が宿舎にいたことの証人を作った。そしてすぐに部屋へ戻り作業を再開する。これらの作業は四十分までに完了し、あなたは遺体と血液を黒い袋に詰めて宿舎を出た。そして例の小窓から遺体と血液、そして切断に用いたノコギリと偽の呼び出し状を倉庫内に落とし、あたかも倉庫が犯行現場であると見せかける工作を施し、宿舎に戻った。密室は事前に作っておいたのでしょう?」
場の視線が一人の男に集約する。男のそばにいた者は弾かれたように席を立った。
「さあ、何か申し開きはありますか? 猪之頭さん」
猪之頭は肩を震わせながら、ぎろりと猫子を睨みつけた。そのあまりの形相に、私は思わず後ずさりをしてしまった。
「証拠は……」
「はい?」
「何か証拠はあんのかよ。あなたの推理は泉町さんと外神さんの事件が同一犯によるものだ、という前提の上に成り立っている。しかしね、全く別の、単に外神さんを恨んでいた人間の犯行である、という可能性だってある」
「可能性はありますが、蓋然性は低いですねぇ」
「自分の指紋が見つかったんですか? 自分が遺体を窓から入れているところを誰かが見たのですか? 何の証拠も示さずに、あなただけが犯人である、なんて言われたって、困りますよ」
猫子は深く息を吐いて、
「最初の事件、泉町さんの遺体は、顔が判別不可能なほど焼けてしまっていました。また現場は非常に薄暗かった。目を凝らさなければそれが遺体であると判らないほどにね。それなのに、第一発見者であるあなたは、中の遺体が泉町さんである、とあとから駆け付けたあたしたちに即答した」
「そ、それは……」
そういえば、私は思い返す。たしかに部屋は暗く、私は当初、あれがそもそも遺体であるとは気づかなかった。それなのに、猪之頭は一見しただけであれが焼死体であると気づき、そしてそれが泉町であると看破した。
「あの時は泉町さんを捜していたから」
「緊急の事態で動揺していたにも関わらず、顔の判別もできないほど焼けてしまった泉町さんの遺体を一目見ただけで、彼のものだ、となぜ判ったのでしょうか。あなたが殺したからじゃあないんですか? 証拠が欲しいというのなら、この宿舎周辺を徹底的に洗いましょう。外神さんの部屋から、彼女の血液やあなたの指紋、毛髪などが検出できるかもしれな――」
「もう、いいです」
猪之頭は絞り出すようにそう言うと、がっくりと項垂れた。
「あなたがやったのですね」
「……はい」
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