第十三章  容疑者たちの証言 その1

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 まもなくして、野中が一人の男を伴って現れた。快活な印象を受ける若い男だ。背は高く、頭はスポーツ刈りにしている。私はこの男を見たことがあった。事件当日、セミナーが行われる会議室に飛び出し、ものすごい剣幕で四階に駆け上がっていった青年だ。



「こちら、第一発見者の一人、猪之頭健児さんです」

「どうも」


 猪之頭はやや緊張した面持ちで入ってきた。健康的に焼けた肌に汗が伝っている。野中が猫子を紹介し、事情聴取に移る。野中がペンと手帳を構え、猫子が質問する。


「あなたが遺体を発見したのは、現場の部屋の窓からですよね。その時何か不審なものを見たりはしませんでしたか?」

「いえ、特に何も。中は薄暗かったし、あの時は気が動転していて」

「判りますよ。では遺体発見までの経緯を詳しくお聞かせください。すでに警察の方に何度も話しているとは思いますが」

「はい、セミナーの講師である泉町さんがいなくなったので、皆で捜してたんです。しかし、三階にはいなくて、これはおかしい、と不審に思いました。開始時刻になっても現れないので、もしかして別の階にいるのではないか、と見当をつけて四階に上がりました」


「なぜ四階から?」


「上の階から順々に捜していこうと思っただけです。その方が効率的ですから。受付にいた山宮を連れて四階に上がり、扉に飛びつきました。でも鍵が掛かっていて、中には入れそうにない。諦めて下に戻ろうと思ったんですが、虫の知らせ、と言うんですかね、窓を覗いてみたんです。そしたら……」

「焼け焦げた死体を発見した、と。ふむ、では念押しで確認しますが、たしかに、んですね?」

「はい、山宮も一緒にしました」


 猪之頭は広い肩を縮こまらせながらそろりと猫子の様子を窺っていた。


「では被害者の泉町さんについてお訊きします。あなたは彼と面識がありましたか?」

「いえ、今回が初めてでした。自分はG**支部の人間ですので。基本的にG**市からは出ません」

「それでは……あなたは泉町さんの前科について知っていましたか?」

「前科、ですか?」


 泉町が起こした過去の事件について説明すると、猪之頭は不愉快そうに顔を歪めた。ちなみのこの情報を被疑者に話すことについては警察からすでに許可が下りている。ただし、それは警察の人間が立ち会っていることが条件である。野中は神妙な顔をして猪之頭を観察していた。


「初耳です。まさかそんな悪人だったとは。自分は現在二十五歳ですので、当時はまだ子供でした。ですので、知る機会はありませんでした。仮にニュースで見ていたとしてもすぐ忘れたでしょう」

「なるほど、では形式的な質問に移ります。あなたは事件があった日の十一時半から十二時半まで、何をしていましたか?」


 猪之頭は遠い過去を眺めるように目を細めた。


「警察に答えた通りのことをそのまま喋りますよ。あの時は……たしか十二時過ぎくらいまで設営をしていました。椅子や机を並べたり、邪魔なものを奥の部屋に押し込んだり……その後は休憩室に戻って一息ついていましたね。たしか、十二時半過ぎまでいたと思います。それから誰かが泉町さんがいないって騒ぎだして――」

「それを証明できる人はいますか?」

「ああ、黒田というやつがいるんですが、休憩室にいた時はずっとそいつと一緒にいました。トイレにもいかず、ずっとそこで喋ってました。どうでしょう?」


 この証言がたしかなら、猪之頭健児と黒田剛には三十分間のアリバイが成立する。しかし、犯行推定時刻は午前十一時半から午後十二時半までの一時間だ。完全に白とは言い切れない。

「十一時半から十二時までの三十分間は? その間のあなたの行動を保証してくれる人物はいないのですか」

 猫子がぴしゃりと言うと、猪之頭は焦ったようにどもりながら、

「で、でも探偵さん、あの時は皆てんやわんやで準備をしてたのです。だから、誰が出て行ったとか、サボっていたとか、いちいち気にも留めていませんでした。ですから、そ、そういうことはですね……」

