僕の夏は、君と共に終わる
久住子乃江
第1話 8/1 出会う
僕、
長期休暇の素晴らしさを身にしみて感じる。これで宿題が出ていなかったら最高なんだけれど、学生という身分である以上、宿題が出ないはずもなく、その量にうんざりする。
それでもなんとか、今日の分の宿題を終わらせたので、近くの本屋に足を運ぶことにした。
外に出ると、暑さで身体が溶けそうだった。特に今日は快晴ということもあり、日差しも強い。どこまでも真っ青な空が広がっており、インドア派の僕にはしんどい天気だった。
本屋まで徒歩数分。くたくたになりながらも、たどり着くことができた。店の中は冷房がかなり効いていて、寒いくらいだった。きっと服がかなりの量の汗を吸収していることで冷えてしまったのもあるだろう。
僕が真っ先に向かうのは、漫画コーナー。小説は字ばっかりだし、全くと言っていいほど読まない。雑誌なんかも興味がない。
新刊と書かれたポップに目を通し、面白そうな漫画がないか物色する。
異世界に転生する漫画だったり、ラブコメだったり、歴史物だったり、多種多様な漫画たちが積まれている。
今日はなさそうだな。
心から読みたい、と思える漫画はなさそうだ。仕方なく、既刊の漫画で面白そうな物がないか、探していると、綺麗な人が目の前にいることに気がついた。
長い黒髪に、綺麗な目鼻立ちをしていた。肌はとても白く、透明感があった。横顔しか見えていないが、美人であることがよくわかった。年は同じくらいだろうか?
僕には縁のない女性だな。
容姿を自己評価すると、平均と言ったところだろう。中学時代に告白されて付き合ったことはあったので、多分平均くらいの容姿は持ち合わせていると思っている。
目の前にいる彼女は、誰が見ても、上の上。モデル活動をしていると言われても不思議ではない。
そんな人が漫画を読んでいるなんてちょっとした親近感を勝手に抱く。
僕には話しかける勇気なんてないので、彼女の後ろを触れないように、通る。故意ではなくとも、触れてしまい、警察沙汰になったらたまったもんじゃない。ここは紳士的行動をとるべし。
僕は軽く両手を挙げながら、背中合わせになるような状態で、狭い空間を通った。すれ違いにくいので、この本屋はもう少し道幅を広くして欲しい。
彼女の背後を通った直後、後ろを振り返ると、目が合った。目が合ってしまった、と被害的に表現した方がいいかもしれない。この場で目が合うなんて痴漢と思われたのではないか、と不安になる。
彼女は驚いているのか、口を半開きにし、見つめてくる。美人なので、普通ならバカっぽいしぐさでも美しいと感じてしまう。まあ、今はそれどころじゃないんだけど。
確実に僕の方を見ている。後ろの棚の漫画を見ているわけではないだろう。彼女の視線の先には僕がいる。
気をつけて通ったけれど、多少身体が接触した。そのことを咎められたら、僕は負ける。触れた事実は確かに存在するし、こういうのは大抵男が不利になってしまうのだ。冤罪だ、と訴えても、きっと聞き入れてもらえないだろう。
地元の新聞デビューを果たしてしまうのかな。こんな不名誉なことで新聞に載りたくはない。
落ち着いて話せば、きっとわかってくれると思い、僕は謝罪することにした。
「......あの、すみません。僕もわざとじゃないんです。不可抗力というか、なんというか」
触れたことを認めるような発言だが、触れてないことを主張するよりは、正直に言った方が印象は良くなるだろう。実際、背中にほんの少し触れてしまったわけだし。
「え、あ......いや、こちらこそ、なんかすみません」
あれ? どうして僕が謝罪される立場になっているんだ?
彼女が僕を見ていたのは、僕の勘違いだったのか?
沈黙が流れる。夏休みに入ってから、一番居心地の悪い時を過ごしている。数秒が体感では数分に感じられる。
「僕、何かしましたか......?」
僕の勘違いであれば、それでいい。勘違いでなければ、やはり全力で謝罪。土下座をする覚悟はできている。
「何もしてないです! 困らせちゃったみたいで、ごめんなさい!」
彼女は深々と頭を下げた。
そんな立派なお辞儀をされれば、どう対応すべきか困る。今、困らせられている。
本屋で綺麗な女性に謝罪されている状況を見れば、店員さんはどう思うだろうか? とりあえず、この場から離れるべきだと思った。
「一旦、外に出ませんか? 嫌なら、いいんですけど......」
僕に強制力はないので、あくまで提案だ。応じてくれれば、嬉しい。
「そうですね。ここじゃ、話しづらいですよね!」
僕たちは何も買わずに本屋を出た。駐車場の邪魔にならないところで、話を再開することにした。やっぱり暑いな。
「さっき目が合った気がするんだけど、僕の気のせい......かな?」
「いえ、しっかり合ってました!」
よし。ここまでは僕の思い違いではなかったようだ。
「じゃあ、君が僕を見ていたのは、僕が痴漢したから?」
「痴漢したんですか!?」
彼女は少し顔を引きつらせて、言った。
「ごめん。訊き方が悪かった。僕が痴漢したと思ったから、見てたの?」
「違いますよ」
「じゃあ、どうして?」
彼女は言うか言うまいか迷っているように見えた。
「多分、信じてもらえないと思います。私の話」
実は彼女はタレントさんで番組のドッキリ企画に、僕は参加させられているとか? それとも、友達との遊びで見知らぬ人と話をするのが罰ゲームだったり?
