第3話 8/2 散歩

 高校二年生の夏。僕に彼女ができた。彼女を見れば、誰もが羨むだろう。しかし、僕にしか見えていないのは残念だ。


 どうして初めて会った彼女の願いを助けることになったのだろうか。拒否することもできたはずだ。そうしなかったのは、僕がお人好しだからだろうか? 自分ではわからない。

 僕自身、夏休みを適当に過ごしているだけだったので、暇つぶしと思えば悪くない。それに、僕にしか見えていないけれど、かなり美人だ。こんなに綺麗な人と夏休みを過ごせると思えば、全く悪い気はしない。


 昨日は、彼女となった柏木栞と僕の家で少し喋っただけだ。その後、彼女は帰ってしまった。訊いていなかったけれど、家はあるのだろうか? どこで生活するのだろう?

 まだまだ彼女について知らないことが多すぎる。少しずつ、彼女のことを知っていく必要があるな。一応、僕の彼女となったわけだし。


「秋太くん、こんにちは」

「こんにちは。柏木さん」


 彼女は昨日、「明日の一時頃にまた来ますね」と言って、帰った。時間通りに彼女は僕の家を訪れた。


「今日は秋太くんと色んなルールなどの諸々の話をしたいと思います」

「ルール?」

「はい。玄関で話すのも何ですし、お散歩しながら話しませんか?」

「構わないよ」


 僕はすぐに外に出かけられる格好に着替えた。彼女は昨日と違う真っ白のブラウスを着ていた。


「お待たせ。じゃあ、行こうか」

「行きましょう。あっ、秋太くん、秋太くん」

「な、なに?」


 そんな楽しそうな顔をしながら、いきなり名前を連呼されると、ドキッとする。柏木栞とはこういう人物なのだろう。慣れていかないと......。


「すっ」


 彼女は小さな掛け声と共に、玄関の扉をすり抜けていった。

 鏡を見ていないけれど、僕はひどく間抜け面をしていると思う。目の前で超常現象を見せられては、誰もが口を半開きにし、声を発することもできず、ただ呆然と眺めることしかできないと思う。


「どうでした?」


 次はちゃんと扉を開き、彼女は戻ってきた。


「すごい」

「それだけですか?」

「人間って本当にすごいものを見ると、言葉が出ないんだよ」


 僕がそう言うと、彼女は微笑んだ。

 

 僕はそんな能力使えないので、普通に扉を開き、外へ出た。天気は今日も快晴。安定に暑い。どうして、こんなに夏は暑いんだ。夏だからか。

 この暑さの中当てもなく歩くというのは、愚行に違いない。僕の部屋で話した方が良かったのではないだろうか。僕は選択を誤ってしまった。


 隣の彼女を見ると、清々しい表情で歩を進めている。


「暑くないの?」

「暑いですよ?」

「じゃあ、どうしてそんなに元気そうなの?」

「どうして? そうですねー。生きてるーって感じがするからじゃないですかね。暑いとか寒いとか、そういう肌でしっかり感じられるのって生きてる証みたいな気がして、なんだか嬉しいんですよね」


 僕には到底分かり得ない理由だった。死んだ彼女だからこその暑さに対する感じ方だ。普通の人ならば、この暑さをプラスに捉える人はまずいないだろう。喜ぶのは極寒の地に住んでいるような人たちだけじゃないのか。


 不思議な気分だ。こうして普通に会話しているのに、彼女は生きていないだなんて。


「公園がありますねー」


 彼女は僕の家から歩いて数分の公園を見つけて、はしゃいでいる。


「せっかくだし、入る?」

「はい!」


 小学生だと思われる子どもたちが数人遊んでいた。広場でサッカーをする子やブランコに乗る子も。

 僕の狙いとしては、屋根がついているベンチに座って日陰で休もうという作戦だ。僕は暑さを不快に感じるので、これ以上歩き続ければ、熱中症になってもおかしくない。飲み物持って来れば良かったかも。


「飲み物買ってくるけど、何か飲む?」

「優しいですね。お茶をお願いします」

「了解」


 彼女にはベンチで座って待ってもらい、公園の外にある自販機まで歩いて行った。そこまで大きな公園ではないので、すぐそこだ。

 

 彼女の分の麦茶と自分の分のスポーツドリンクを買い、彼女の元へ戻った。

 ベンチで足をパタパタさせながら、空を見つめていた。風に吹かれるその様は、絵になった。彼女の存在を認識できれば、きっと注目を集めていたはずだ。小学生たちにも彼女の美しさくらい理解できるはずだ。


