第17話 8/18 観覧車と夜ごはん

 夕暮れ。昼間は汗が身体を流れ続けたが、この時間になると気温も落ち着いてきた。それでも、暑いけど。


 そろそろ閉園の時間が迫っており、帰宅し始める人たちもいた。僕らは最後のアトラクションに乗るため、列に並んでいる。「観覧車に最後乗りたいです!」という彼女の希望だ。

 今日一日歩きすぎて、足が痛い。明日、筋肉痛になりそうだ。普段から歩かされているが、今日はいつになく歩いた。楽しかったから、いいんだけれど。


 チケットを渡し、乗り込んだ。渡したお姉さんには、一人で観覧車に乗る寂しい人、と思われてしまったかもしれない。


 僕らを乗せたゴンドラはゆっくりと上昇していく。真っ赤な太陽は地平線に沈んでいく。こうしてちゃんと夕日を見たことがなかったので、神秘的だと思った。ゴンドラについている小さな窓から射し込んでくる夕日のせいか、栞の頰は少し赤らんでいるように見えた。横顔がとても綺麗だった。


「ん? またぼーっとしてた?」


 栞にそう言われてしまったので、僕はまたぼんやりとした顔をしていたのか。彼女の姿が綺麗で、魅入っていたなんて言えないので、適当に誤魔化す。


「綺麗だなって思って」

「そうだねぇ。私いつも見てたはずなのに、こんなに綺麗なものなんだって初めて知ったよ」

「それは生前の話?」

「そう。生きてた頃の話」


 僕は彼女の生前について質問してもいいのだろうか。出会った頃と比べると、自然に会話はできているし、関係も濃くなっている。知りたいけれど、あまり思い出したくないものだったらどうしよう、と思うと訊ねることを躊躇う。


「今日は楽しかったね」


 ゴンドラが頂上に到達しそうなタイミングで彼女は突拍子もなく言った。


「うん。お化け屋敷を除いてね」

「私も絶叫系を除いてだけどねー」


 後半は僕らが苦手なものは避けて、乗った。スリリングなものはなかったけれど、楽しむことができたのは彼女が楽しませてくれたからだと思う。会話は途切れることなく続いた。


「私だけが楽しんでるんじゃないかと思ってたから、安心したよ」

「どうして?」

「ぼーっとしてること多かったし」

「それは......」


 僕は一呼吸置き、口を開く。


「君のことを考えてたから」

「え? これって告白?」

「違う」


 栞は大げさに照れている。本気にしていないのは見たらわかる。


「それに、付き合ってる相手に告白っておかしいでしょ」

「確かにねー、じゃあどういうこと?」


 やはり、彼女も僕らが付き合っているという感覚はあまりないのかもしれない。


「その......このまま栞が消えたら、僕はどうなるんだろう、って。辛いんだろうけど、意外と平気だったときの自分が怖いんだよ」

「そんなに私のこと想ってくれてたんだー。やっぱり、本気で好きになっちゃった?」

「好きか嫌いかの二択だったら好きになるけど、一度亡くなった人間に恋するはずないから安心して」


 僕は彼女に聞こえないくらい小声で、「多分」と付け加えた。


「恋するはずない、まで言われるとちょっと傷つくなー。まあ、秋太くんは私が消えた後のことは心配しなくてもいいよ」

「なんで?」


 心配しなくてもいい、とはどういうことだろう。文字通り、心配する必要はないということだろうけど、どうしてそう言えるのか。それと、少し寂しそうな顔をするのは、どうしてだ。


「なんでも! だよ。心配しなくていいって言ったら、心配しなくていいの。大丈夫だから」


 彼女の言葉は優しかった。その言葉には安心感があり、不安だった気持ちは薄れた。


「わかったよ」


 彼女は微笑んで、目線を窓の向こうに見える、夕日に向けた。その後も少し会話を交わしているうちに、ゴンドラは地上に戻ってきた。

 

 出口を目指す群衆に紛れて、僕らも出口を目指した。

 

「夕飯はどうする?」


 僕らが予約したホテルには夕食は付いていないので、これからお店を探さないといけない。


「ファミレス?」

「僕が質問したんだから、疑問で返されても困るんだけど」

「ファミレス!」

「別にファミレスを悪く言うつもりはないけど、そんなんでいいの? もっと高級なお店とかじゃなくて」

「全然いいよー。むしろ、普通の生活をしたいな、私」


 僕は何でも良かったので、ファミレスを探した。僕たちが住む地域にもあるような、チェーン店を見つけた。安くて、そこそこ美味しい、と評判のファミレスだ。入店すると、夏休みということもあり、数組待っていた。