「私、死んでるんですよ。この世にいない存在なんです」
想像を遥かに超える話だ。僕が上げたハードルを余裕で飛び越えてきた。
彼女はイタイ子なのかな。
「......という設定なの?」
「違います! 本当です! だから信じてもらえないって前置きしたじゃないですか」
前置きをすれば、いいというものでもない。信じる人がいれば、そいつも頭がちょっとおかしい奴だ。言ってる本人が一番やばいんだけど。
僕の脳は正常に働いているので、そういう判断を下せる。信じたりはしない。
「何か証明できる方法はあるの?」
これがベストな返し方だろう。きっと何もできないはずだ。死んだ人間が見えるなんて、そんな能力僕に備わっていないのだから。僕が知らないうちにそういう能力に目覚めてしまったのかもしれないけれど、その可能性は限りなく低い。
「いいですよ」
予想に反した、返答だ。
彼女はもう一度本屋の方へ歩き始めた。自分で言っといて何だけど、どうやって証明するんだろう? 店員さんに、「私、死んでますよね?」みたいな会話をし始めたら、僕はこの人を関わっちゃいけない人認定をしてしまう。すっごい美人だけど、残念すぎる。
もし彼女がそういった行動をとったら、踵を返し、知らない人のふりをしよう。
冷房の効いた店内。
「生き返るなぁ」
「ブラックジョークはやめてくださいよ」
彼女はムスッとした。
僕の発言をジョークだと捉える人は、世界中探しても自称死人の彼女ぐらいだろう。
トコトコ僕の前を歩き、三十代ぐらいに見える男性の隣に立った。やはり話しかけるのだろうか?
「すみません。私のこと、見えますか?」
数秒が経っても、男性からの返答はなかった。
男性の視線は雑誌から離れることは一切なかった。むしろ、ジロジロ見てる僕の方を見て、嫌そうな顔をされてしまった。
いやいや、そんなはずないだろ。
彼女はドヤ顔で、僕の方を見ている。
また歩き始めて、次はこの近くの私立校の制服を着た女子高生の隣に彼女は立った。
「可愛いですねぇ。憧れちゃいます。良ければ、私と握手でもしてくれませんか?」
確かに可愛らしいとは思うけど、女優に匹敵するレベルの美貌を持つ彼女が言うと、嫌味にしか聞こえなかった。
参考書を見つめる女子高生の視線が、彼女の方へ向くことはなかった。その代わり、こちらへ視線は向けられた。
「何ですか?」
とても不愉快そうな声だ。それはそうだろう。見知らぬ男子高校生から、不思議そうな視線を向けられているのだから。
ここは穏便に、ことを荒げることなく、終えたい。
「僕もそこの参考書が見たくて。あっ、こんな近くで見てたら、集中できないですよね。すみません。離れてます」
そう言って、僕は本屋の出入口に直行した。彼女も後ろをついてきている。
外はカラッとした暑さだ。蒸し暑いよりはマシなのかもしれないけれど、不快指数を高めるのには充分な暑さだった。
「ね? 言った通りでしょ?」
「信じたくないけど、そうなのかもしれないって思えてきた」
まさかあの場にいた僕以外の全員が仕掛け人だったりする? やはり彼女は芸能人で、テレビのドッキリ企画のようなものなのか? 一般人をターゲットにしたやつ。
わかりやすい位置に配置してるとは思えないけれど、パッと見た感じ、カメラのようなものは発見できなかった。
彼女は、本当に死んでいる?
「でも、私もびっくりしたんですよ。私の存在に気づいたのは君だけだったから」
「まだ頭の中がこんがらがってるんだよね。もう少し詳しく話を訊きたいんだけど、ここだと暑さで集中できないし、移動しない?」
「いいですねー」
移動すると言ったって、どこへ向かうべきなんだ?
喫茶店やファミレスは話しやすいし、きっと涼しい。最高の環境であることには違いないんだけど、一つ問題があるとすれば、傍から見れば、僕は独り言を延々と喋り続けるイタイ子に見えてしまう。目の前に彼女がいたとしても、視認できるのはきっと僕だけであるはずだから。信じたくないけれど。
とすれば、他に候補はあるか? 一つ思いついた場所がある。快適に過ごせて、周りを気にする必要のない場所を。
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