「どうぞ」

「ありがとうございます。いくらでした?」

「これぐらいいいよ。それにお金持ってるの?」

「持ってないですね」


 彼女は申し訳なさそうに笑った。


 水分、塩分がチャージされ、少し生き返った。


「さっき言ってたルールって?」

「まずはそれについて話さないといけませんね。私ってもう死んでるんですよ」


 柏木さんの存在が誰からも認識されなかったり、金属の扉をすり抜けたりするのを見ると、彼女がこの世にいない人なんだと、少しずつ受け入れ始めた。


「死後、案内人さんみたいな人に連れて行かれて、色々説明を受けたんですよ。こうしてまたこの世界で未練を晴らす上での注意点みたいなものを」

「その話を信じてしまうようになってしまった僕の頭は正常だよね?」

「ふふっ。正常ですよ。三つ決まりごとみたいなのがありました。一つ目は期限です。これは最初に話したやつですね。八月三十一日を超えれば、私はいなくなります」


 まだ三週間以上もあるけれど、あっという間に過ぎるんだろうな。九月になれば彼女がいなくなることに、まだまだ実感は湧かない。

 一ヶ月後の僕は彼女がいなくなることに悲しがることはできるのだろうか。彼女の存在を認めることができる唯一の人間として、悲しがれたらいいな、と思う。


「二つ目は?」

「私の存在は、他の誰にも言ってはいけません。秋太くん以外に知られてはいけないっていうことです」

「僕が誰かに言ったら、柏木さんはどうなるの?」

「消えるらしいです。一ヶ月を待たずして、消えます」


 彼女が誰かに伝えることはできないので、僕にかかっている。怪しまれないように、行動しないといけないな。


「まあ、このルールはあんまり気にしなくてもいいですよ」

「どうして?」

「だって私のことを見えない人が私がここにいると信じるはずないじゃないですか」

「おっしゃる通りで」


 僕が必死に彼女の存在を誰かに認めさせようとした日には、精神科に連れて行かれることだろう。


「じゃあ、最後は?」

「最後は......言わないでおきます。言ったら、多分私のお手伝いをしたくなくなると思うので」

「わかった」

「気にならないんですか? 最後のルール」


 彼女は小首を傾げて、言った。


「気にはなるけど、強制力はないからね。言いたくなったら、言えばいいよ」

「私のお願いを快く引き受けてくださるし、あなたが神様に見えてきました」


 快く、というのが少々引っかかるが、結局引き受けてしまったあたり、お人好しなのかもしれない。


「僕が神様なら、恨んだ方がいいよ。君は若くして死ぬことになってしまったんだから」

「確かにそうですね。あなたを恨んでおきます」


 そう言って、彼女は微笑んだ。

 風が吹くと気持ちがいい。少々風が強いようで、公園の木々が唸っている。強い風に吹かれても、木は根強く生えているため、倒れることはない。見た目通りの強さだ。

 

 隣の彼女は、発言などは平気そうに振舞っているが、実際のところ内心どう感じているのかわからない。死という経験をしたのは、彼女以外にいないので気持ちをわかってあげられない。彼女の苦しみを共感できるなんておこがましいこと言えない。彼女にしかわからない苦しみがもしあるのなら、少しでも緩和させてあげられればいいな、と思う。


 僕たちが座るベンチの方に、サッカーボールが転がってきた。ボールは僕の足で止まったので、取ってあげた。


「はい」

「ありがとう、お兄ちゃん。さっきから誰と話してたの?」


 小学校低学年ぐらいの男の子だ。サッカーに夢中で、こちらなど見ていないものだと思っていたが、見当違いだったようだ。隣に彼女はいるけれど、それを言うわけにいかない。僕も頭のおかしい奴だと思われるし、彼女も消えてしまう。本当のことは言えないのだ。


「考え事してただけだよ。独り言を言っちゃう癖があるんだ」

「へー。変なのー」


 結局変な人扱いをされてしまった。これから関わることのないであろう子どもなので、別にこの子にどう思われようが構わない。

 ボールを受け取った小学生は、友達のいるところへかけて行った。


「ふふっ。独り言を言う癖があるんですね」

「君を庇って言ったのに、酷くないか?」

「ごめんなさい。でも、もう少しマシな嘘があったんじゃないかなーって思いまして」


 この暑さであまり考え事をしたくなかったので、パッと思いついた嘘を言ったが、否定されてしまった。次に備えて、家でいくつか返答のレパートリーを考えておこう。


「僕から一つ文句があるんだけど、言っていい?」

「何でしょう?」

「黙っておくなら、最初からルールは二つって言って欲しかった。三つあることを知ったら、気になる」

「その話はもう終わったものだと思ってました。それについては、本当にすみません」


 彼女はペコリと頭を下げた。ちゃんと謝られると、調子が狂ってしまう。


「まあ、そんなに気にしないから、大丈夫。頭上げて」

「気になるのか、気にならないのか、どっちなんですか?」


 彼女はまた笑いながら、言った。


「どちらかが本音で、どちらかが建前だね。別に当てなくていいからね」

「すぐにわかっちゃいますけど、優しさに甘えて、これ以上は言わないでおきます」


 僕たちは公園を出ることにした。散歩を再開した。

 