「別の店にする?」

「ここでいいよ。話してれば、あっという間でしょ?」


 栞と話していると、飛ぶように時間は過ぎていく。大井のような友達はいるけれど、交友関係は広い方ではないし、気兼ねなく話せる友達は少なかったので、彼女の存在は貴重だった。自分でもどうしてここまで打ち解けて話せているのか、わからない。彼女の気さくさが要因なんだろうな、とぼんやりと思う。


 今日の遊園地の感想を言い合っていると、すぐに名前を呼ばれた。二人がけのテーブル席に案内された。隣には三人組の同い年くらいの男女がいた。


「ねえ、イヤフォンつけといた方がいいんじゃない?」


 彼女なりの気遣いだろう。僕が怪しまれないように。


「いいよ、別に。食事中にイヤフォンするのは行儀悪いし、本当に気にしないから」


 彼女は小さく、「ありがと」と言った。感謝されるほどのことはしていないんだけどな。


 僕はオーソドックスなハンバーグを頼み、彼女はミートスパゲッティを注文した。あと、彼女が食べたいと言うので、ポテトも。


「私、旅行するのって初めてなんだよねー」

「そうなの?」

「うん」

「もしかして、僕より酷い家庭環境だったとか?」

「ううん。お父さんもお母さんも、私のこと真剣に考えてくれてたし、二人の仲は良好だったと思うよ」

「両親が旅行嫌いだったとか?」

「うーん。どうだろ。わかんないなぁ。今となっちゃ確かめることもできないしね」


 せめて両親くらいは、彼女の姿が見えてもいいのに、と思った。僕より断然適しているだろう。きっと彼女も両親と一緒に一ヶ月を過ごした方が嬉しかったはずだ。どうして、僕なんだ。


「両親に会いに行ったりしたの?」

「イヤフォン取りに行くときとか、出会ったねー。認識しているのは私だけなのに、目が合うたびにドキッとしちゃう」


 寂しげな表情をする彼女を見ると、どうして僕なんだ、という気持ちが一層強くなる。彼女と一切無関係な、僕なんだよ......。


「今、秋太くんが考えてること当ててあげよっか?」


 いきなり超能力者のような発言をし始めた。


「なんで自分だけが私のこと見えるんだー、ってそんなこと考えてたんじゃない?」

「やっぱり君は僕の頭の中を覗けるの?」

「違います! 表情見れば、大体わかるよ」


 彼女は人をよく見ている。他人をあまり気にしない僕とは真反対な気がした。


「そんな自分を責めたりはしないでね? 私は君とこうして話したり、遊んだり、関わっていることが、結構好きなんだから」

「そう言ってもらえると、少しは救われるよ」

「何回でも言ってあげるよー」


 子どもがいたずらを仕掛けたときのような、無邪気な笑みを浮かべた。



「ねえねえ、隣の女の子、めちゃくちゃ引いてるよ?」


 スパゲッティをすすった彼女は言った。


「僕も気づいてるよ」


 男子二人は特に気にしていないようだけど、一人の女子は引き気味にこちらを見ている。当然だろう。男子高校生が独り言を垂れ流しているのだから。しかも、そこそこの声量で。


「さすがにそんな目で秋太くんが見られてると、私も気が引けちゃうなぁ」

「あと数十分だから。気にしないよ」


 と言いつつも、ここまで視線を浴び続けたら、僕も少しは気にしてしまう。


「今から喋った方が負けゲームしない?」

「なにその明らかに僕に気を遣ったゲームは」

「いいじゃんいいじゃん。たまには無言の時間も大事だと思うんだよ。今日は、私たちの発声器官を酷使しすぎたし」


 彼女の言う通り、今日はいつも以上に喋った。少し喉もかれている気がする。


「負けたら何かあるの?」

「うーん。あとでジュース奢り?」

「君が負けたとしても、払うの僕だよね」

「まあまあ! 細かいことは気にしないで。よーい、スタート!」


 僕がゲームをすることに賛成しないまま、開始された。彼女なりの優しさと受け取っておこう。


 何分経っただろう。もう十分は話していない感覚だけど、まだ一分しか経っていないような気もする。ずっと話していたせいか、落差がすごい。何とも言えない空気感だ。

 僕らは目の前のご飯を口に運ぶ以外の動作を行っていない。口を開くのも、食べ物を入れるため。


 少し、視線を向けられる頻度が下がった気がする。


 僕がコーンを食べていると、彼女が机をトントンと叩いた。何かあったのか、と目を向ける。


 そこには変顔をした彼女がいた。多分、一般的に面白い部類に入らないような、変顔だったけれど、突然のことで僕は笑みをこぼしてしまった。声も出た。


「君の負けだね」

「それはちょっとずるくないか?」

「女の子はずるいくらいの方が可愛くないですか?」

「そうなのかな」


 そんなことしなくても、充分可愛いと思ったけれど、口にできるはずがなかった。


 結局僕は先ほどよりも痛い視線を浴びながら、ハンバーグを食べることとなった。

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