第4話 8/5 ラーメン
「今日はラーメンが食べたいです」
「そんなものでいいの?」
僕は決してラーメンをバカにしているわけではない。ラーメンは大好きだ。大好きだけれど、あと一ヶ月もないこの世での生活にラーメンを選択するのは意外だったのだ。それに彼女なら無銭飲食で捕まることはないし、誰かが頼んだラーメンを横取りしても咎められることはないだろう。
「私、ラーメン食べたことないんですよ。だから行ってみたいです!」
ラーメンを食べたことがないだと......? めったに食べないという人はいても、一度も食べたことがないという人に会ったのは初めてだった。もしかすると、生前の彼女の家族は、ラーメンを毛嫌いする一家だったのかもしれない。
彼女には驚かされてばっかりだ。
僕の完全な主観になるけれど、この辺りで一番美味しいと思える店に連れて行ってあげたい。
「わかった。ちょっと歩くけど、大丈夫?」
「余裕です!」
今日は僕と柏木栞が出会ってから、五日目だ。毎日一時から二時の間ぐらいに彼女は僕の家にやってきて、二人で何かしている。昨日は僕たちが出会った本屋でお互いの好きな漫画をプレゼンをしあったりした。おかげで僕は独り言を言い続ける、ヤバイ奴認定されたのかあまり人は近づいてこなかった。
初めて出会った彼女をどうして僕は、こんなに助けたいと思ったのだろう。物珍しさ、好奇心みたいなものも多少はあった。普通に生活していれば、絶対に体験することができない体験をさせてもらっている。壁をすり抜ける能力とか、フィクションの世界だけだと思っていた。
当然、同情心もある。彼女からしても、今まで関わりのなかった男から同情されても迷惑かもしれないが、僕と同い年ですでに生を断たれた彼女に同情する気持ちが芽生えないはずがなかった。
しかし、それだけではないような気がする。一目惚れとかそういうものじゃない。でもそれが何かはっきりしないままだ。
「ねえねえ、私、良いこと考えたんですよ」
「ろくなことじゃなさそうだけど、一応聞く」
「失礼ですね。秋太くんはこうして私とお話してくれてるじゃないですか」
「うん」
「でも、すっごい視線を集めてるじゃないですか」
「そうだね」
周りから見れば、そこそこ大きな声で独り言を喋ってる人なので、当然痛い視線を向けられる。
「スマホ持ってますか?」
「持ってるけど」
そう言って、僕はポケットに入っていたスマホを取り出した。
「常に誰かと電話してる風に見せかけるってのはどうでしょう」
確かに彼女の考えた作戦なら、一人で喋り続けても不審がられないだろう。
「いい作戦だと思う。でも、僕はこのままでいいよ。僕と無関係な人からどんな目を向けられても、どうってことないし」
出会った初日と違い、そんな風に考えるようになっていた。これから先、おそらく関わることのない人たちからどう思われようが、別に気にすることではない。同じ高校のやつに見られたら、ちょっと気まずいけれど。
「私はいい彼氏を持ったなー」
そう言って、彼女は歩くスピードを速めて、僕の前へ出た。
数十分歩いて、僕がよく行くラーメン屋に着いた。入る前からスープの香りが鼻腔をくすぐり、空腹が刺激された。ピーク時は過ぎているので、並ぶことなく入店することができた。
僕たちはカウンター席に座った。再奥の壁に近いところ。
「どれにする?」
「色々種類あるんですね」
「そうだね。王道なのはしょうゆとかとんこつじゃないかな」
「秋太くんはどれに?」
「僕はしおラーメンかな。ここのしおラーメンの味は僕が保証する。あっさりしてて、食べやすいと思う」
彼女は今一度、メニューに目をさらっと通した後、閉じた。
「私も同じのにします」
僕はしおラーメンを二杯注文した。店員から少し不思議そうな顔をされた。僕みたいなひょろっとしたのが二杯食べると思われているのだから、当然だろう。
数分後に、ラーメンがやってきた。僕の前に二杯とも置かれた。
「ちょっと気になったんだけど、柏木さんの姿は誰にも見えない。じゃあ、柏木さんが食べたラーメンはどう見えるのかな? いきなり空の容器が現れたりするのかな」
「うーん。そこのところは私もあんまりわかんないですよね。周りの人から不思議な目をされたりはしないので、そういうわけではないんじゃないですかね? きっと全てが最後に上手く調整されるんでしょうね」
「調整?」
「はい。ちょっと難しいんですけど、このラーメンって本当は作られることがなかったラーメンじゃないですか。私が頼まなかったら、食べられることはなかったわけですから。私は死んだ人間なので、この世にいてはいけない存在なんです。きっと一ヶ月後に帳尻が合わせられるんじゃないかと。私がこの一ヶ月消費したものなんかが、消費されなかったものとして復活する、みたいなことを言ってました」
「柏木さんが本屋で一冊本を盗んだとする。在庫から一冊、本が消えるわけだから、普通本屋は損するはず。でも、一ヶ月後には盗まれたことなんてなかったことになると」
「そんな感じですね。いいたとえじゃなかったですけど」
深く考えずに言ったけれど、彼女を盗人としてたとえてしまった。これも罰せられることは絶対にないことだけど。
「気分を悪くしたようなら、ごめん」
「これくらいじゃ、何とも思いませんよ。秋太くんが私に使ったお金も一ヶ月後復活しますよ」
この一ヶ月で使用したお金が戻ってくるなんて、喜ばしいことのはずだ。今日払う予定のラーメン代、数日前に自販機で買った麦茶代なんかも一ヶ月後戻ってくる。そして、僕と彼女が一緒にいた記憶だけが残る。悪くない、悪くないはずなのに、少し寂しさを感じ、上手く笑うことができなかった。まだ出会って五日だというのに、毎日会っているせいもあり、ずっと前から知り合いだったような、そんな感じがした。
「ラーメンって美味しいんですねえ」
「同い年の子からそんなセリフが聞けると思わなかった。満足してもらえたようなら、連れてきた甲斐があったよ」
「大満足ですっ。そういえば、同い年のお友達いないんですか? 私と毎日会っていて、友達と遊んでないようですし」
まずは友達の定義を......。いないわけではないけれど、少ない方ではあると思う。彼女の言う通り、夏休みの暑い中に遊びに行くような友達は全然いない。誘うこともなければ、誘われることもない。今のところだけど。でも、一人だけいるな、誘って来そうなやつが。
「友達はそこそこいるよ。そこそこ」
謎の見栄を張ってしまった。彼女の顔を直視できなかった。
「へー、そうなんですか。いいですねぇ」
どんな人ですか、とか訊いてこなかったあたり、柏木さんは僕を気遣ってくれたのだろう。きっと僕が本当のことを言っていないことくらい気づいてそうだから。
僕の家の前まで帰ってきた。今日もかなり歩いた。最近はウォーキングが趣味と言っても、差し支えないレベルだ。徐々に筋肉痛にもならなくなってきた。いつか隣町まで歩いて行ってしまうのではないだろうか。
「では、また明日もよろしくお願いします」
「うん。また」
彼女の後ろ姿は生き生きしていた。刻一刻と彼女が現世でいられる時間は減少しているのに。
僕も未練を残したら、彼女のようになってしまうのかな。そんなことを考えながら、玄関の扉を開けた。よく考えれば、僕には未練を残すほど執着しているものなんてなかった。
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