「気になったんだけど、僕の家の扉をすり抜けることができたよね?」

「はい」

「じゃあ、さっきベンチに座ってたけど、あれって空気椅子だったの? すり抜けたりしてなかったけど」


 座っているフリをしていたのなら、彼女の筋力はとてつもないことになる。僕なんて一瞬でノックアウトされてしまうのではないだろうか。


「ちゃんと座ってましたよ。私の意識次第何ですよね。ほら、触れます」


 そう言って、彼女は僕の腕に触れた。ちょっとしたスキンシップなのに、また動揺してしまう。


「便利な能力だね」

「そうですね。結構便利です。ほいっ」


 可愛らしい掛け声と共に、僕の左腕に触れていた彼女の右手は、僕の胴体、右腕を通過していった。

 何かが通り抜けた感覚はないけれど、何か気持ち悪さが残った。


「変な気分だ」

「これからはちゃんと触れますね」


 

「歩きましたねー」

「元気すぎて、怖いんだけど......」

「だらしないですね。一時間ちょっと歩いただけじゃないですか」


 真夏に一時間以上歩けば、疲れるに決まっている。柏木さんのスタミナは無限なのか? 平気な顔をしている。もしかして、疲れない身体になっているのか? そのことを安易に訊くのは躊躇われた。

 やはり彼女と僕とでは住んでいる世界が違う。同じ地球上に立ち、同じ空気を吸っているけれど、決定的に違う部分がある。


 僕が少し悩んでいると、彼女がこちらを凝視してきた。


「もしかして、疲れたりしないのか、とか思ってますか?」

「どうしてわかったの? それも能力?」

「違いますよ。そこまで便利な能力は持ってないです。何となく、そう感じただけです。ちょっと躊躇してるようだったので」


 僕はそんなに顔に出やすいタイプだったのかな。自覚はなかったけれど、バレていたのでそういうことだろう。


「ちょっと言いづらかったからさ」

「気にしなくていいのに、です。私たちの今の関係は何ですか?」

「恋人」

「そうです。気軽に話して欲しいです。私をあそこで歩いている女の子と同じように、普通に接して欲しいです」


 彼女は僕たちの正面の方から歩いてくる女子高生ぐらいの子を指差して、言った。


「悪かった。変な気を遣って」

「構いませんよ。さっきの質問ですけど、疲れますよ。疲れるのって生きてる証拠じゃないですか。だから嬉しいんですよ」

「そっか」


 僕たちはその後も喋りながら歩いた。ペースは落として、ゆっくり。


 日も暮れてきた。途中本屋で涼んだりしたが、合計するとかなり歩いた気がする。夏休みに入ってから昨日までの歩いた距離と今日一日の歩いた距離を比べれば、今日の方が多くなるのではないか、と思うくらい歩いた。おかげで足がパンパンだ。明日は筋肉痛だろうな。

 彼女もさすがに疲れたのか、休憩を入れる頻度が後半多くなっていた。


「そろそろ帰ろうか」

「そうですね。楽しかったです」

「僕も楽しかったよ。ところで、柏木さんは帰る場所ってあるの?」

「私の能力があれば、人の家に勝手に入り込めちゃうんですよね。なので、使われてないベッドとかがあるお部屋を見つけて、そこで寝てます」


 不法侵入だろ、とは言えなかった。死人に適応される刑罰はないだろうし。


「そうなんだ。なら、良かった。また明日」

「はい。私から言わなくても、明日も会ってくれるんですね。やっぱり、優しいです」


 彼女は嬉しそうにした。僕も思いの外楽しかったし、一ヶ月間彼女に付き合うことにした。やるからにはしっかりやり遂げたいと思った。


「じゃあ」

「さようなら」


 彼女は僕の家とは逆方向に歩いて行った。後ろ姿を眺めていたが、すぐに見えなくなった。

 僕には明日も会ってあげる優しさはあっても、家に来てもいいと言ってあげられる優しさはまだなかった。

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