第5話 8/8 ポップコーン
昨日は柏木さんと会うことができなかった。僕が友達と遊びに行ったからだ。友達は少ないけれど、一人もいないわけではない。一昨日に連絡が来たので、彼女に会えないことを伝えた。その時の寂しそうな顔を見ると、本当に付き合っているような気がしてきてしまった。
彼女は付き合っているというけれど、僕たちにはまだまだ距離感はあると思うし、僕の感覚では仲良くなり始めた友達ぐらいだ。彼女の敬語も一向になくなる気配はないし。たまに感極まった時に外れるくらいだ。
彼女の方も口では言うけれど、付き合っているという感覚はないんじゃないだろうか。自分にそう言い聞かせて、僕を彼氏と見立てる。彼女は僕にしか見えていないのだから、僕以外に候補がいないし仕方のないことなのかもしれない。
自分で言うの何だけど、僕を彼氏と考えるのはかなり無理がある気がする。彼女と僕とでは、全く釣り合っていない。主に容姿が。
神様は酷いと思う。彼女の人生を早々に終わらせた挙句、未練を消化する際ももっと相応しい人物を選んであげるべきだった。そういえば、彼女の死因を訊いたことがないな。本人に死因を訊くなんてこれから先、一生することのない経験だ。しかし、きっと思い出したくないことだろうし、訊ける環境にあるけれど、訊くことはないだろうな。
そんな彼女がもう少しで僕の家にやってくるはずだ。一日空いただけなのに、八月に入ってから毎日会っているせいで、久々に感じる。
部屋の扉が数回ノックされた。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
彼女は壁を通り抜ける能力を持っているが、僕のプライバシーを考え、一応ノックしてくれたようだ。玄関の扉は通り抜けてきたようだけど。
「今日は何するの?」
「そうですねー。この辺でおうちデートなんてどうです?」
「どうです? って言われても、するんでしょ。それ」
「その通りです。一応映画も借りてきました!」
借りてきた、ではなく、パクってきたのでは? 彼女がレンタルショップで、お金を出して、借りてる姿を想像することはできるけれど、実際にそうすることはできないのだから、勝手にディスクを引っこ抜いてきたのだろう。
僕の家に未清算のディスクがあるわけだけれど、捕まらないよね? 彼女の話では、夏休みが終わると、彼女がとってきた一枚のディスクもとられたという事実がなくなるので、捕まることはないのだろうけれど、犯罪に加担しているみたいで、罪悪感が芽生える。
「僕の家に、お菓子とかあんまりないから、今から買いに行く?」
「それもバッチリです。ポップコーン買ってきました」
そう言って、手に持っていた袋から、ポップコーンを取り出した。僕が想像していたのは、大袋の開ければ、食べれるやつだったのだけれど、彼女が買ってきたのは、ポップコーンの種だった。
「なあ、どうして種なんだ? 出来上がったやつはなかったのか?」
彼女は不思議そうに小首をかしげた。
僕は何か変なこと言ったかな?
「......ポップコーンってこうやって作るんじゃないんですか?」
「いや、まあ、間違ってないよ。間違ってないんだけど、火を使うし手間がかかるから、普通は完成したやつを買うもんだと思ってた」
僕は言って、スマホで画像検索し、それを彼女に見せた。
「お恥ずかしい......」
どうやら本当に知らなかったようだ。かなり珍しいけれど、そういう人がいてもおかしくはないだろう。僕にだって知らないお菓子はあるだろうし。
「せっかく買ってきてくれたんだし、一緒に作るか」
「はい!」
と思ったけれど、一つ問題がある。今日、僕の家にいるのは、僕と柏木さんだけではない。母さんがリビングのソファで鎮座している。
火を使うには、どうしてもそのリビングを通る必要がある。キッチンはリビングを抜けた先にあるから。リビングとキッチンの間には扉がないので、僕が喋った声が母さんに丸聞こえだ。
つまり、僕が今みたいに柏木さんと普通に会話してしまうと、母さんに訝しげな目で見られ、病院に連れて行かれる可能性があるということ。脳に異常がないか検査してもらうために。
それはまずい。本当のことを説明したいが、彼女の存在を母さんに知られるわけにいかない。
ポップコーンは諦めるしかないのか? 彼女がせっかく買って、いや持ってきてくれたポップコーンの種を無駄にしたくない。それに、やる気に満ち溢れた表情を見ると、とてもじゃないが、やっぱりやめとこう、なんて言えなかった。
彼女が、まだかまだか、と見つめてくる。これ以上、思案し続けるのは、無理か......。
「とりあえず、下行こっか」
彼女は大きく頷いた。どうしよう。
「母さんがリビングにいると思うけど、気にしないでね」
一応、言っておいた方がいいかと思い、階段を下りている最中に言った。
「そうなんですね。私は全然気にしないんですけど、秋太くんは大丈夫なんですか?」
彼女もこのまま二人でポップコーンを作り始めたら、どうなるのか気づいたようだ。
「まあ、何とかなるでしょ」
何とかなる算段が立たないまま、僕はリビングの扉の前まで来てしまった。テレビの音が聞こえるし、母さんが買い物に出かけている可能性も潰えた。
