第20話 8/20 友人とファミレス

「大井はさ、好きなやつっている?」

「なんだよ、急に。そうだな。いるっちゃいるな」

「その曖昧な返答はどう受け取ればいいんだよ」


 今日は栞と会わない。久しぶりにフリーの日ができたので、ダメ元で大井に連絡してみると、空いてるとのことだったので、二人でファミレスに行くことにした。おしゃべりが目的ではなくて、溜まりに溜まった宿題を終わらせるためだ。

 八月に入ってから、彼女に付き合っていたこともあり、宿題の進みがかなり遅かった。成績は悪くないので、ペンが止まることはないが、書き続けてるせいもあり腕が疲れてきた。


 休憩ということにして、僕は訊いてみたのだ。


「俺が好きなのは、鈴原すずはらミナホちゃんだし〜」

「ああ......」


 そういや、大井はアイドルが好きなんだっけ。握手会とやらにも行くほどの熱烈なファンだと、本人の口から聞いたことがあった。鈴原ミナホさんはおそらく大井が好きなグループのメンバー。僕もテレビかなんかで名前くらいは聞いたことがあった。顔は思い出せないけど、多分あってる。

 僕も漫画好きということで、オタク要素は持ち合わせているので、大井のアイドル趣味を軽蔑するといったことはない。けれど、大井がどこまで本気なのかはわからないけど、叶わぬ恋をするのって辛くないんだろうか。


「なんだ、その顔は。佐竹の妄想彼女よりはマシだと思うけどな」


 フードコートでの一端を見られたせいで、まだ勘違いされ続けている。彼女の存在を説明するわけにいかないし、説明したとしても信じてはもらえないだろう。

 僕は自分がヤバイ人間になったという設定を突き通そう。


「僕の話はいいよ。本気でその鈴原さんのことが好きなの? 大井は」


 相手はアイドルなのに慎重に、手探り感を出しながら訊いた。


 大井は考える間もなく、口を開いた。


「そうだけど」


 そう言うと思った。当たり前だろ? みたいな顔をしている。少し憎たらしい。


「辛くないの?」

「なんで?」

「だって......」


 さすがに躊躇う。本当に恋しているのなら、なおさら言いづらい。僕は口をつぐんでしまった。


「実らない恋だからか?」


 僕が黙り込んでいると、大井から言われた。


「......うん」

「俺もわかってるよ。でもな、誰かのことを好きになるのって、よく言うことだけど、理屈じゃないんだよ。たとえ、相手がテレビの向こう側にいるような、手の届かない相手だとしても、一度好きだと自覚してしまったら、この気持ちは簡単に止まったりしないんだよな」


 大井は謎にふんぞり返った。


「かっこいいこと言ってるようだけど、結構ヤバイな」

「うっせー。いつもは遠くからしか応援できないけど、数ヶ月に一度握手会が開催されるんだけどな。俺はあの一瞬のために生きてるし、次また会うために毎日頑張ろうって思えるんだよ。こんなにも一人の人間を強く想うなんて、恋と呼ばずして何と呼ぶ?」


 大井は身振り手振りを使い、熱弁する。


「何て言えばいいんだろう。大井って僕が思ってる以上に、ヤバイやつなのかな」

「は? お前、俺の言葉が胸に響かなかったのか?」

「ちゃんと聞いたよ。だから、同時にちょっとかっけえ、ってなった」


 素直な感想だった。

 僕だって誰かを好きになったことはある。初恋もそうだし、中学の頃に付きあった子のこともそうだ。好きだという気持ちが芽生えたから、それが恋だって自覚した。けれど、僕は彼女たちに対して、大井ほどの熱量を持っていたかと訊かれれば、自信をもって頷けない。

 

 確かに好きだった。それは間違いないのだけど、それならどうして僕は初恋の彼女との別れを簡単に乗り越えることができたのか。まだ小学生だったから、深刻に捉えていなかっただけかもしれない。今では連絡先くらい知っていれば、良かったのにな、と思う。でもその程度なのだ。あの頃の『好き』というのは、今よりも漠然としていて、今の僕が考える、『好き』とはまた違っていたんじゃないかと思う。まだ本当に『好き』という気持ちをわかっていなかったのだろう。


 中学の頃付きあった子もそうだ。最終的には僕がフられたわけだけど、「私にあんまり興味ないんじゃない?」そんなことを言われて、フられた気がする。そのときの僕はきっと否定したはずだ。ちゃんと好きだったから。けれど、別れた後、部屋で涙を濡らしたわけでもないし、すぐに普段通りの生活に戻ることができていた。申し訳ないけれど、僕は本気を装っていただけのように思える。


 きっと『好き』には二種類あるんだ。一緒に遊びに行ったり、駄弁ったり、ご飯を食べたり、そういう関わりの中でも一定の距離感が保たれている人に感じる『好き』。友達なんかはこれに属するのだろう。もう一つは、四六時中と言っても大げさではないくらい、ある一人のことを考えてしまう。ただその人が笑ったり、泣いたり、怒ったり、そういう一つ一つの表情の変化にも心を動かされてしまう。そういう人に感じる『好き』。


 僕が今まで好きだと言ってきたのは、前者ばかりだったのだと思う。後者は経験して、初めて気づく。


 大井はシンプルに褒められたせいか、頭をかいて照れている。


「まあ、なんだ。妄想の中の彼女さんのことが好きなら、それはそれでいいんじゃねーの。俺と同じ叶わぬ恋同士、頑張ろうぜ。いつか別れは来ると思うから、そのときは早く別れた方がラーメン奢ってやることにしようぜ」


 大井の言う別れとは、鈴原さんがいつかは卒業してしまうということだろう。きっと、僕の別れが先。


「いいよ」


 僕は栞のことが好きだ。あと数日で消える人のことを好きになってしまった。これだけ密度の濃い日々を過ごしていれば、意識してしまう。最初は彼女が特異な存在であるから、僕の意識は彼女に向かっているのだと思った。違ったのだ。僕が彼女のことが好きだから、意識は向いていた。ただそれだけだったんだ。

  

 テーブルの上のスマホが振動した。


『明日、二時ぐらいに行くの!』


 とメッセージが届いていた。僕の心を読まれているんじゃないかと思うタイミングだったので、辺りを見渡したが、栞の姿はなかった。ほっと、息を漏らす。

 よく見ると、語尾がちょっとおかしい。彼女はそんな喋り方をしたことがないし、イメージとは違う。きっと誤字だ。本当は『行くね!』と打ちたかったのではないだろうか。


 思わず、笑みがこぼれる。


「彼女からか? お前も大概ヤバイな」

「うるさい」

 

 僕は『待ってる』と返信しておいた。


 僕は一度芽生えたこの気持ちをどう処理すべきか模索しながら、ワークに視線を落とした。

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