第十四章 容疑者たちの証言 その2
1
弓沢光は小柄な女だった。
体型だけ見れば猫子とそう変わらない。丸い顔にアーモンド形の大きな瞳。小さな唇に桃色のリップを引いている。艶のある黒髪をツインテールに結んでいるところがあざとく見えた。別に嫉妬ではないが、まあ男受けするだろうな、というのが、私が彼女に抱いた印象である。
「はいぃ、たしかに、光は春香ちゃんと一緒に部屋のお掃除をしていました。二人で隅から隅まで、埃一つ残さずに」
彼女は自分の名前を一人称にしていた。猫子は動じることなく質問を浴びせていく。
「その時、他の人たちがどのように行動をしていたかは憶えていますか?」
光は二十度ほど首を傾げ、顎に手を当てた。そして甘ったるい声で「うーん」と唸ると、上目遣いに猫子を見つめた。
「憶えてませぇん。ごめんなさぁい」
「あなたの目から見て、怪しく見えたり、いつもと様子が違うな、と感じた人は?」
「光、とっても真剣にお掃除してたので、判りませぇん」
私は内心のイライラを悟られぬように深呼吸をした。
「では設営が終わったあとのことはどうですか?」
「えーっと、一番奥の部屋で大学の課題を片づけてましたぁ。レポート課題なんですけどぉ。まさか、それを持って来いだなんて言いませんよねぇ? まだ終わってないんです」
「ええ、大丈夫ですよ」
「光、将来は日絵様のような、立派な哲学者になりたいんです。でもそのためには本もいっぱい読まなくっちゃいけなくって。でも光、文字を読むのって苦手なんです。何て言うんですかぁ、三行以上読むと、頭がぐわんぐわんしてきて――」
話が脱線しかけたので、猫子は泉町について質問を投げかけた。
「十五年前っていうとぅ、今十九歳だから、四歳ですね。そんなちっちゃい時のことなんて憶えてませぇん」
同い年かよ。
「泉町さんとは事件の日に初めて会ったんだね?」
「はい、そうですぅ。お年の割には若々しく見えましたけど、あんまりタイプじゃなくって。光、もっとこう、さわやかなイケメンが好きなんです。そこの刑事さんみたいに」
光は顎を両手に乗せ、ウインクを送った。それを受けて、野中はほんのり顔を赤らめた。やはり男はこういう女が好きなのか?
「ありがとうございます。もう行っていいですよ」
ぴょこぴょこと歩いていく背中を見送る。野中もその後ろにつき、次の被疑者を呼びに行った。私は溜まりに溜まったモヤモヤを息と共に吐いた。
「ああいう女は、きーちゃんの一番苦手なタイプだね」
「……なんで判るんですか」
「モテそうだから」
まもなく、野中が源道寺マサトを連れて戻ってきた。神経質そうなつり目に縁なしの眼鏡をかけている。パリッとしたしわのないシャツがいっそうその雰囲気を引き立てている。見たところ、三十代半ばだと思われる。やたら背が高く、手足も長かった。
「源道寺マサトさんですね」
源道寺は事件の日に、ホワイトボードの前に立って参加者たちをなだめていた男だった。強い警戒心を感じさせる足取りで部屋に入り、私たちの前の腰を下ろすと、くいっと指で眼鏡を押し上げた。
「探偵先生にお会いするのはこれが初めてです、火曜サスペンスの登場人物になった気分ですよ」
「犯人でなければ、すこぶる刺激的な体験でしょうね」
猫子が皮肉っぽく返すと、源道寺は肩をすくめた。
犯行推定時刻の源道寺のアリバイは次のようなものだった。彼は十二時過ぎまで他の信者と共に会場の設営を行った。彼の役目は主に現場の指揮で、完成図に従ってあれこれと指示を飛ばしていたようだ。それが終わると一人で今日のセミナーの段取りの確認をしていた。そして泉町と最終的な打ち合わせをするために彼の許を訪れたが不在だった。こうして事件が発覚したのだ。
「現場指揮をしていらっしゃったのであれば、他の関係者の皆さんの動向も確認できていたと思うのですが」
源道寺は痛いところを突かれたように顔をしかめ、
「はあ、たしかに指示をしていたのは私ですが、会場となる会議室に陣取っていたものですから……」
「ご自分では部屋を出て荷物の運搬をなさらなかった、と」
「……はい」
不審な動きをする者は見なかったという。泉町について訊いてみると、源道寺は知っていた。慎重に言葉を選びながら、彼は答える。
「知っていて当然ですよ。大きく報道もされましたし、その際に顔写真も出回りましたから。泉町という姓もなかなかあるものじゃないですからね。すぐにピンときました。本部の連中も本当は知っていたんじゃないんですかね」
「それは事件当日の前から?」
「ええ、何回か本部に所用で訪れたことがありました。その時彼が同じ教団にいることを知りました。少しクセがありましたが、親切で他人を尊重できる方でした。ただですね、彼はもう罪を償って、社会的制裁を受けているわけですから。それについて私がああだこうだ言う権利はありませんし、言うつもり毛頭もない」
「それが正しい立ち位置でしょう。では今現在、誰かが泉町さんと揉め事を起こしているとか、そういう噂はご存知ですか?」
源道寺はゆるくかぶりを振って、
「全く」
現在の泉町の人物評は過去とは真逆のようである。となれば、やはり動機は彼の過去に眠っていることになりそうだ。
源道寺が辞し、ようやく猫子による事情聴取は最後の一人を待つだけとなった。本日のメインターゲットである夏目龍翔はむすっとした面持ちでやってきた。
「やあ、久しぶりだね」
猫子が笑顔でそう言うと、彼はそれを無視してソファーに座った。挨拶の代わりに、さっさと済ませてくれ、と言いたげな視線を送っている。
猫子は彼を刺激しないよう、淡々と進めた。
夏目龍翔も他の被疑者たちと同様に確固たるアリバイはなかった。彼は十二時過ぎまで会場の設営――特に力仕事を担当し、そのあとは一人で過ごしていたという。泉町についても「知らない」の一点張りで、彼は少しでも早くこの面談を終わらせたがっていた。
「もういいですか? これ以上訊くことがないなら、僕は引き揚げさせてもらいますよ」
龍翔はすっくと立ち上がった。
「訊くことならまだありますよ。あなたとお母様のことについて」
猫子を見下ろしながら、龍翔は冷たく言った。
「母親じゃない」
「いえ、彼女はあなたの母親だ。あなたたちの秘密はすでに聞きましたから、座っていただけたらうれしいです。あっ、野中刑事」
猫子が目配せすると、野中は状況を察知したようで、すぐに退室した。龍翔はまだ立ったままである。
「どこまで聞いた?」
「全て、聞きました」
「……だったら、僕の気持ちだって判るだろうが」
押し殺すような声だった。龍翔はようやく観念したようにソファに座った。場には形容しがたい空気が充満している。私は背筋を伸ばした。私たちにとってはここからが本番なのだ。龍翔を説得する。このためにわざわざここまで足を運んだと言っても過言ではない。
沈黙を破ったのは猫子だった。彼女の大きな瞳が獲物を見据える。
「絵理華さんはあなたの本当の母親ではなかったのですね」
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