僕はゆっくり扉をスライドさせた。
いきなり扉が開いたのだから、当然母さんはこちらを向く。
「何それ、ポップコーン?」
母さんは僕の左手に持つ、ポップコーンの種を指して言った。
「そうだよ。ちょっと食べたくなってさ」
「それだったらわざわざ種から作らなくてもいいのに」
母さんの意見に同意だ。隣の彼女は少し頬を赤らめている。母さんには見えていないけれど、ダメージを与えてしまったようだ。
「出来たての方が美味しいでしょ。たまには、いいかと思って」
「全然いいけど、火使うんだから、気をつけんだよー」
「小学生じゃないんだから、大丈夫だよ」
リビングとキッチンは繋がっているが、申し訳程度に仕切るためのカーテンがあるので、僕の姿は母さんからほとんど見えないだろう。
「よし、作るか」
かなり小さめのボリュームで僕は、言った。
「はい」
なぜか声の大きさを気にする必要のない彼女まで、小声になっている。
「柏木さんはいつも通りの声の大きさでいいんだよ」
「あっ、そうでした。私の声は秋太くんにしか、聞こえてないですもんね」
彼女の声の大きさは、先ほど部屋にいたときと同じくらいに戻った。僕もつられて、声が大きくならないように気をつけないと。
僕はお鍋に種と油を入れ、火をつけた。作ると言っても、たったこれだけなので大した労力ではない。
隣の彼女は子どもみたいに、楽しそうにお鍋を見つめていた。
「弾けるまでもう少しかかると思うよ」
「そうなんですね。じゃあ一つお願い、いいですか?」
「どうぞ」
僕は何をお願いされるのだろう。無理のない範囲であれば、いいんだけど......。
「秋太くんも私のこと下の名前で呼んでください!」
「え、なんで」
「なんでって、彼女なのに柏木さんってずっと呼ぶの距離感ありません?」
その通りかもしれない。でも、僕はまだ、柏木さんイコール彼女という等式は成り立っていなかった。出会って一ヶ月も経っていないのだから、僕の感覚が普通であると信じたい。むしろ、いきなり初めて会った男の家に上がったり、その男に彼氏になるように頼んだり、彼女はフレンドリーすぎる気がする。
「まあ、そうだけど。栞って呼ばれたいの?」
「はい! 私の名前、覚えててくれたんですね」
「うん。努力はするけど、期待はしないでね。柏木さんで慣れちゃったんだから」
「努力してもらえるだけで、嬉しいですよ」
栞......か。僕は友達を苗字で呼ぶ習慣があるので、なかなか慣れそうにないな。というか、どうして僕は彼女のためにここまで真剣になっているのだろう。本当に好きになったから、とかそういうのではないだろうな。
「僕からも一つお願いがある」
「何ですか?」
言った彼女は、かなり顔を近づけてきた。覗き込むような感じで。甘い香りが僕の鼻腔を抜けた。
僕の声がかなり小さいのもあるけれど、近づきすぎだ。生前から彼女はこんな子だったのか? これで男の家上がったことないって、呪いでもかけられていたのか? 男の家に入ると、死ぬ、みたいな。
僕は耐えられなくなって、顔をそむけて、言う。
「敬語やめない? 同い年なんだし」
敬語は彼女の基本スタイルだ。以前にもどうして敬語なのか訊いたことがあった気がする。距離感で言えば、これもそれなりだと思うのだけれど、どうだろう。彼女は悩んでいるようだった。
「嫌ならいいんだけどさ。無理に変えてもらおうとは思わないし」
「えっと、秋太くんはタメの方がいいですか?」
「僕はそうだね。その方が話しやすい」
「わかりました。彼氏がそれを望むのなら、敬語やめます! 努力はしますが、期待はしないで......ね?」
敬語で慣れているせいか、違和感を覚える喋り方になってしまっている。八月が終わるまでに、慣れてくれればいいな、と思う。
そんな話をしているうちに、ポップコーンが出来始めた。お鍋の中からポコポコと弾ける音が聞こえる。
「こんな感じでポップコーンってできるんですねぇ」
「敬語」
「あっ、慣れない......よ」
僕も名前を呼ぶとき、柏木さんと呼んでしまいそうだ。慣れって怖いものだ。変えようと思っても、なかなか変えることはできない。
出来上がったポップコーンをお皿に移し、完成した。ポップコーンが出来上がったので、二階に戻ることにした。
キッチンを出た瞬間、母さんに声をかけられた。
「あんた、ぶつぶつ何言ってたの?」
小声とは言え、この距離だと聞こえてしまっていたようだ。どう誤魔化そう。
隣の彼女は両手を合わせて、謝罪のポーズをしている。別に彼女が悪いわけじゃないのに。僕がもう少し気をつけていれば、良かった話だ。
「彼女と通話中だった」
「いつの間に彼女できたの?」
「最近だね。またいつか紹介するよ」
「早く紹介するんだよ」
そう言った母さんは、テレビに向き直った。俺はリビングの扉を開け、出た。
「なんか、さっきの嬉しかった」
栞が言った。
少し嘘を言ったけど、完全な嘘ではない。彼女ができたというのは、本当だ。けれど、母さんに紹介するのは絶対に叶わないことなので、嘘になる。
僕は少し微笑んで、部屋に入った。
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