「ああ、判っていますよ。だから、その間のアリバイがないのは、ということですね」

「ええ、その通りです」


 猪之頭はほっとしたように息をついた。彼を解放すると、野中は次の被疑者を連れてきた。


「どうもー、黒田剛です」


 名前の割にはひょろひょろとした体格の男で、終始不機嫌そうにぶすっとしていた。肩まで伸びた髪はくねくねとうねり、肌は吸血鬼のように青白い。猫子の質問には丁寧に答えるが、その口調には覇気がなく、抑揚に乏しいので本当の事をちゃんと話しているのかはなはだ不安になった。

 彼の証言は猪之頭の三十分間のアリバイを保証するものであったが、十一時から十二時までのアリバイは彼自身にもなく、またその間誰かが抜け出して犯行に及んだとしても気づくことはないだろうということだった。


「猪之頭さんとは何を話しました? 差し支えなければ教えてください」

「何って、他愛のないことっすよ。どこどこのラーメン屋が美味かったとか、なじみのバーに可愛い新人が入ったとか」


 その後、泉町に関する質問をしたがこれといって特筆すべき答えは返ってこなかった。彼も猪之頭と同じく、泉町とはあの日が初対面であり、彼の前歴は知らなかったようだ。


「悪いことをすれば、その報いを受けるのは当然っすね。自業自得、因果応報、身から出た錆。もう行っていいっすか?」

「うん、時間を取らせて悪かったね」


 その次にやってきたのは、私より二回り近く年を重ねた中年女だった。顔立ちは整っているけれど、肌はくすみ、しみが散見できる。深く刻まれたしわが彼女の歩んできた過酷な人生を象徴しているようだった。外神かすみと名乗った女はひどく怯えているように見受けられた。


「大丈夫ですよ、そう警戒しないで」


 猫子がやんわり言っても、かすみは体の力を抜こうとはせず、まるで判決を待つ被告人のようにぐっと身構えていた。

 犯行推定時刻のアリバイについて訊くと、彼女はとつとつと語り始めた。

「十二時頃に会場の準備が終わって、それから、一人でビルの一階にあったラーメン屋に入りました。十五分くらいで食べ終わって、四十分頃まで外でタバコを吸っていました。戻ってみると、泉町さんがいないと騒いでいて、室内をくまなく捜しましたが見つからず……」

「完全に一人で行動されていたわけですね」

「あ、あの、私はやっていません。本当です」


 かすみは精神的余裕があまり無いのか、何か喋るたびにいちいち顔の前で手を振っていた。この落ち着きのなさは単に自分が事件に巻き込まれたことによる恐怖から来ているのか、それとも……


(何かを隠してるのかも)


 そう思い、猫子に目配せすると、彼女も同じように感じたようで小さく頷きを返した。


「泉町さんについてお訊きします」


 先の二人にしたように猫子は泉町に関する質問をした。かすみはおろおろと視線をさまよわせながら、私たちの厳しい目から逃れようとしていた。やはり彼女は何かしらの情報を隠しているらしい。


「し、知りま――」


「警察にまだ話していないことがあるなら、この場で私だけにこっそり教えてください。あなたの勇気が、事件解決に繋がるかもしれませんよ」

 文面こそかすみに非がないように配慮しているふうに聞こえるが、猫子の声には有無を言わさぬ圧力があり、そのまなざしは鋭利な威圧感を伴ってかすみの瞳を貫いていた。


「もしあとになって警察があなたが知っているであろう情報を掴み、あなたがそれを隠していたと彼らに思われたなら、あなたの立場は非常にまずい状況に置かれるかもしれません。そうなると、困るのは他の誰でもない。あなた自身だ。さあ、外神さん、何か知っているなら吐いてしまいなさい」


 重苦しい空気が場を包む。私たちの視線はかすみの口元に集中していた。

「あの……その」

 かすみは両手で肩を抱き、床に目を落とした。そうして、悪い憑き物を落とすように声を絞り出した。

「わ、私はたしかに知っています」

「何を?」

「彼、泉町くんのことを」

 野中は速記できるようにペンを持ち直し、険しい目を告白者に向けた。

「私とその、泉町くんは、かつて深い仲にありました」

「男女の仲、ということでよろしいですか?」

「……はい」

 野中の手が激しく動く。

「それは何年ほど前のことでしょう?」

「十五、六年くらい前です」

「泉町が詐欺に手を染めていた時期と一致しますね。あなたは当時彼が人を騙し、他人の財産を巻き上げていたことをご存知でしたか?」


 かすみは悔いるように「知っていました」と言った。さらに彼女はこう続ける。


「あの人は私を連れて毎晩高級クラブやバーをはしごし、べろべろになるまで飲み歩いていました。『金は使うことに意味がある』、『眠っている金を日本の経済に戻す手伝いをしてるだけさ』、というのが彼の口癖で、当時の私は愚かなことにそれが正論だと信じ、そんな彼に甘えていました」

 高級な指輪やブランド品、果ては車などもねだったという。

「それが他人の金であると知りながら、あなたは彼に物をせびり、甘い汁を吸っていたというわけですね」

 猫子は責めるような口調で言った。

「あの時は私も若かったんです。彼の言い分が正しいと信じて疑わなかった。でも、今はとても後悔しています。あの事件のせいで自殺してしまった方もいたと聞いて、ひどく胸を痛めました」

 二人の関係は泉町の逮捕によって終わったそうだ。

「それから? あなたは泉町が快生教団にいると知って近づいたのですか?」

「それは違います。私は彼が教団にいるなんて、事件の日までは知らなかったんです。もうびっくりしてしまいました。直接話すことはしなかったけれど、彼も私に気づいたようでした」

「あなたと泉町の関係を知る者は?」

「いない、と思います。あの時期は私の人生の唯一の汚点ですから。誰にも、友人にも……親にだって話したことはありません」


 かすみが退室すると、野中は「ちょっとすいません」と言って携帯電話を取り出した。今のかすみの告白を矢立警部に報告するのだろう。老警部の驚きに満ちた声が野中の手元から漏れていた。


 四人目は受付にいた山宮春香だった。彼女もまた、第一発見者の一人である。しなやかな髪に手櫛を入れながら、取り澄ました顔で事情聴取に臨んだ。

 春香は前の三人と違って十一時半から十二時過ぎまでのアリバイがあった。彼女は被疑者の一人である弓沢光と行動を共にしていたというのだ。二人は会場内の清掃を担当し、その三十分の間、一歩たりとも会場である会議室から出なかった。

「では、残りの三十分の間はどうでしょう」

「軽食を取ったあと、入り口前の受付にずっといました」

「一人でしたか?」

「……ええ。あ、でも、下から外神さんが戻ってきたのを覚えています。たしかラーメンを食べに行ったとかなんとか言ってましたね」

「その時の時間は憶えていますか?」

「たしか……十二時四十分過ぎだったかしら」


 先ほどのかすみの証言と矛盾はしていない。しかし、これで彼女のアリバイが証明されたわけでもない。


「ずっと受付にいたということは、階段の方も見えていたはずですね。誰か怪しい人物が階段を上っていくところを見たりはしていませんか?」

「誰かが来たら気づくはずですっ」


 春香は自信満々に言い切った。

 泉町については「何も知らない」という答えが返ってきた。

「では遺体発見時の経緯についてお訊きします」


 彼女は猪之頭と共に四階へ上がり、遺体を発見した。その証言に猪之頭のものと矛盾する点はなかったが、無残な遺体を目撃したショックからか、彼女はあまり当時のことを憶えていなかった。

「あの、私、外神さんが怪しいと思います」

 だいたいの質問を終えた頃、彼女は突然そう切り出した。

「なぜですか?」

 野中が慎重な態度で訊く。

「だって、あの事件以来なんだか様子が変なんですもの。自分が殺されかけたわけじゃないのに、やたら怯えて、まるで自責の念に襲われてるみたい。それにしても、犯人は本当に馬鹿だと思います。

「あなただったら、こんなことはしない?」

「するはずがないでしょう。だって、もし捕まって刑務所にでも入れられたら、次の人生でも、その次の人生でも、刑務所に入らなきゃいけないんですよ」

 春香が出て行くと、猫子は蚊が鳴くような声で呟いた。


「ふん。永遠に同じ人生が繰り返すことこそ、終わりのない牢獄じゃないか」

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